Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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駅に咲く桜

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関東では桜もそろそろ散り際…

上の画像は私の居所の近くの駅のホームの光景です。
なんと桜がアスファルトを突き破って自生しています。
(ストーン・フラワーならぬアスファルト・チェリーですかね?)
毎日のラッシュ時。
電車に乗り遅れまいと、自らの存在に気付くこともなくダッシュする人々を、この桜は優しく見つめていました。
そして、休日。
時ならぬお花見が出来て驚いた人達が携帯で臨時の撮影会を始めています。
そうやって、束の間、人々に安らぎを与えていた駅の桜もそろそろ見納め…

ようこそ、Naomi's Choiceへ。

今回の曲は"No More Blues/Chega de Saudade"「想いあふれて」です。

ボサノヴァ第1号ともみなされているこの曲には私も色々「想いがあふれて」います。
その為か、(例によって)書き過ぎて、1記事として容量をオーヴァーし、泣く泣く色々削りました。
また、採り上げた曲に関係深い作詞家・作曲家・アーティストに焦点を中てる"WHO'S WHO"のコーナーには、今回頑張って3人も登場させました。
ボサノヴァのVIP達…アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モライスそしてジョアン・ジルベルト。
もっとも、ボサノバは間違いなく、この3人によって形成されていったのですが、彼等自身はやがてそれぞれの道を進み、自分の過去の栄光(ボサノヴァ)に拘らず、それを超越した独自の世界を築き上げていくのですが…
因みに、流石にジョビンは力が入りすぎて、スタートから飛ばし過ぎて、またも容量オーヴァーし、残りはパート2として、つまり続編として後日公開することとしました。
これらに伴い、"The Girl from Ipanema / Garota de Ipanema" 「イパネマの娘」の記事も、若干追加&修正しました。
お時間のある方はそちらもどうぞ。

ところで、あなたはボサノヴァを単に「夏/太陽/青い海/白い砂浜/心地よい波の音」なんてイメージだけで捉えていませんか?勿論、それは決して間違いではありません。
でも、それだけが、ボサノヴァでもないと私は思っています。
それについて少し本文で書いてみました。

さて、当初の原稿から削った部分の一つに、ボサノヴァとジャズ・サンバの違いを論じた下りがありました。
いまだに、ジャズとサンバが融合して、ボサノヴァが生まれたと思っている方もいらっしゃるようですが、本文のとおり、決してそう言うことはありません。
真相はブラジルで(多少はジャズの影響もあったかも知れませんが)独自に発展したボサノヴァに魅せられたジャズが、一方的に自分のフィールドに引き込んだに過ぎません。
彼等が「ボサノヴァ」と呼んでいるものは私には、ただのジャズにしか聞こえません。
強いて言えば、「ジャズ・サンバ」でしょうか。
(勿論、コテコテのジャズ・ファンである私はそれらを否定するものではなく、楽しければ喜んで聴きます)

さて、「音楽をカテゴリー分けするのは意味がない、間違っている」「音楽に区別はない、良い音楽とそうでない音楽とに…」云々と言う意見をよく耳にします。
一見もっともらしく、聞こえます。
しかし、私は素直にそれには従えません。

ジャズにはジャズの、ボサノヴァにはボサノヴァの、そして各音楽にはそれぞれの約束事や決まりがあります。
そして、それらには、一つの様式美にまで築き上げる迄の先人の血と汗と涙、営々と重ねられた試行錯誤とトレーニングがあった訳です。
それを思えば、軽々と先に挙げたようなもっともらしい耳当たりの良い言葉には騙されないぞ、と思うのです。
それは先達の努力に対して、失礼ではないかと思う、私の「こだわり」です。

ジャズになくて、ボサノヴァにあるもの…
人様々な意見や見解があるでしょうが、私はその一つが本文でも触れた「サウダージ」かな、と思っています。
「孤独」と言う語源から出たという説もある言葉ですが、ボサノヴァに限らず、ブラジル音楽に欠かすことのできないファクターの一つだと私には思えてなりません。おそらくブラジル人のメンタリティの奥深くに潜む何か…

勿論、日本人である私に、ブラジル人の魂とも言うべき、この言葉が分かっているかと言えば、答えはNoです。

ただ、世界中で今もなお、そしておそらく最もボサノヴァが愛されているのが日本であると言う事実…
それに対して、色々準備された説明。
曰く、中産階級の音楽としてのボサノヴの音楽性と(かつて)1億総中流と言われた日本の親和性。
曰く、日本人のメンタリティによく合った音楽、おそらく遠い祖先が同じであり…

