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Layla   part2 「ライラとマジュヌーン」


Part1 からの続き

さて、エリック・クラプトンが絶叫している Layla がパティ・ボイドのことであることは、動かし難い事実ですが、では、そもそも、エリックはどこから Layla と言う名前を見出したのでしょうか?

それが古いアラビアの恋物語"Layla and Majnun" 「ライラとマジュヌーン」を出典とすることは、エリック・クラプトン・ファンにとっては、今や「常識」ですね。
(なお、以後、このブログでは、女主人公の名は普及している「レイラ」と記し、著作物のタイトルについては訳者と出版社を尊重して「ライラ」と表記します。)

その物語とは…

昔々、灼熱のアラビア。
少年カイスが少女レイラに恋をします。
レイラもカイスに惹かれます。
その想いの激しさ故にカイスはある日突然に狂い、
周囲からマジュヌーン(狂人)と呼ばれるようになります。
レイラの父はそんなマジュヌーンを拒絶。
マジュヌーンはレイラをひたすら恋焦がれ、
彼を取り巻く人々が様々な行動をします。
しかし、遂に結ばれぬまま、レイラは早世。
マジュヌーンもその墓を守るようにして息絶えます…



では、誰がこの本の存在をエリックに教えたのでしょう?
これについて、エリックとパティの「証言」は一致しています。

エリックは、当時、英国上流階級出身のヒッピー達と付合い始め、その中には、駐米大使(1965-1968)を務めたDavid Ormsby-Gore ディヴィッド・オムズビー=ゴア(第5代Harlec ハーレック男爵)の子供達やその知人達もいました。
こうしたロンドンの上流階級・文化人の交流の輪の中にいたのが、他ならぬ、イアン・ダラスでした。

で、イアン・ダラスって、誰?

【 イアン・ダラスとスーフィズム 】

イアン・ダラスは、(エリックやパティが当時どこまで認識していたかは別として)
今日では、Shaykh Dr. Abdalqadir as-Sufi と呼ばれ、イスラム指導者として一家を成している人物です。(Shaykh は通常「シャイフ」と発音。Sheik と同義語。つまり、族長、尊者、賢者、指導者等の尊称です。後記、神秘主義では特に導師・インストラクターを指します)

1930年にスコットランドにIan Dallasとして生まれ、脚本家・役者となりました。
1967年モロッコでイスラムに改宗。
導師からイスラム名 Abdalqadir を授かり、また、後記のようにas-Sufi と言うタイトルを与えられます。
彼はその後ロンドンで布教活動を行います。
エリックやパティに会ったのはこの頃です。
1980年代にイスラム布教組織であるMurabitun World Movement を創設。

公式サイト(英語) → Shaykh Abdalqadir.com(ここをクリック)

導師によって与えられたas-Sufi のタイトルこそが、彼の拠って立つ宗旨を表しています。
即ち、Sufi(スーフィー)、Sufism(スーフィズム) とはイスラム教の神秘主義者、神秘主義を指す言葉で、それは神との一体化を目指すものです。
多くのスーフィズムでは粗衣粗食に甘んじ、俗世への欲望を断つと言う禁欲的で厳しい修行を行い、己を消滅し去り、意識そのものをも意識しない境地に到ろうとします。
「消滅の消滅」「完全な消滅」と呼ばれる、その境地は仏教の「涅槃 (Nirvana)」を思わせます。
彼等は、究極の至福を「神との一体化」に求めます。
その為に、白い布状の服を身につけて一心不乱に回る、回旋舞踊と呼ばれるものを行う派もあります。
ある派では、導師の指導の下、決められた修行(マカーマート)を段階的にこなし、準備を進めます。
最終段階で、雑念を捨て去り一心に神の事をのみ考え、神と合一したという悟りが訪れるのを待ちます。
この境地に至ったものは、時として聖者に認められ崇拝の対象となると言われています。

なお、もとより、私はイスラム信者でもなければ、イスラム文化に通暁している訳でもありません。
ここで書いていることの大半は、所詮、ウィキペディアやネット情報、書籍等を色々あたって仕入れた知識に過ぎず、所謂「孫引き」の域を出るものではありませんので、念の為。

さて、その禁欲的で厳格なイスラム主義者が何故エリックやパティに古い「恋物語」など紹介したのでしょうか?

