Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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ANTONIO CARLOS JOBIM 2 アントニオ・カルロス・ジョビン 2

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Part1 (こちらをクリック)からの続き

【 略歴 2  ブラジルから世界へ 】 
64年には前記「イパネマの娘」が米国始め各国で大ヒットし、ジョビンは世界的名声を手にします。
一方で、祖国ブラジルではボサノヴァ・ブームは終焉に近づいていました。
その一つの切っ掛けが、カステロ・ブランコ将軍によるクーデターと軍事独裁政権の樹立でした。
軍事政権は国家保安法で反政府運動を潰しにかかります。
また、「ボサノヴァは彼女のアパートで生まれた」と言われ、「ボサのミューズ」と呼ばれていたNara Leao ナラ・レオンが音楽的にはボサノヴァ以前のサンバやより民族色の濃い作品を意図的に採り上げ、政治的には軍政を真っ向から批判し始めます。ここに至って、ボサノヴァ界は「分裂」。
ノン・ポリとされたジョビンやジョアン・ジルベルト達は、以後、海外に活動の拠点を移します。
米国や欧州の方がより良い仕事の条件を提示したことも事実でしょう。偏見なく受け入れる聴衆の存在も嬉しかったことでしょう。
一方では、ジョビンは自分の作品の権利確保の為、また自己の作品に適切な英語歌詞を付ける為に米国のビジネスマンと戦わねばなりませんでした。
(因みに、もともと外交官だったヴィニシウス・ヂ・モライスは当時パリに赴任中で、映画「男と女」の制作に関与していました)



ブラジル音楽界もビートルズを嚆矢とする当時のブリティッシュ・インヴェイジョンの衝撃を受けていました。
具体的には「イェイェイェ」(勿論ビートルズの"She Loves You"の印象的なコーラスに縁るネーミング)と呼ばれたロックンロール系音楽が台頭します。
主要人物を欠き失速したボサノヴァやイェイェイェを超える形で、ブラジルの伝統的音楽や後期ビートルズやソウル・ミュージック、前衛芸術の影響を受け、政治的には反政府を貫く、新しい文化運動である「トロピカリア」(トロピカリズム)をカターノ・ヴェローザやジルベルト・ジルが展開するのは、この少し後になります。

海外特に米国を活動の主たる拠点にし、裕福になりつつあるジョビンを快く思わない同胞は、ジョビンを非難し、彼は生涯これらに悩まされることになります。
曰く、彼の音楽は神聖なサンバを冒涜する。
曰く、アメリカナイズされ過ぎ、ブラジル音楽文化を汚すものだ。
また、ジョビンが「三月の水」(後記)のCM使用を米コカコーラに認めると、ブラジルのマスコミはそれを非難しました。
「ブラジルは自分のアーティストを愛さない国なんだ」とトムは嘆いたと言います。

ジョビンは後年に到る程、自分の音楽とジャズや米国音楽との関連性、影響を強く否定するようになりますが、これらの中傷の影響があるのかも知れません。

さて、いずれにせよ、Part1でご紹介したジョビン名義の3枚のオリジナル・アルバムを含め、これからご紹介するジョビンのこの時期の作品は海外で録音されたもので、しかも飛び切りの傑作です。

また、ジョビンは他のアーティストとのコラボレーション・アルバムも数多く制作しており、それらについては別途ご紹介したいと考えていますが、その中でも特別重要なものに絞ってここでご紹介します。
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67年1月ハリウッド、シナトラとのセッション開始。編曲:クラウス・オガーマン
"Francis Albert Sinatra & Antonio Carlos Jobim"(Reprise 67年)はこの年、ビートルズの"Sgt.Peppers Lonely Hearts Club Band"に次ぐセールスを記録。
(このアルバムのエピソード、位置づけについては「イパネマの娘」の記事ご参照)
以後、ジョビンは69年にもシナトラと共演し、個人的にも親交を深めます。


このアルバムの制作後、ジョビンは後にCTI3部作(一連のボサノヴァ・レコードで味を占めたクリード・テイラーが制作)と呼ばれる作品を生み出し、一つのピークを迎えます。
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67年5~6月NY "Wave"(A&M)セッション  編曲:クラウス・オガーマン
標題曲始め、名曲・名演が詰まった完成度の高い作品で、今日でもファンの間で人気が高いアルバム。
実によく出来たアルバムで、ロン・カーター(b)始めベテラン・アーティストを配したサウンドは心地よさの極地です。