そして、「しず心なく」散る桜を見て、全く同じではないけれど、日本人の大好きな「もののあはれ」には、「サウダージ」に通じる何かがあるのかなあ、と思いを廻らす今日この頃の私がいます。

では、本文をどうぞ。
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by Eiji-Yokota | 2009-04-14 00:48 | 口上 | Comments(2)

ANTONIO CARLOS JOBIM アントニオ・カルロス・ジョビン pt1

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1927年1月25日-1994年12月8日  67歳。
本名:Antônio Carlos Brasilero de Almeida Jobim
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ、チジュッカ地区出生
NYマウントサイナイ病院で心臓発作の為死去
作曲家、ミュージシャン。ボサノヴァの創始者の一人。
(「ボサノヴァの帝王」と呼ぶ人もあります)
一早く環境問題を唱えたエコロジスト。

600を超える曲を創造し、(まだ、100曲程未レコード化があるとか)多くのアーティストが今も彼の作品を演奏し、ボサノヴァの枠を超えて、20世紀の音楽に大きな影響を及ぼした。
ファンや周囲の人間は親しみを込めて彼を「トム」とファースト・ネームで呼びます。
(妹のエレーナが書いた彼の伝記によると、彼女が呼んでいたことに始まったらしい。因みに彼女は「トン」と呼んでいたようですが、ここでは慣例に従って「トム」と表記します)

ガーシュウィンやエリントンにも匹敵するこの巨人に関しては、2部構成で、その生涯とアルバムを辿りたいと思います。
(Part 2 →こちらをクリック)

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by Eiji-Yokota | 2009-04-13 00:50 | WHO'S WHO | Comments(0)

JOAO GILBERTO  ジョアン・ジルベルト

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Joao Gilberto Prado Pereira de Oliveira
1931年6月10日ー ブラジル、バイーア州ジュアゼイロ出生  
歌手、ギタリスト ボサノヴァの創始者の一人。
「ボサノヴァの神」「ボサノヴァの法王」とも呼ばれる。
喜怒哀楽を込めドラマチックに歌われるブラジル音楽(サンバ)にあきたらない当時の若者に、つぶやくように歌うこのスタイルは広く受け入れられました。

若い頃から、気分屋、気まぐれ、偏屈、完全主義者と評されることが多く、ボサノヴァ・ブーム以後はジョビンとは対照的に一部の親しい人間以外とは接触を断ち、求道者的、「孤高」の存在として知られる。

なお、本来、現地での発音に忠実表記すれば、「ジョアォン・ジウベット」となるようですが、このブログでは完全に定着している上記表記で統一します。

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by Eiji-Yokota | 2009-04-05 23:30 | WHO'S WHO | Comments(0)

VINICIUS de MORAES ヴィニシウス・ジ・モライス

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1913年10月19日-1980年7月9日 66歳
本名:Marcus Vinicius da Cruz de Melo Moraes
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ出生 
外交官、詩人、歌手、ジャーナリスト
洗練された詩風、美しい言葉でアントニオ・カルロス・ジョビンらと共にボサノヴァ・スタイルを生み出した。
透徹した詩人の目で物事を見据え、ボサの歌詞を書いても、他者の凡百のMBP作品とは一線を画す格調があった。
生涯、400以上の詩と400以上の作詞を行ったと言われている。

【 略歴 】
38年、オックスフォード大学留学
39年、最初の結婚(11年後、離婚。通算9回結婚する)
46年、外交官としてLA赴任。
任地に赴かない外交官は薄給の為、雑誌に人生相談(!)や音楽批評等を掲載して稼いでいた。その傍ら詩作に励み、アーティスト仲間達から一目置かれる存在となります。
その作風・テーマは「死」「罪」に関するものが多かった。
54年、ギリシア神話のオルフェウスとユーリディスの物語を、カーニヴァルに湧く当時のリオに置き換えた戯曲"Orfeu da Conceicao"(Orpheus of the Conception)を執筆。
56年9月25日、歌劇"Orfeu da Conceicao"「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」、リオデジャネイロ市立歌劇場で初演。
後に世界的にヒットした映画「黒いオルフェ」(59年 Eng:Black Orpheus/frc:Orphee noir/Ptg:Orfeu Negro)の原作にあたる、この作品の作曲を詩人が委嘱したのが、若きトム・ジョビン。二人の共通の知人である新聞記者の推薦だった。以後、二人は共作活動を開始。多くの名作を残す。(後記、代表作参照)
62年8月2日、「イパネマの娘」初演。
この作品を最後にジョビンとの共同作業関係は終了。
ジョビンが別の人間と共作しようとするとヴィニシウスが嫉妬し、この為ジョビンが離れたとも言われていますが、二人の友情は後記のように生涯続きます。
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彼自身はその後もバーデン・パウエル(1937 - 2000 ブラジルのギタリスト、作曲家)やトッキーニョ(1946 - ブラジルの歌手、ギタリスト、作曲家)とコラボレートし、詩作を継続。