この本を一読された方は、同じ恋物語でも、西欧のロミオとジュリエットとは、あまりにもかけ離れた展開、マジュヌーンのレイラへの一途な想い、作者のスタンス等に違和感を覚えたのではないでしょうか。
しかし、ひとたび、スーフィズム(神秘主義)の観点から眺めれば、マジュヌーンこそ、スーフィーそのものであり、この物語がスーフィズムの強い影響のもとに成立したことが理解できることでしょう。
おそらく、宗教に関心のないアーティスト達に気軽に読めるスーフィズムの入門書の代用として、イアンことas-Sufiは、彼等にこの本を紹介したのではないでしょうか。

【 ニザーミーとその時代 】

この恋物語の原型は8世紀に実在した人物をモデルにしたもので、アラブ各地に様々な形で流布しているようです。
その中で、今日、最も有名で、エリックに直接影響を与えたものは Niẓāmī Ganjavī ニザーミー・ガンジャヴィー (1141 - 1209) による1181年の作品です。

ニザーミーは、よく「12世紀のペルシアの詩人」と紹介されています。
日本の私達には馴染みの薄い人物ですが、今回、詳細に調べてみて、意外なことが分りました。

本名:ジャラールッディーン・アブー・ムハンマド・イルヤース・イブン・ユースフ
    (Jalāl al-Dīn Abū Muḥammad Ilyās Ibn Yūsuf)
代表作:五編からなる長篇叙事詩、『五部作』(ハムセ خمسه Khamse)または『五宝』(パンジュ・ガンジュ پنج گنجPanj Ganj)と呼ばれる作品群。
それぞれ南東ヨーロッパ、カフカス地方周辺の王侯貴族たちに献呈されいます。
これらの作品群のうち、『ホスローとシーリーン』『ライラーとマジュヌーン』などは後世に挿絵本が流布するなどペルシア語文学や絵画に大きな影響を残しました。
特に後者は楽曲も作られ何回も映画化もされています。

イスラム圏では、とても有名な存在で尊敬を集めています。
あの小惑星群の中の一つ(3770番)にNizamiの名前を見つけた時は驚きました。
(因みに、一つ前がアーサー・ミラー、その前がモンロー、一つ次がアレクセイ・トルストイ、その次がピアフ)

アゼルバイジャンではお札にもなっていました。
06年デノミで切換えられた新5マナト紙幣も、古書と文学者達の立像があり、ニザーミーを示唆しています。(09/4月現在 US$1≒AZN0.8)


そうです。彼の生地はアゼルバイジャンのガンジャ(首都バクーに次ぐ第2の都市)なのです。

アゼルバイジャン?
元ソビエト連邦の一つ?
あの、カスピ海に面している国?
アラビアから随分と離れているねえ…

そう、アゼルバイジャンは文字通り、テュルク(トルコ)系のアゼリー人の国。
その南に接しているのがイラン。その古名がペルシアでした。
12世紀、この地はあのセルジューク朝(かつては「セルジュクトルコ帝国」と呼ばれていました)の一部でありました。
当時の公用語はペルシア語。(インド・ヨーロッパ語族。現在のアゼルバイジャンは、アルタイ語族のアゼルバイジャン語が公用語)
ニザーミーはここで登場し、ペルシア文学における「物語文学の完成者」とされているようです。
セルジューク朝は地方豪族に地方支配を委ねており、シルヴァーン・シャー朝系のケスラーニー朝(ムフンマド・ブン・ヤジード)はこの近隣に勢力を誇っていました。
その王アフサターンから、この恋物語を献じるようにニザーミーは命じられたのです。
砂漠とはほど遠い都会に住むニザーミーの困惑はいかばかりだったでしょうか。
もっと言えば、ニザーミーは生涯、郷里ガンジャを愛し(ペンネームにもしっかり入れてますね)、離れることはなく、アラブやイランへは足は踏み入れていないようです。
まして、この物語の舞台とされるナジュド地方(現在のサウジアラビアのリヤド)をやです。
また、宮廷に仕えることもなく、在野の士としてのスタンスを貫きます。

「ライラとマジュヌーン」は、「(バクダードの)語り部はこう語った」と言う形式で話が進められますが、随所に作者ニザーミーが顔を出し、コメントを挟みます。
その一つ。マジュヌーンの母の死を語る一節で、「授かる生命には既に死が約束されている」として、こう語ります。
「かく申す作者ニザーミーは王侯に阿って禄を食んだことはござらぬ。何故かと申せば、食卓のパンを狙う犬、皿のお余りを乞う猫たらんよりは、たとえ燃え尽きるとはいえ、自らの蝋によって焔をあげる蠟燭たらんと心に決めたのじゃから。読者よ、そなたも、この世の中、気まぐれな王者を見限って己の主となるがよい」
(訳:岡田恵美子)
選りによって、王侯に捧げる作品の中でですよ。随分と気骨のある人物だったと思われます。


