Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
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カテゴリ:WHO'S WHO( 15 )

BILLY STRAYHORN    ビリー・ストレイホーン

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William Thomas Strayhorn (November 29, 1915 – May 31, 1967)

作編曲家、ピアニスト
Duke Elligton の片腕として、40年代から60年代の同オーケストラのサウンド確立に多大な貢献をした。
代表作に、"Take The “A” Train"、"Chelsea Bridge"、"Lush Life"等

生:米国、オハイオ州デイトン Dayton
没:米国、NY州NYC 食道扁平上皮癌 51歳

父:James Nathaniel Strayhorn
母:Lillian Young Strayhorn

おそらく最も有名なジャズ曲の一つである"Take The ”A” Train"の作者でありながら、彼の名前や生涯はそれほど知られてはいません。
しかし、Miles Davisや彼の同僚とも言えるGil Evansが「自分達のやっていることは(エリントンと)ストレイホーンの再現の試みに過ぎない」と言う趣旨の発言をしていることからも、当時のミュージシャン達にとって、いかに敬愛され、偉大なその存在だったかが推し量られます。

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by Eiji-Yokota | 2012-04-30 21:11 | WHO'S WHO | Comments(0)

DuBose Heyward    デュボウス・ヘイワード

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Edwin DuBose Heyward (August 31, 1885 – June 16, 1940)

小説家、詩人、作詞家、脚本家、童謡作家、実業家
オペラ"Porgy and Bess"の原作、脚本、作詞家として知られる。

父:Edward Watkins Heyward
母:Jane Screven Dubose
妹:Jeannie
妻:Dorothy
娘:Jenifer

南カロライナ州チャールストン生まれ
北カロライナ州タイロンにて心不全で死去 54歳

冒頭の画像は、James M. Hutchissonによる"Dubose Heyward: A Charleston Gentleman and the World of Porgy and Bess "(Univ. Press of Mississippi 04年)のカヴァー。

【 略歴 】

ヘイワード家の祖先には、大陸会議の南カロライナ代表に選出され、あのアメリカ独立宣言にサインしたThomas Heyward, Jr. (1746 – 1809)がいます。その後判事を務める等トーマスは地元チャールストンの名士でした。
一族が住むチャールストンは米国屈指の港湾都市で、また、アフリカから連れてこられた奴隷とその子孫が多い地区でもありました。
南カロライナとジョージア周辺に住んでいたこれらアフリカ系アメリカ人はガラ人と呼ばれ、全米で最もアフリカ文化の痕跡を残していると言われています。彼等の話す言語は英語とアフリカ語の混成語でガラ語(Gullah language)と呼ばれていました。
そのチャールストンの街も南北戦争で徹底的に攻撃され、街は壊滅状態となり、ヘイワード家も没落。

1888年5月21日、デュボウスが2歳の時に精米工場で働く父Watkinsが機械に巻き込まれ亡くなります。
以後、デュボウスは母、母方の祖母、妹と女ばかりの家庭で育ちます。
母Janeは家に下宿人を置き、裁いものや街の印刷屋に為に詩的な広告を書くことで、なんとか生計をたてていました。唯一の男性であるデュボウスは9歳のときには新聞配達のアルバイトで日銭を稼いで家計を助けていました。

学校は、最初は私立に通っていましたが、9歳からは公立へ通います。
成績は悪くなかったようですが、体が弱く、その上、何事も上の空でサボり癖もあったので、14歳で退学。
以後、金物屋の事務員、その後汽船会社で黒人の港湾作業員の監督を務めます。

楽しみは近くに住む黒人達の音楽を聴くことだったと言われています。
母のJane(自らをJanieと呼んでいました)の実家は南北戦争前は大きな農園を経営しており、彼女はそこで黒人達の音楽、ガラ・ミュージックに親しんでおり、よく歌っていました。
当然ながら、母以外にも彼の周囲には黒人音楽が溢れていました。

18歳の時、ポリオ(急性灰白髄炎・ウィルス感染症)に罹り、右腕の機能に障害を受けます。彼が左利きだったのは幸いでした。
2年後は腸チフス、翌年は胸膜炎、と体調不調が続きます。
ベッドで戯曲や小説を書き始めます。

1908年、友人のHarry T.O'Neillと共に保険代理店の経営を始めます。
デュボウスは有能なセールスマンであり、事業は成功します。

1914年、第1次世界大戦はチャールストンの街を復興させます。
デュボウスは右腕障害等の為、入隊は出来ませんでしたが、熱心な参戦論者でした。

1917年、北カロライナのヘンダーソンヴィルで夏季逗留をし、ここで絵画や詩の創作に本格的に取り組み始めます。
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1920年、同郷の詩人、John Bennett、Hervey Allen と
Poetry Society of South Carolina設立。