・入手可能なそれぞれの共作アルバム
バーデン・パウエル:
"アフロ・サンバ"(Universal 66年) (左画像)
トッキーニョ:
"ヴィニシウスへのサンバ"(Universal 74年) (下画像)
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これらの活動を通し、ボサノヴァにとどまらず、サンバやアーシー(アフロ・サンバ)な作品を創造。
また、外交官として各地に赴任。特にフランスではフランシス・レイやピエール・バルーにボサノヴァを教え、「フレンチ・ボッサ」を誕生させたと評される。
(クロード・ルルーシュ監督の映画「男と女」(66年)にも協力。彼とバーデン・パウエルの共作の"Samba da Bencao「祝福のサンバ」"が使われている)

国連ユニセフ大使まで務めたが、64年のクーデターによる軍事政権樹立後は左翼的ポリシーが嫌われ排斥される。
68年、「アルコール依存症」を理由に外務省(イタマラチー)を馘首さる。
(10年2月 外務省公式に名誉回復)
以後彼は音楽活動に専念。歌も披露し、トッキーニョとステージにも立った。
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左画像は、ミウシャ(ジョアン・ジルベルトの元奥さん)とジョビンの共演アルバムのプロモーションを兼ね、久々にブラジルに戻ってきたヴィニシウスとトッキーニョのコンビに15年ぶりにブラジルでライヴを行うこととなるトム・ジョビン、そしてミウシャが共演したステージ。
曲作りチームこそ解消しましたが、トムとヴィニシウスの友情が永遠だった証でもあります。
Gravado Ao Vivo No Canecao(伯 Som Livre)
77年、リオのナイトクラブ「カネカオン」でのライヴ。
中でも白眉は" No More Blues / Chega de Saudade"の記事でもご紹介したヴィニシウスとトッキーニョによる「トムへの手紙 74」。観客をノスタルジーに誘い込み、続くジョビンからの返歌「トムからの手紙」で大爆笑させます。
ライヴは好評で、8か月継続。

80年2月、ヴィニシウス、ポッソ・フンドのトム・ジョビン邸を最初で最後の訪問。
彼はその時、既に脳水腫と診断されており、体調を崩していました。
トムの妹、エレーナは「トムは友人が最後の別れを告げに来たことが分った」と記している。

80年7月9日 ヴィニシウス逝去。
互いの埋葬には出ないと言う生前の約束を守り、その日終日トムは朝から知人を相手に酒場で飲んで過ごしたと言います。

ウィスキーを愛し、美しい女性を愛し、生涯9回結婚の他、様々な奇行が伝わっている。
例えば、入浴が好きで、客人を一緒に浴槽に入り、もてなすのを好んだのは有名。
歳を取るについれて、ボヘミアン化し、身軽に、自由になれ、相手の女性も若くなっていく傾向があったと言われています。
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彼の生涯を追った記録映画「ヴィニシウスー愛とボサノヴァの日々ー」(ミゲル・ファリアJr. 制作・監督・脚本 1001Films Ltd.2005)も作成された。
日本でも09年4月18日から上映。
関連サイト→ここをクリック
右画像はサントラCD"Vinicius de Moraes"(Radoszynski 05年)。カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル他によるトリビュート・アルバムになっています。

【 代表作 】
アントニオ・カルロス・ジョビンとの共作
・Chega de Saudade (No More Blues)  想いあふれて
・A Felicidade (Goodbye Sadness) 悲しみよさようなら
・Insensatez (How Insensitive) お馬鹿さん
・Água de Beber (Water to Drink) おいしい水
・Garota de Ipanema (The Girl From Ipanema) イパネマの娘