【 ニザーミー版「ライラとマジュヌーン」 】

同書の由来、献呈の事情は前記のとおり
全4500句の叙事詩
全編ハザジ調(長長短・短長短長・短長長)の韻律が繰り返される

もともとペルシア語を解しない私にはハザジ調自体も不明で、ここでこれ以上のコメントは出来ませんが、直感的には、「平家物語」のように、名調子で美しい響きを持つ詩的な語句が次々と謳われているのかな、と想像しています。

「あらすじ」は前記のとおりですが、
ポイントは(誤った解説に多い)「報われぬ恋に最後は発狂する」のではなく、カイスは冒頭で恋に落ちて直ぐに発狂し、以後、延々とその「狂人」ぶりが綴られていると言うことです。

「ある朝ーそれはかの女(ひと)を思わせる清爽の朝であったが、恋の重荷にうち拉がれたカイスの心は、にわかに崩れ去った。彼は自らの皮膚に爪をたて引き裂き、狂気に陥った」

その後の筋を少し詳しく追ってみましょうーー

マジュヌーンは狂ってもなお、「レイラ」の言葉にのみ反応し、恋する想いを詩に託し続けます。
遅くに得た一粒種の悲恋を不憫に思ったアーミール族の族長でもある父は、一族郎党を引き連れ、やはりベドウィン(砂漠の遊牧民)の族長であったレイラの父に息子との結婚を申し入れに行きます。
しかし、レイラの父はマジュヌーンとなったカイスとの結婚を頑なに拒否。
父はわが子に諦めるように諭しますが、マジュヌーンの想いは燃え盛る一方で、遂に一人故郷を捨て荒野を邑を彷徨います。
「レイラ、レイラ」と絶叫しながら。
また、二人が人伝に交わした詩は街角から家々と伝えられ、人々が口ずさむまでになります。

この様を「悲恋の極み」と見た近隣のナウファル王はマジュヌーンに恋の手助けを約束し、二度にわたりレイラの部族を武力で攻め立てます。肝心のマジュヌーンは戦ではレイラ軍を応援する有様でしたが。
敗れたレイラの父は哀願しつつも、舌鋒鋭くナウファル王の要求を退け、遂にナウファル王は兵を引きます。
一方でアサド族のイブンサラームがレイラに求婚し、その贈り物攻勢と仲人の説得に、レイラの父も結婚を認めます。
レイラは黙って、それに従うしかありませんでした。しかし、彼女は花婿が寝所に入ってくることを拒絶します。イブンサラームは彼女を眺めるだけで満足する他ありませんでした。

マジュヌーンはいつしか山の頂に野獣にとり囲まれて暮らし、草のみを食し、食欲の本能からも解脱した存在となります。
その後も、二人の間の文通や逢引を仲立ちする者や、マジュヌーンと共に暮らそうとする若者、伯父サリーム等様々な人物が登場します。
結局、マジュヌーンが発狂してからは、二人は近づくことも、況や直接会話することすらありあせんでした。
(冒頭の画像では、二人が杯を交わしているように見えますが、ニザーミー版には該当の箇所はありません。但し、狂気に陥った直後の「マジュヌーンがレイラの自宅の外から彼女と見つめ合う」シーンと
後半で「イブンサラームの屋敷近くの棗の園でレイラの為に詩を詠ずるマジュヌーン、それをものかげから見詰めているレイラ」
その、いずれかが相当するものと思われます。(あるいは、ニザーミー以外の著作に依拠するのか…)
芳醇な酒盃を手にするレイラの様からは前者。痩せこけて日焼けしたマジュヌーンの姿からは後者が想起されます。尤も後ろの木はナツメには見えませんが。
後者では「おお、運命よ、煌く宴を整えたまえ。孤独な男がレイラと美酒を酌むために」と歌ってマジュヌーンはその場を走り去ります)