70年3~5月NY "Tide"(A&M)と"Stone Flower"(CTI)セッション。 
編曲:エウミール・デオダード プロデュース:クリード・テイラー。
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商売人のクリードは後者のテープの存在を隠し、72年の自身の新会社独立のタイミングでリリースします。
ブラジルの若き天才デオダードの才気溢れるアレンジが施された2つのアルバムの基本的なコンセプトやサウンドは共通しています。トムはここで電気ピアノも弾き、サウンドをよりカラフルなものとしています。彼の作品の中ではジャズ色が強いものです。
インストゥルメンタル・ナンバーが多く、フュージョンの先駆的サウンドあるいはイージー・リスニング風ですが、ジャズとしての聴かせどころも十分にあります。
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前者の"Tema Jazz"で聴かせるエルメート・パスコアルのフルート・ソロは絶品。後者では、トムの敬愛する先輩作曲家アリ・バローゾの名曲「ブラジル(の水彩画)」が素晴らしく、ジョアンの演奏(Amoroso)と並んで、個人的にも好きなヴァージョンの一つです。


【 略歴3 森の番人 】

70年代に入り、トムは極力ブラジルの自宅で日常を過ごすようになります。
ポッソ・フンドに自宅を建築し、自ら「森の番人」と称し、自宅近くの森に通い、小鳥たちの声を聞いて会話をするようになります。
この時期のアルバムに鳥の名が冠されたのは自然なことでした。
最も早い時期に森林の素晴らしさや保護、環境問題を作品としてリリースしたアーティストの一人でしょう。
録音の為にはやはりNYに飛ぶのですが、次の2枚のアルバムは自ら製作費を負担し、セルフ・プロデュースを貫きます。
また、これらにはトムの長男であるパウロ・エルマニー・ジョビン(1950 ~)の作品も収録されています。パウロはジャケットのイラストも一部手掛けています。
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73年1月NY "Matita Pere"セッション 
編曲:クラウス・オガーマン
(トムとオガーマンの共同プロデュース)
トムの曲の中でも人気が高く、ブラジルで大ヒットした「三月の水」収録。
表題曲は未開の奥地の小鳥。
木の幹に向かって囀る為、音が四方に拡散し、姿は見えず声だけ聞こえる鳥のことだそうです。73年5月8日  リリース 現在、入手困難ですが、例えば、右から中古業者へ→Jobim
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75年10月NY "Urubu"セッション
編曲:クラウス・オガーマン
(トムとオガーマンの共同プロデュース)
ジャケットを飾るUrubuはコンドルの一種。同名の曲が収録されている訳ではありません。滅多に姿を見せることのないコンドルにジョビンは寓意を込めたのでしょう。
最早、ここに「ボサノヴァ」のジョビンは存在しません。
この作品はブラジルの自然を謳い上げた一大叙事詩と言って良いでしょう。
後半はヴォーカルのなく、ストリングスによるセミ・クラシック風の曲が続きます。
"Saudade do Brazil"の最終テイクを録音が終了した時、ニューヨーク交響楽団のメンバーは起立して作者に拍手喝采を贈りました。

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この2つのセッションの間に、最も売れたジョビンのアルバムが作成されます。
74年2~3月LA トムとElis Regina エリース・レジーナ(1945 - 1982 )の"Elis & Tom"セッション。
曲は全てトムの作品ですが、レコーディングはエリース側のペース(編曲はエリスの夫のセザール・カマルゴ・マリアーノ)で進められました。キャリアのスタート時は、垢ぬけない田舎娘扱いされたエリスでしたが、その実力でのし上がり、ボサノヴァに対しても攻撃態度をとっていました。トムとは不仲説が囁かれていましたが、真相はともあれ出来上がったアルバムの内容は素晴らしいものでした。

特に、ファンの間では「笑うエリス」ヴァージョンとして知られる「三月の水(雨)」の二人の掛け合いは人気です。
エリスは「MPB史上最高の歌手」と呼ばれるだけあり、「薔薇に降る雨」「白と黒のポートレイト」等で見せる表現力は素晴らしいものです。