1921年、ニュー・ハンプシャーのPeterboroのMcDowellのライティング・コロニーに初参加。
ここで脚本家志望の Dorothy Kuhns と出会う。

1923年9月22日 デュボウスとドローシーは、NYで結婚
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上画像は彼が1919年から24年にかけて居住していた建物。
住所:南カロライナ州チャールストン、チャーチ・ストリート76番。
"Porgy"の舞台となる「なまず横丁」のモデルである「キャベツ横丁」はこの近く(同89-91)にありました。
71年11月、米国National Historic Landmarks Program 登録。(登録番号71000749)

1924年 デュボウスは、保険事業を売却し、文筆一本で生きていく決意をし、北カロライナへ引越します。
1925年9月 "Porgy"出版
「米国黒人の生活を描いた最初の小説」と評価され、ベスト・セラーに。

1927年10月 ヘイワード夫妻の脚本による舞台"Porgy"初演。(NY、ギルド・シアター)

1935年10月 ガーシュウィンのオペラ"Porgy and Bess"ギャラ・オープン (NY、アルヴィン・シアター)

1936年にはASCAPに参加、著作権登録しています。
(今日では"Porgy and Bess"関係主体に74アイテム登録)
北カロライナ大学から名誉学位を受け、南部文芸の主要作家の一人とみなされています。

【 "Porgy"以外の著作 】
Caroline Chansons (1922) w Harvey Allen  詩集
Skylines and Horizons (1924)  詩集
Angel in the Forest (1926)
The Half-Pint Flask (1929)
Mamba's Daughters (1929)
Jasbo Brown and other Poems (1931)  詩集
Brass Ankle (1931)
Peter Ashley (1932)
Lost Morning (1936)
Star Spangled Virgin (1939)
The Country Bunny and the Little Gold Shoes (1939) 童話
(邦題「ふわふわしっぽと小さな金のくつ」(PARCO 93年))
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また、映画本体のエンド・ロール等にはクレジットされていませんが、今日、次の映画(いずれもMGM)の脚本にヘイワードの関与が認められています。

Eugene O’Neill原作
 The Emperor Jones 「皇帝ジョーンズ」
 (1933) 未確認ながら、ヘイワード自身もチョイ役で出演しているとか。
Pearl Buck原作
 The Good Earth 「大地」(1937)


【 関連記事 】

Summertime   (作詞)
上記記事は3部構成ですが、Part1にて、小説・演劇の"Porgy"及びオペラ"Porgy and Bess"誕生までを採り上げています。
上記ヘイワードの住まいの近くのキャベツ横丁等の画像も掲載。
Part3では、"Porgy and Bess"について、ストーリー他多角的に採り上げる予定です。

【 関連サイト 】

Porgy
"Porgy"の全文や当時のチャールストン、ヘイワードについて記されています。

【 参考文献 】

上記ヘイワードの評伝の他、同じJames M. Hutchisson編著による、
A Dubose Heyward Reader (Southern Texts Society)(Univ. of George Press 03年)


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by Eiji-yokota | 2010-07-20 00:01 | WHO'S WHO | Comments(0)

MITCHELL PARISH ミッチェル・パリッシュ

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1900年7月10日~1993年3月31日 92歳
本名:Michael Hyman Pashelinsky
出生:リトアニア
逝去:米、NY、マンハッタン、NY Hospital / 死因: 脳卒中、癌
ユダヤ系移民として米国へ。作詞家として大成。
"Stardust""Moonlight Serenade""Sophisticated Lady"等不朽のスタンダードナンバーに歌詞を付けた。
彼は特定の作曲家とティームを組むことは殆んどなく、専らプロの作詞家として、依頼を受けて、曲に詞を付けることが多かった。
カンツォーネで唯一全米No.1となった"Volare"(原題"Nel blu dipinto di blu")の英語歌詞も彼の手によるもの。クラシック分野にも進出。


【 略歴 】

1901年2月3日 生後7か月の時、一家は米国に渡り、当初はルイジアナ州シュリーヴポートShreveport に居住。後、NYへ移住。
医者を志し、コロンビア大学へ進学。
1919年 音楽出版社へ就職。
アルバイトで書いた楽曲をある医者が出版社に見せたことがきっかけと言われている。
アーヴィングとジャックのミルズ兄弟が最初のボスだった。
週12ドルでヴォードビル・ショウの為のコメディソングの作詞を担当。

