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Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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御代田の森のなかで : 武満徹頌   ~お陰様で5万件

御代田の森のなかで : 武満徹頌   ~お陰様で5万件_c0163399_15411285.jpg

Naomi's Choice へようこそ。

お陰様で、このブログも開設以来満4年を満了することが出来ました。
この間、延べ5万件を上回るアクセスをいただきました。
去年の今頃は3万件でしたので、この1年の1日平均アクセス数が分かりますね。

改めて御礼申し上げます。

地味でマニアックなこのブログがここまで続き、それなりのアクセスをいただいていることは本当に不思議な感じです。

実は、最近更新をサボってましたので、やはりアクセス件数も微妙に減ってきていたのですが、先日、突如として、当ブログとしては、1日300件を超えると言う記録的なアクセス件数が数日続き、驚きました。
色々調べてみると、多くのフォロワーさんを持つ方のツイッターで、「19世紀ヴィクトリア朝の英国では"Tea for Two" は求婚のサイン」と言うこのブログの記事が引用された為と分かりました。
もともと"Tea for Two"の記事は何故か、日本版Wikipediaにも「関連リンク」されていて(私は、この執筆された方は全く存じ上げていないのですが…)、時折、Wikipedia経由でアクセスされることはこれまでにもありましたが、こんな規模ではありませんでした。

いずれにせよ、過去の記事が一人歩きしていること、
そして、SNSの威力、中東での政変の原動力となった、そのパワーを、遅まきながら我が事として実感した次第です。


ところで、今、私は武満徹が永年創作活動の場としていた地の直ぐ近くで、この記事を書いています。
全くの偶然が重なり、その「発見」があった訳ですが、良い機会ですので、武満徹とこの場所のことを少し書いてみたいと思います。
(以下、生存者・物故者を含め、敬称を略します)



【 御代田 】

武満徹(1930 - 1996)は、今更私などが紹介するまでもなく、日本を代表する国際的な作曲家として広く知られている方ですね。

以前から武満が信州の山荘に籠って創作活動を行っていると言うことは、エッセー等で漠然とした予備知識として持っていたのですが、それが今現在私のいる場所の直ぐ近くであることを認識したのは数日前のことでした。
御代田の森のなかで : 武満徹頌   ~お陰様で5万件_c0163399_11365159.jpg最近、伊藤君子(彼女は、有美さんの師匠筋でもあります)の幾つかのアルバムをまとめて聴く機会がありました。
"一度恋をしたら~Once You’ve Been In Love" (ビデオアーツミュージック 2004年) は、名コンビである小曽根真によるプロデュース・編曲によるビッグバンドとトリオ主体の作品で、充実の1枚です。
その中で1曲だけ、小曾根のピアノとのデュオによる日本語の歌がありました。
もの悲しく、しかし、さしたる起伏もないまま終わる不思議な曲。
作曲:武満徹、作詞:谷川俊太郎 ----それが"MI・YO・TA"でした。

えっ!「みよた」?!!…

ビートルズオタクの私が「軽井沢」を「聖地」とあがめ、時折、巡礼=出没していることは、「壁に咲く花」の記事等で、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
と、言っても、私の常宿のようなものが軽井沢の西の外れの「軽井沢町追分(おいわけ)」にありまして、私は時々そこで時間を過ごしていました。
そして、その追分のすぐ隣にあるのが「御代田(みよた)町」(長野県北佐久郡)だったのです。

御代田町は浅間山の南麓に位置し、東は軽井沢町に、西は小諸市に、南は佐久市に、北は群馬県嬬恋村と接しています。

武満の山荘は、何と、私の「常宿」から車で5分ちょっとの距離にあったのです!
プライバシーに関することですので、ここでは詳細な記述は避けますが、まさに御代田の森の中に、その白を基調とした瀟洒な山荘は今も存在していました。

私が"November Steps"と武満の存在を知ったのは、中学生の頃だったでしょうか。
う~~ん、高尚な「ゲンダイオンガク」ね…
当時は、気になって仕方ないけど、それ程、夢中になることもありませんでした。それでも、その後も同時代人として彼のいくつかの作品をリアルタイムで接する僥倖には恵まれていました。
そう、今想えば、あれは「僥倖」以外の何ものでもなかったのです。
音楽祭「今日の音楽」、エッセイ集「音、沈黙と測りあえるほどに」、そして「カトレーン」「遠い呼び声の彼方へ!」「12の歌・地球は歌っている」 etc …

その日、ミーハーの私は、武満がふれたであろう木々を渡る風の多様な表情や自然からの呼びかけを感じようと、山荘の森や近くの畑を歩いてみました。
浅間山から吹き降ろしてくる風は7月と言うのに、あくまで爽やかで、しばし都会の喧騒やむせかえる様な灼熱のアスファルトやコンクリートの塊とその照り返しを忘れさせてくれました。
軽井沢特有の整然と立ち並ぶカラマツの並木ではなく、一種の雑木林には違いないのですが、歩き回っている内に、何故か懐かしく、何か大切なものが蘇ってくる様な想いに浸ったひとときでした。
(冒頭の写真はその山落の一角)