バーデン・パウエルとの共作
・Berimbau ビリンバウ

トッキーニョとの共作
・Carta ao Tom 74 (Letter to Tom 74) トムへの手紙 74年


幸福とは
花びらに浮かぶ水滴
軽く震えてすぐ愛の涙のように
流れ落ちる

(Felicidade より)

【 公式サイト 】
Vinicius de Moraes (ポルトガル語) ← クリック

【 本ブログの関連記事 】
The Girl from Ipanema / Garota de Ipanema 「イパネマの娘」 (作詞)
No More Blues / Chega de Saudade    (作詞)

冒頭の画像は最新(06年)の自作自演集CD"Vinicius"(Universal)のカヴァー。

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by Eiji-Yokota | 2009-04-05 00:44 | WHO'S WHO | Comments(0)

なぜか青春時代

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Naomi's Choice へようこそ。
今日の「有美さんが歌った歌」は加藤登紀子さんの「時には昔の話を」です。
白状すれば、ジャズには多少覚えのある私も、邦楽にはからっきし弱くて、この曲を有美さんが歌った時、私はタイトルはおろか歌手名も分かりませんでした。
これまで彼女のライヴには度々足を運び、聞いた曲数は(重複を含み)百に近い筈ですが、オリジナル曲を除き、曲名が分からないことなど一度もありませんでした。しかし、そのちっぽけな自負も潰え去る時が来てしまいました。
「どこかで聞いたような曲なんだよなあ。それに…」
と、私はNew Comboのテーブルで片肘をつきながら、彼女の声を耳で追う一方で、朧気に別の光景を思い浮かべていました。
「あの世界の匂いがする…」

後日、彼女に連絡をとり、曲名・歌唱者を確認しました。
同時にあの時、私が思い浮かべたものの正体が判明しました。

日本で暮らしている以上、意識するとしないとに拘わらず、加藤登紀子さんの歌を聞かずに数年を過ごすことは不可能でしょう。だからと言って彼女のことをどこまで理解しているかと言うと甚だ心もとない限りです。
ファンでもなかった私はそれまで彼女のアルバムをまともに聴いたことはありませんでしたので、これを機会に片っ端から聴いてみました。しかし、なにせ多作な彼女の膨大な作品群(60以上のアルバムを作成している…)の全てに触れることは到底出来ない相談でした。しかし、それでも結構聴きこみましたね、ええ、それなりに楽しかったですよ。色々発見もあって。本やエッセーにも目を通しましたし…
彼女は政治的信条であれ、音楽であれ、ライフ・スタイルであれ、自分の信念を貫き通し、邁進し、拘り抜く力量も度胸も同志・スタッフも有している人だなあ、とそのパワーにはつくづく驚かされました。

さて、話を「あの時、私が思い浮かべたもの」に戻しましょう。
それは清水邦夫作、蜷川幸雄演出による芝居「なぜか青春時代」のシーンでした。

  舞台は、駅の操作場近くのビアホール。
  亭主に蒸発されて以来、一人で店を切り盛りしてきた女主人。
  今日で店を閉じようと思っていたところに、一人の女が訪ねてきます。
  彼女は15年前、再会を約してこの店で別れた、かつての仲間達に会う為に
  札幌から上京してきたと告げます。
  彼女の話を聞いた女主人は閉店を1日遅らせることにします。
  そして翌日、三々五々当時の仲間達が店に集まります。
  15年前のあの日。彼等は警官に追われ、この店に逃げ込んできた学生運動の活動家達でした。
  しかし、やがて蘇ってきた「あの日」は各人にとって苦いものとなります…


勿論、この芝居とこの曲との間には直接的な関係はない筈です。しかし、底に流れているのが、学生運動華やかリし頃の「あの時代」と言う共通点であることに私の第6感が反応したのでしょう。

実は私は学生時代、一時芝居に明け暮れていました。
(だから今でも「やることなすこと全て芝居がかっている」ですって?!)
それも所謂アングラ演劇に。

60年代後半、新劇に代表される商業演劇に対抗する形で、反体制・反商業主義的色彩の濃い演劇活動(小劇場活動)が学生運動とも連動する形で人気を集めました。
唐十郎の状況劇場(紅テント)、寺山修二の天井桟敷、佐藤信の黒色テント68/71、鈴木忠志の早稲田小劇場。4人は「アングラ四天王」と呼ばれていました。他に自由劇場の串田和美もいましたね。
70年代初頭、地方で学生時代を迎えていた私は直接それらに接することは出来ませんでしたが、脚本を読んで、あまりにもそれまで馴染んでいた世界との違いに驚き、夢中になったものです。
そして、自分達も作ってみたい、と…