1922年 コメディ・ティームのヴァン&シュネック "Carolina Rolling Stone"(Columbia)リリース。
パリッシュの最初のヒットとなった。

1928年 Rudy Vallee "Sweet Lorraine" リリース。
パリッシュにとって初の大ヒットとなる。

1929年 パリッシュ、ホーギー・カーマイケル Hoagy Carmichaelの"Star Dust"に歌詞を付ける。
これを機に同曲は"Stardust"と綴られるようになった。
1930年 Isham Jones が同曲を録音、ヒット。
以後、ビング・クロスビー始め多くのアーティストがカヴァーし、パリッシュは名声を確立。

代表作は下記参照、舞台やショウの楽曲も担当。

作詞の傍ら、パリッシュは法律や外国語を習得。
1935~45年 パリッシュ、ロウワー・マンハッタンの刑事事件裁判所書記官職に従事。

1950~51年 クラシック音楽と大衆音楽のクロスオーヴァーに成功したリロイ・アンダーソン Leroy Anderson (1908 - 1975)の作品に歌詞を付ける。
Sleigh Ride「そりすべり」、Blue Tango他全7曲

1956年 近代音楽の祖、クロード・ドビュシー Claude Debussy(1862 - 1918) の "Clair de Lune 「月の光」"に歌詞をつけ、"Moonlight Love"として発表。

米国の有力著作権団体であるASCAP(American Society of Composers , Authors and Publishers)の作詞家諮問委員会のメンバー、72年にソングライターの名声の殿堂入り、同会(SHOF)理事にも就任、86年度には同会のJohnny Mercer Awardを受賞。


【 代表作 】
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アルファベット順、( )内は作曲者、作曲年次が作詞年次と異なる場合は( )内に付記

・Deep Purple (Peter De Rose 34) 38
・Don't Be That Way (Benny Goodman - Edgar Sampson 34) 38
・The Lamp Is Low (Peter De Rose - Bert Shefter) 39
・Moonlight Serenade (Glenn Miller 35*) 39
* 当初のタイトルは"Now I Lay Me Down To Weep"
・Sleigh Ride (Leroy Anderson 48) 50
・Sophisticated Lady (Duke Ellington) 33
・Stairway to the Stars (Matty Malneck - Frank Signorelli) 39
・Star Dust/Stardust (Hoagy Carmichael 27) 29
・Stars Fell on Alabama (Frank Perkins) 34
・Sweet Lorraine (Cliff Burwell) 28
・Volare (Domenico Modugno) 58

"Songwriters Hall of Fame"のサイトの"Song Catalog"には2百数十曲が表記されている。

上記画像はWillie Nelson"Stardust"(Columbia 78)

【 関連記事 】

Sophisticated Lady (作詞)

Stardust  (作詞)

【 関連サイト 】

所謂公式HPなし。

概要を把握するには下記
Songwriters Hall of Fame Mitchell Parish


【 コメント 】

上記のとおり、洋楽ファンなら誰もが頷く名曲、スタンダード・ナンバーの作詞を手掛けている割には、彼の人気・知名度は今一。
勿論、日本では言葉の壁もあり、やむを得ない面もあると思われますが、今回改めて海外のサイトもチェックしましたが、その傾向は基本的に同じで、例えば、ロレンツ・ハート、ジョニー・マーサーやサミー・カーン等の作詞家と比べても、(内容的には決して遜色ない業績を上げていると思っているのですが)ネットでの採り上げられ方は少ないのです。
かつて彼の一代記的ライヴのVHSビデオ"A Musical Life in Concert:Mitchell Parish"(Drg 94)もリリースされたこともありますが、DVD、ブルーレイ化には至っていません。
伝記、評伝の類も見つからず。
「鶏が先か、卵が先か」の議論にもなるが、特に面白いエピソードや経歴も殆ど伝わってこない地味な存在と言えるでしょう。

しかし、個人的見解ですが、彼の「仕事」は、まさにプロ(職人芸)のそれであり、与えられた曲の持つ雰囲気を活かし、言葉を巧みに連ねて、心象や風景を見事に描き出して、曲に新たな命を吹き込む能力は素晴らしいものがあります。
因みに、彼は1曲に歌詞を付ける時間は1時間から1時間半、あまりこねくり回さないことを信条としているようです。メロディに合うようにとりあえず浮かんだ単語を仮置きしたりもするようですが、時には、そのまま仮歌詞が完成版になることもあるようで、このブログでも採り上げた、"Tea for Two"のエピソードも引用して、あるインタヴューで自分の作詞法を語っています。
いずれにせよ、"Stardust"や"Sophisticated Lady"は共にインストゥルメンタルのみでも、十二分にスタンダードとして成り立つ作品ではありますが、これまでの人気・大衆性を獲得出来たことはパリッシュの功績によるところが大と考えます。