【 November Steps 】

武満は1964~65年頃、御代田の普賢山落に山荘を求めました。
「弦楽のためのレクイエム」(1957)でストラヴィンスキーの絶賛(1959)を得て以来、世間的にも評価が高まっていた頃でした。

武満は、毎年4月頃から11月頃にかけては御代田で過ごしていたようです。
と言っても、創作一筋と言う訳でもなく、夕食にはビールも飲み(但し、創作活動が佳境になると酒量は減ったようですが…)、タイガース・ファンとしてラジオのナイター中継を楽しみ、時に隣町の小諸まで足を延ばして飲みにも出かけたりもしていたようです。

いまではすっかり、私にとっては、生活の本拠となり、ここでしか腰を落ち着けて作曲することができぬまでになった」(武満「回想」 1993 *)
東京のマンションよりその御代田の家の方が武満にとっては『ホーム』に近かったのではないかと思います
(谷川俊太郎 「MI・YO・TAのこと」 1997 *)

1967年、武満はニューヨーク・フィルから、その125周年記念の作品を委嘱され、3月から9月にかけて御代田に入ります。

御代田の森のなかで : 武満徹頌   ~お陰様で5万件_c0163399_12213156.jpgこうして作られた"November Steps"(1967)が、武満の国際的評価を決定付け、彼の代表作となったことは、ご承知の通りです。

武満徹:ノヴェンバー・ステップス」 (BMG 2007年)
世界初演直後に録音された「ノヴェンバー・ステップス」他武満初期の代表作集。
指揮:小澤征爾、オケ:トロント交響楽団(#)、琵琶:鶴田錦史、尺八:横山勝也 他
#:小澤が当時首席指揮者。NYフィルに先立ち、同オケとリハを実施していた。

この三十年ほどの間に、多くの作品をここで仕上げたが、六七年に作曲した『ノヴェンバー・ステップス』は、この山落の自然空間に強く影響されたものとして忘れられないものになっている。」
今想えば、ここでの生活があの曲を生んだので、私はただ無心に、自然からの呼びかけに身を任ねていたにすぎなかった」(武満「回想」1993 *)


【 森のなかで 】

1995年5月、武満は膀胱及び首のリンパ腺に癌を発症し、虎の門病院で闘病生活に入ります。
同年10月に退院。御代田で結果として、最後の作品となる一連の曲を作ります。
未完に終わったオーケストラ曲「ミロの彫刻のように」、フルート曲「エアー」、そしてギター曲「森のなかで ギターのための3つの小品」(1996)でした。
96年1月、急に高熱が出て再入院。癌は肝臓に移転し、最早、手術は不可能だった。
2月20日、急性肺水腫で死去。65歳。
御代田の森のなかで : 武満徹頌   ~お陰様で5万件_c0163399_1232684.jpg森の中で/武満徹へのオマージュ」 (EMI 1997年)
上記2曲他、武満の代表的ギター・ソングを親交深い荘村清志が演奏しています。

この作品は、森を愛し、好んでギター曲を作った武満に相応しい作品と言えましょう。

但し、ここで描かれている森は、御代田ではなく、北米各地の森です。

各楽章の森の名前と捧げられたギタリスト名は下記。

第1楽章 Wainscot Pond ウェインスコット・ポンド (ジョン・ウィリアムズ) 、第2楽章 Rosedale ローズデール (荘村清志) 、第3楽章 Muir Woods ミュアー・ウッズ (ジュリアン・ブリーム) 。

ウェインスコット・ポンドは武満も未訪の地で、米国の友人から送られてきた風景画からインスパイヤーされたもの。ローズデールはカナダ、トロントの住宅街にあり、ミュアー・ウッズはサンフランシスコ郊外にあるそうです。
ジョン・ウィリアムズやジュリアン・ブリームは、本ブログの"Cavatina"でお馴染みですね。
ジョンは、バーミンガム市響の委嘱による「虹へ向かって、パロマ」(1984)の初演ギタリストでもあります。
荘村清志及び武満とギターについては、後日記載する予定です。

「ここではたんに森の情景を描写するのではなく、森のなかで、感じ、考えたこと、また行動を共にしたひとびととの懐かしい思い出を描こうと思った
(武満「森のなかで 作曲家のことば」 1995 *)

【 MI・YO・TA 】

さて、話を"MI・YO・TA"に戻しましょう。

この曲の存在は彼の葬儀(96年2月29日)の席で、対照的な作風ながら共に日本の現代音楽をリードしてきた黛敏郎(1929 - 1997) による弔辞の中で初めて世に知らされました。