あの頃は、四天王を追うように次々と新しい才能が出現しました。
その中でも、私が一番興味を持ったのが、清水邦夫と蜷川幸雄のコンビでした。
清水の脚本には舌を巻くと共に嫉妬しました。それはまさに「詩人が書いた戯曲」でした。
主人公達はいつも何がしかの哀しみと狂喜を背負い、謎めいたストーリーが展開し、研ぎ澄まされた珠玉の言の葉がその間隙を縫い、観客を陶然とさせます。
蜷川の演出は意外性に充ち、観客を飽かせません。
音楽の使い方がまた絶妙でした。
(このブログのミッションは音楽ですから、ここで書いておかないと…)
Amazing Grace、バッハ、パッヘルベルのカノン、サティ、ボブ・ディラン、ニナ・ハーゲン、キング・クリムゾン、遠藤ミチロウ、戸川純、津軽じょんがら節、果ては森進一まで、実に多様。
いずれも、極めて個性的な音楽で、役者や舞台と対峙します。
優美で完璧な曲、徹底的にとんがっているアーティスト、激しく自己主張する唯我独尊のサウンド、その多くは毒を秘め…
見事に、私好みの曲ばかりです。

やがて、このコンビにも別れが訪れます。
私が社会人となって上京してきた時、宴はもう終わっていました。
清水は木冬社を率い、更に自分の世界を掘り下げていました。
蜷川は商業演劇に転身し、「裏切り者」との批判もモノともせず、古今東西の有名作を採り上げ、斬新な独自の空間を現出せしめ、確実に商業演劇の観客層を拡大させていました。
アングラ時代の香りをふんだんに残したそのおどろおどろしい舞台は私のお気に入りでした。それは、しばし現実世界を忘れさせ、異次元に我々を誘ってくれるものでした。

そのうち、清水作品の会場で蜷川を見かけるようになりました。その逆も。どちらの公演の時だったか、休憩時間か何かに二人が揃って出てきて、「メシでも食おうか」なんて言っているのを聞いた私は、ミーハーよろしく、一人興奮したりしていました。

果せるかな、そんな二人がまたコンビを組むと言うニュースが伝わり、歓喜しました。

・雨の夏、30人のジュリエットが還ってきた  (82年 日生劇場)
・タンゴ、冬の終わりに     (84年 PARCO劇場)
・血の婚礼    (86年 ベニサン・ピット)
そして…
・なぜか青春時代   (87年 PARCO劇場)

いずれも、強い印象が残っている作品です。

ビートルズの生のステージは見られなかったけれど、ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンの1回限りのジョイント・ツアーは見ることが出来たことが私のちっぽけな自慢であるように、
70年代の清水+蜷川は見られなかったけれど、80年代の再会はこの眼で確かめられた。
と、言うのが私のささやかな宝物です。

さて、ここまで書いてきて、この曲とこの芝居が同じ87年の作品であることに気付きました。
なんと言う偶然!
いえいえ、その実、これは案外「必然」だったのかも知れませんよ。
私の第6感もなかなかやるじゃないか…

1987年----
NTT株式上場。当日は人気が殺到してストップ高で値がつかず、数日後、放出価格の倍の240万円に上昇しました。日本の企業がゴッホの「ひまわり」を53億円で落札し、世界的話題になりました。
そう、時代はまさにバブル。
国民は「財テク」に走り、おねえさんは「ワンレン・ボディコン」で闊歩していました。
JRグループが発足したのも、衣笠祥雄選手が2131連続試合出場の偉業を果たし、引退・国民栄誉賞に輝いたのもこの年でした。
一方、NYでは、バブル崩壊の前兆とも言うべき、株価の大下落「ブラック・マンディ」も起こっていました。
(後、一時株価回復)
ベストセラーでは、俵万智「サラダ記念日」、村上春樹「ノルウェイの森」など…
ヒット曲は、瀬川瑛子「命くれない」、中森明菜「TANGO NOIR」、近藤真彦「愚か者」、島倉千代子「人生いろいろ」、そして加藤登紀子「百万本のバラ」…この曲のA面でした。

では、お後がよろしいようで…

PS
有美さんのHPでも、「一言お便り」が更新され、また、新しいライヴの情報が掲載されています。
彼女のHPへは左にあるリンクをクリックください。
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by Eiji-Yokota | 2009-04-02 00:49 | 口上 | Comments(5)