【 略歴4 出会い、別れ、再会 家族の結束 】

名声の高まりとは裏腹に長年連れ添ったテレーザとトムの結婚生活は暗礁に乗り上げていました。
77年、二人は離婚。
78年、50歳のトムは28歳年下の写真家アナ・ベアトリス・ロントラと恋に落ち、結婚します。(正式な入籍は86年4月30日)
また、この頃、ミウーシャ、トッキーニョ、ヴィニシウスとのジョイント・ライヴが企画され、大成功を収めます。
(ヴィニシウス・ヂ・モライスの""WHO'S WHO"参照)
79年2月2日 義父セルソ・フロッタ・ペッソーア死去。
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79年夏、NY。 "Terra Brasilis"セッション
編曲:クラウス・オガーマン (これが最後の共同作業となる)
プロデュース:アロイージオ・ヂ・オリヴェイラ
新旧のオリジナルが収録された2枚組
英語やポルトガル語を交えて歌っています。
新曲"Two Kites"は最初からジョビンによって英語で歌詞が書かれました。新婦アナも"Voce vai ver"で歌っています。カヴァー・ワークはパウロ・ジョビン。
80年4月発表(Warner Bros.)。

80年7月9日 ヴィニシウス・ヂ・モライス死去。
その年のカーニヴァルの季節に詩人は初めてトム・ジョビンをポッソ・フンドに訪ねます。彼はその時、既に脳水腫と診断されており、体調を崩していました。トムには友人が最後の別れを告げに来たことが分りました。
互いの埋葬には出ないと言う生前の約束を守り、その日終日トムは朝から知人を相手に酒場で飲んで過ごしたと妹のエレーナは書いています。
冒頭の画像は10年後に行われたトムによるモライス追悼コンサートのライヴ"Tom Canta Vinicius 「ジョビン,ヴィニシウスを歌う」"(Universal 00年)のカヴァー。

84年 家族を中心としたバンド「バンダ・ノヴァ(Banda Nova)」を結成。
メンバーは、妻アナ、息子パウロ・ジョビン、娘エリサベッチ・ジョビン、ダニーロとシモーニ・カイミ夫妻、マウーシャ・アヂネ、ジャキスとパウラ・モレンバウムの夫妻、セバスチアォン・ネット(b)、パウロ・ブラーガ(ds)。
以後、彼らは世界中で160回以上のステージを務め、1986年8月には来日も果たしている。
下記3枚のアルバムもバンダ・ノヴァとのコラボレート。
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86年11月~87年3月 リオ  "Passarim"セッション 
プロデュース&編曲:ジョビンとジャキス・モレンバウム
トムの作品の他、パウロやバンダ・ノヴァのメンバー、そしてガーシュウィンの作品を収録。
カヴァー・アート(右画像)は娘のベッチ・ジョビン
87年1月 リリース(Verve)

87年5月~8月 リオ "Inedito"セッション
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音楽史研究家ヴェラ・ヂ・アレンカルの発案で、トムの60歳を記念するアルバムとして企画され、トムの評伝まで付けられ、彼や関係者に贈呈された。
トムはここで初期の作品から代表作までを選び、パウロとジャキスに編曲と音楽監督を委ねます。
一般にリリースされたのは彼の死の直後、95年(BMG)になってからでした。

89年11月17日 母ニルザ死去。
90年2月12日 NY スティングの企画した熱帯雨林救済のベネフィット・コンサートに参加。
92年12月22日 リオ トムとジョアン・ジルベルト、カーネギー・ホール・コンサート30周年記念コンサートで久しぶりに再会・共演。
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94年 リオ "Antonio Brasileiro"セッション
プロデュース:パウロと孫のダニエル コンピュータやシンセサイザーを活用。
アナとの娘ルイーザも参加。
先のスティングが、"How Insensitive"で、ジョビンと共演、ヴォーカルをとっています。
結果として、遺作となったこの作品はグラミー賞ベスト・ラテン・ジャズ・パフォーマンスに輝きました。(EPIC)

94年9月12日 リオ "Fly Me To The Moon"セッション
シナトラの"Duets II"(Capitol)の企画に応じ、「ザ・ヴォイス」が吹き込んだ"Fly Me To The Moon"のヴォーカル・トラックにピアノとヴォーカルをオーヴァーダビング。パウロはヴィオラォンを担当。
プロデューサー:フィル・ラモーン("GETZ/GILBERTO"ではエンジニアを務めていた)
トムが"Francis , Let's fly !"と呼びかけ、絶妙のタイミングでシナトラのヴォーカルが。
「これまでで最もひどい条件でレコーディングした曲だよ。録音の前におさらいする時間もなかったし、なにかもアドリブなんだ」(エレーナ・ジョビン「アントニオ・カルロス・ジョビン」96年)
既に体調がすぐれず血尿が出ていたトムは、その時、尿検査の結果待ちの状態でした。