やがて、父も母も哀れな我が子を気にかけながら、永遠の別れを告げます。
そして、レイラの夫、イブンサラームも。

しかし、夫の喪に服したレイラは疱瘡に罹り、病に侵され、マジュヌーンへの変わらぬ想いを母に告げて、短い生涯を終えます。
マジュヌーンはレイラの墓に行き、土に顔を伏せ、千もの口づけをします。野獣達が遠巻きにして彼を守ります。
「頭は地に伏せられた。両の腕はその下に恋人の眠る墓石を抱くように投げ出され、かすかにもれる言葉を最後に、マジュヌーンは息絶えた。
『愛しい人』」


【 邦訳 】

ニザーミー・ガンジャヴィー「ライラとマジュヌーン (東洋文庫 394)」(平凡社 81年)
訳者は岡田恵美子
現在、絶版ですが、上記をクリックすれば、アマゾン経由古本屋から入手出来ます。

なお、楽天なら、所謂OD版(原本をコピーした復刻本)もあります→ ライラとマジュヌーンOD版
また、デジタルでダウンロードしたい方 → 楽天ダウンロード

因みに、東洋文庫は定評あるシリーズですので、大きな公的図書館は所蔵しているところも多いでしょう。
そちらの方を利用するのも一手です。

さて、正直申し上げて、岡田さんの訳は文語体に近い文体で書かれ、使用される漢字や語句等も当用漢字にないもの、馴染みの薄いもの、よく言えば、伝統的で格調の高い表現、悪く言えば、古めかしく難解で特殊な表現を多用されている為、現代の読者にはかなり読み辛いと思われます。
しかし、ペルシア語からの翻訳は現時点では、この著作しかありませんので、関心のある方は、我慢してトライしてください。


【 I Am Yours 】

アルバム"Layla"には、タイトル曲以外にも、この物語から直接インスパイヤーされた曲が収録されています。
"I Am Yours"がそれで、作者のクレジットも"Clapton - Nizami"と明記してあります。

♫  ♫  ♫

どんなに離れていても
風が吹くことがなくても
貴女の香りは漂ってくる
鳥はさえずることはなくても
貴女の名前は私に告げる
私に残した貴女の思い出の一つ一つは
私に刻まれ永遠に消えることはない
私は貴女のもの

♫  ♫  ♫

歌詞全文(英語) → Seek Lyrics

この歌詞に相当するものをニザーミーの著書に求めたのですが、ピッタリ合致するものは見出し得ませんでした。
強いて挙げれば、ニザーミーはマジュヌーンが風の中にレイラの香りを嗅ごうとする複数のシーンを用意しています。
それにインスピレイションを受けたエリックが、ニザーミーに敬意を表してクレジットしたのでしょうか。

例えば、邦訳版3章、狂気に落ちたマジュヌーンが、朝風に向かって、レイラにこう告げてくれと語りかけます。

あなたのために全てを失った者が
地に斃れふし
朝風の中にあなたの息吹を求め
土埃に向かって、あなたの悲しみを語っている
あなたの家から、彼にそよ風を送っておやり
あなたを思い出すよすがとして
彼に土埃を送っておやり


【 まとめ 】
と、言うことで駆け足で"Layla"のタネ本について、由来・作者・位置づけ・背景・あらすじ等を見てきましたが、最後にイスラム神秘主義の「神との一体化」思想の影響を、よりを象徴的に示している部分を紹介しましょう。

二人の悲恋が有名になり「レイラ・マジュヌーン」と書かれた紙片が出回り、それを手にしたマジュヌーンは「レイラ」の名に爪を立てて引き裂き、「まことの恋を知った者に二つの名は要らぬ。恋の本質は人の目に映らぬもの、私が恋の形相であっても良いが、レイラは本質であり、本質には名は不要」とコメントします。
まさに、神秘主義的発想です。
「ハーレクイン・ロマンス」等とは余りにかけ離れた世界であることがお分かりでしょう。
結局、古のアラブの二人は、あの世での合一を求め、死んで行くのです。
エリック同様、この一途な恋物語を読んでいたパティには、エリックの"Layla"の絶叫がマジュヌーンのそれと重なり、十分過ぎる程強烈なインパクトを受けたことは想像に難くありません。

いずれにせよ、この曲を引っ下げて、強引にパティに迫ったエリックはpart1で記したとおり、失恋。
そして、タネ本と歌詞の内容をなぞるが如く、「狂気」の世界へ逃げ込みます。
70年代の英国の二人の恋愛は表面的には潜伏期に入ります。

その後の展開は---
part 3 パティ・ボイド (ここをクリック)

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