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by Eiji-Yokota | 2010-03-07 16:31 | WHO'S WHO | Comments(4)

ANTONIO CARLOS JOBIM 2 アントニオ・カルロス・ジョビン 2

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Part1 (こちらをクリック)からの続き

【 略歴 2  ブラジルから世界へ 】 
64年には前記「イパネマの娘」が米国始め各国で大ヒットし、ジョビンは世界的名声を手にします。
一方で、祖国ブラジルではボサノヴァ・ブームは終焉に近づいていました。
その一つの切っ掛けが、カステロ・ブランコ将軍によるクーデターと軍事独裁政権の樹立でした。
軍事政権は国家保安法で反政府運動を潰しにかかります。
また、「ボサノヴァは彼女のアパートで生まれた」と言われ、「ボサのミューズ」と呼ばれていたNara Leao ナラ・レオンが音楽的にはボサノヴァ以前のサンバやより民族色の濃い作品を意図的に採り上げ、政治的には軍政を真っ向から批判し始めます。ここに至って、ボサノヴァ界は「分裂」。
ノン・ポリとされたジョビンやジョアン・ジルベルト達は、以後、海外に活動の拠点を移します。
米国や欧州の方がより良い仕事の条件を提示したことも事実でしょう。偏見なく受け入れる聴衆の存在も嬉しかったことでしょう。
一方では、ジョビンは自分の作品の権利確保の為、また自己の作品に適切な英語歌詞を付ける為に米国のビジネスマンと戦わねばなりませんでした。
(因みに、もともと外交官だったヴィニシウス・ヂ・モライスは当時パリに赴任中で、映画「男と女」の制作に関与していました)

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by Eiji-Yokota | 2009-07-20 00:13 | WHO'S WHO | Comments(0)

HOAGY CARMICHAEL    ホーギー・カーマイケル

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1899年11月22日 ~ 1981年12月27日 82歳
(本名:Hoagland Howard Carmichael)
出生:米、インディアナ州ブルーミントン
逝去:米、カリフォルニア州パーム・スプリングス
作曲家、
音楽家(ピアニスト、歌手、バンドリーダー)、俳優
ソングライター「名声の殿堂」入り(1971年)

米国ポピュラー音楽界に大きな足跡を残し、現代人の多くは意識すると否とを問わず、彼の作品を耳していると思われます。
同時期に活躍したコール・ポーターは都会的で粋でお洒落な(そして少し皮肉っぽい)作風、カーマイケルはアメリカ中部特有の人情味のある、おおらかな作風と区分出来そうです。

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by Eiji-Yokota | 2009-06-07 19:22 | WHO'S WHO | Comments(0)

NED WASHINGTON    ネッド・ワシントン

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1901年8月15日~1976年12月20日  75歳
出生:米国、ペンシルヴァニア州スクラントン
逝去:米国カルフォニア州ビヴァリー・ヒルズ 心不全
作詞家
30年代以降、主として映画分野で活躍し、スタンダードナンバーを残す。
生涯11回アカデミー賞にノミネートされ、内2回受賞(後記参照)
ソングライター「名声の殿堂」入り(1972年)

【 略歴 】

父:Michael Washington
母:Catharine Stone (Washington)
7人兄弟(2男5女)

幼い頃から詩作に励み、地方紙、雑誌等に投稿。

1922年 NYに出て、ヴォードヴィルのMCとしてキャリアを開始。
       やがて台本を書き、作詞まで手掛けるようになる。
1928年 カリフォルニア、人気レヴュ・ショウ・シリーズのアール・キャロルEarl Carrollの"Vanities"が彼の作品を採用。
1929年 ワーナー・ブラザーズと契約。
12月 "The Show of Shows"にてWinnie Lightnerが歌った"Singins in the
     Bathtub"が最初のヒットとなる。
1930年 NYへ戻る。
以後、彼は映画関係ではMGM、パラマウント、ウォルト・デズニー等で仕事をし、一方ではブロゥドウェイ・ミュージカルにも進出。アール・キャロルの"Murder at the Vanities" (1933)等にも関与。

主たる作品(関与映画、歌詞)は下記「代表作」参照

1964年 ASCAP副会長就任


【 代表作 】
アルファベット順、()内は共作者と制作年(特に注釈ない場合は作曲者)、" "内は使用された映画等

・The Ballad of High Noon(Do Not Forsake Me,Oh My Darling) 
 (Dimitri Tiomkin, 1952) "High Noon"    アカデミー賞"Best Original Song"