黛は弔辞の中で、お互い若かった頃、武満に映画音楽の仕事のアシスタントを依頼したことを披歴し、彼の作った旋律の一つが余りに素晴らしく、映画に使うのが勿体なくて、「ひそかに私が使わずにとっておいたもの」として、その僅か9小節の断片のメロディを霊前に捧げた=口ずさんだのです。
「私はあらゆる音楽を通じてこれほど哀しい音楽を知りません。いうならば哀しみの極致と云えるでしょう」とコメントして。

偶然ですが、武満が亡くなった日は黛の誕生日でもありました。
やがて、この曲に歌詞を付ける企画が持ち上がり、その作業は20代から親交があった詩人の谷川俊太郎(1931 - )に託されました。

目の前に武満の姿が浮かんできました。彼は雑木林の木もれ陽の中をこっちに向かって歩いて来ます。場所は長野県御代田にある彼の家。(中略)
こっちに向かって歩いて来る武満は沈黙したままでしたが、同時にいろんなことを話しかけてくれました。
私たちには無数の思い出がありましたから、そして彼は自分を音楽で残してくれましたから。私が感傷的になっても武満は許してくれるだろう、気持ちにふさわしい言葉をもどかしく探し求めながら、私はそう思っていました
」(谷川 「MI・YO・TAのこと」 1997 *)

この9小節が作られたのは、前後の出来事や収入状況から見て、武満が御代田に山荘を得る前の時代のことと思われます。
本来、御代田とは何の関係もないメロドラマ用(この作品が特定出来ない!)の為の旋律。
関係者の証言では創作中の武満に遠慮してか、彼の生前、山荘を訪れる知人は限られていた様で、その一人が、近くにやはり山荘を有していた谷川でした。
彼には、御代田での見慣れた武満の姿が、曲の背後から浮き上がったと言うことでしょう。

タイトルの命名者は武満の愛娘の真樹(1961 - )。

御代田の森のなかで : 武満徹頌   ~お陰様で5万件_c0163399_12572638.jpg歌唱は武満が死の前年に作った自身のポップ・ソングス集「翼 武満徹ポップ・ソングス」 (コロムビア 1995年)で起用された石川セリ。
チョット意外感のある人選ですが、武満自身の希望でもありました。彼はアルバムのライナーで「以前、偶々、石川セリの昔のアルバムを聴いて、自分が少しずつ、機にふれて書き溜めて来た小さな歌を、彼女にうたってもらって、なにか楽しいアルバムをつくってみたいな、と空想したことがあった。」と記しています。当時、武満は入院中でしたが、医師の許可を得て、CDのミキシング等にも立ち会い、純音楽と変わらぬ情熱を注ぎました。
結果として彼の作品集としては最もよく売れたアルバムとなりました。

御代田の森のなかで : 武満徹頌   ~お陰様で5万件_c0163399_1258062.jpg翌年の武満の命日に合せ、ミニアルバムCDがリリースされました。
武満徹:MI・YO・TA」 (コロムビア 1997年)
しかし、このCDが世に出た翌々月、今度は黛自身が、この世を去ってしまいました。
武満より一つ年上で裕福な家庭に生まれ、一足早く名声を手に入れた黛と、それを追う様にキャリアを形成していく武満の生涯は、しかし、好対照で、興味深いものがあり、いつか詳細に綴ってみたいと思っています。
とまれ、日本を代表する作曲家二人は相次いで物故してしまったのです。


【 御代田の森のなかで ~ 浅間縄文ミュージアム 】

御代田町営施設に「浅間縄文ミュージアム」(御代田町大字馬瀬口1901-1 TEL 0267-32-8922)があります。
御代田の森のなかで : 武満徹頌   ~お陰様で5万件_c0163399_16552523.jpg武満の山荘から南下し、車ならば10分弱の位置にあります。
文字通り「浅間山麗の縄文文化」を主体とした博物館であり、一見、武満とは無関係に思われますが、
2003年開館記念特別展として「武満徹-御代田の森のなかでー」が開催されました。
やはり、地元に関係深い芸術家だから、と言うことだったのでしょう。
強引に縄文文化と関係付けないところも諒とされます。
今でも同ミュージアムのHPで、その時の展示会の一端に触れること出来ます。
 ここをクリック

当時、私はまだ軽井沢にも御代田にもご縁がなく、この特別展示会の存在を知ったのは最近のことでした。
幸い、その時の図録「御代田の森のなかで」が現在も販売中と分かり、早速、訪れて購入しました。
(メールでの注文も可能です)

図録に収録された展示品の写真や図・絵も貴重で素晴らしく、丁寧な装丁と編集内容、学芸員の方のご苦労と武満に対する深いリスペクトが感じられる1冊です。

因みに、このブログの記事での関係者のコメント等は、この図録から多く引用(「*」表示あるもの)させていただきました。
興味を持たれた方は、是非、同ミュージアムまで、お問い合わせください。


… さて、そろそろ私も下界に戻り、また、あの「日常」との闘いに復帰する時が迫ってきたようです。
信州の自然に感謝しつつ、この辺りでPCを閉じることとしましょう。
では。


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by Eiji-Yokota | 2012-07-29 01:29 | 口上
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