94年12月1日 膀胱に悪性腫瘍(第三度)が発見されたトムはニューヨークのマウントサイナイ病院で手術を受けるべく渡米。
12月8日 前々日に行われた手術からは回復に向かっていたにも拘わらず、突如、心臓停止、続いて、肺の梗塞を来し、絶命。
(医療ミスの疑惑が囁かれている)
翌朝遺体を乗せた飛行機がリオに到着。
遺体はサン・ジョアン・バチスタ墓地に埋葬されました。
大統領令が発され、国民は3日間の喪に服しました。

シナトラは「世界は最も有能な音楽家の一人を失ってしまったし、私は驚嘆すべき友人を失ってしまった」と異例のコメントを発表。
99年 彼の功績を称え、ガレオン空港はアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港と改名。空港の一角に"Samba do Aviao"「ジェット機のサンバ」の歌詞を刻んだプレートが設置されたことは言うまでもありません。

手術の為に渡米する兄から留守宅を委ねられたエレーナは、トムの伝記の終章で、こう記しています。
              # # #
ピアノには1枚の譜面が残されていた。入院前、トムが弾いていた曲だ。甥(注:トムの息子、パウロと思われる)は私に、とても美しい曲だと言う。
"There Will Never Be Another You"  (注 Mack Gordon:詞/Harry Warren:曲)
              ♫ ♫ ♫
そうです、世界は掛け替えのない音楽家を失ってしまいました。
トム・ジョビン、貴方はこの世に二人といない…

【 代表作 】

数百曲の中から絞り込むのは困難な作業ですが、ヒットした曲、多くカヴァーされている曲、トムの経歴上重要な曲をキーに独断と偏見で並べました。
ポルトガル語のアルファベット順。
各曲名の表記は、原語表記(原題が英語のものはそのまま)、(英訳タイトル)、邦題、発表年、(共作者名*)
   * VM=ヴィニシウス・ヂ・モライス 主としてヴィニシウスが作詞、トムが作曲
  *NM=ニュウトン・メンドンサ 互いに詞と曲(フレーズ)を出し合う
  *他の共作者は作詞担当 solo は詞も曲もトム
なお、英訳の訳者は(ジョビン以外)表記を除外した

         *********

・A Felicidade (Goodbye sadness) 悲しみよさようなら 58 (VM)
・Água de Beber (Water to Drink) おいしい水  61(VM)
・Águas de Março (Waters of March) 三月の水(雨)/秋の流れ 72 (solo)
・Caminhos Cruzados 十字路 58 (NM)
・Chega de Saudade (No More Blues)  想いあふれて 58 (VM)
・Chovendo na Roseira(Double Rainbow) バラに降る雨 71 (solo)
・Corcovado (Queit Night of Quiet Srars) 静かな夜 62 (solo)
・Desafinado (Off-key) ヂサフィナード 59 (NM)
・Dindi ヂンヂ 59 (Aloysio de Oliveira) 
・Ela e Carioca (She's A Carioca) 彼女はカリオカ 63 (VM) 
・Foi a Noite (It Was Night) ある夜 56 (NM)
・Garota de Ipanema (The Girl From Ipanema) イパネマの娘 63 (VM)
・Insensatez (How Insensitive) お馬鹿さん 63 (VM)
・Inútil Paisagem (Useless Landscape) 無意味な風景 63
   (Aloysio de Oliveira) 
・Meditação (Meditation) メディティション 59 (NM) 
・O Amor em Paz (Once I Loved) 平和な愛 60 (VM)
・O Grande Amor 偉大なる愛 60 (VM)
・Retrato em Branco E Preto (Picture in Black and White)
  白と黒のポートレイト 65/68 *(Chico Buarque)
   (*65年作"Zingaro"に、シコが歌詞を付け改題された)
・Sabia サビア 68 (Chico Buarque)
・Samba do Avião (Song of the Jet) ジェット機のサンバ 62 (solo)
・Samba de Uma Nota Só (One Note Samba) ワン・ノート・サンバ 61 (NM)
・So Danco Samba (Jazz Samba) ジャズ・サンバ 62 (VM)
・Two Kites 80 (solo)
・Wave 波 67 (solo)


 → トム・ジョビン Part1 (こちらをクリック)

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by Eiji-Yokota | 2009-07-20 00:13 | WHO'S WHO
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