・(I Don't Stand )a Ghost of a Chance With You
  (詞:Bing Crosby 曲:Victor Young, 1932)

・I'm Getting Sentimental Over You"(George Bassman, 1932)

・My Foolish Heart (Victor Young, 1949) "My Foolish Heart"

・The Nearness of You (Hoagy Carmichael, 1937)

・On Green Dolphin Street (Bronislau Kaper, 1947) "Green Dolphin Street"
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・Rawhide (Dimitri Tiomkin, 1958)
  TV Series "Rawhide"

・Singin' in the Bathtub
(詞:Herb Magidson 曲:Michael H. Cleary, 1929)
  "The Show of the Shows"

・Stella by Starlight
 (Victor Young, 1944/46詞) "The Uninvited"(1944)

・When You Wish upon a Star (Leigh Harline, 1940)"Pinocchio"
 アカデミー賞"Best Original Song"
 AFI(全米映画協会)の100年100曲中7位(2004年)

【 本ブログの関連記事】

The Nearness of You (作詞)    

【 関連サイト 】
公式サイトはありませんが、データ的に充実しているのは、お馴染みの"Internet Movie Database"です。→IMDB(ここをクリック)
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by Eiji-Yokota | 2009-05-31 18:14 | WHO'S WHO | Comments(2)

PABLO CASALS パブロ・カザルス

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Pablo Casals, 1876年12月29日 - 1973年10月22日 96歳
カタルーニャ語でのフルネーム: Pau Carlos Salvador Casals i Defillo
(パウ・カルロス・サルヴァドール・カザルス・イ・デフィリョ)
したがって、本来「パウ・カザルス」と呼ぶべきですが、あまりにもパブロ・カザルスの名が浸透しており、ここでは慣例に従って表記します。

チェロ演奏家、指揮者、作曲家
出生:スペイン、カタルーニャ、ヴェンドレル / 死去: プエルトリコ、サン・ファン 

チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる。
それまで単なる練習曲と考えられていたヨハン・セバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介。
早くから世界的名声を博し、ヨーロッパ、南北アメリカ、ロシアなどを演奏旅行して回った。
カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。

20世紀最大の巨匠の一人とみなされるカザルスについて、とても限られたスペースで語り尽くすことは出来ません。

本文の記事(「鳥の歌」)では、主として彼の政治的姿勢、闘いについて記しましたので、ここでは主として音楽家としての側面を記し、併せて代表作や略歴をご紹介します。

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by Eiji-Yokota | 2009-05-10 12:40 | WHO'S WHO | Comments(0)

ANTONIO CARLOS JOBIM アントニオ・カルロス・ジョビン pt1

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1927年1月25日-1994年12月8日  67歳。
本名:Antônio Carlos Brasilero de Almeida Jobim
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ、チジュッカ地区出生
NYマウントサイナイ病院で心臓発作の為死去
作曲家、ミュージシャン。ボサノヴァの創始者の一人。
(「ボサノヴァの帝王」と呼ぶ人もあります)
一早く環境問題を唱えたエコロジスト。

600を超える曲を創造し、(まだ、100曲程未レコード化があるとか)多くのアーティストが今も彼の作品を演奏し、ボサノヴァの枠を超えて、20世紀の音楽に大きな影響を及ぼした。
ファンや周囲の人間は親しみを込めて彼を「トム」とファースト・ネームで呼びます。
(妹のエレーナが書いた彼の伝記によると、彼女が呼んでいたことに始まったらしい。因みに彼女は「トン」と呼んでいたようですが、ここでは慣例に従って「トム」と表記します)

ガーシュウィンやエリントンにも匹敵するこの巨人に関しては、2部構成で、その生涯とアルバムを辿りたいと思います。
(Part 2 →こちらをクリック)

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by Eiji-Yokota | 2009-04-13 00:50 | WHO'S WHO | Comments(0)

JOAO GILBERTO  ジョアン・ジルベルト

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Joao Gilberto Prado Pereira de Oliveira
1931年6月10日ー ブラジル、バイーア州ジュアゼイロ出生  
歌手、ギタリスト ボサノヴァの創始者の一人。
「ボサノヴァの神」「ボサノヴァの法王」とも呼ばれる。
喜怒哀楽を込めドラマチックに歌われるブラジル音楽(サンバ)にあきたらない当時の若者に、つぶやくように歌うこのスタイルは広く受け入れられました。

若い頃から、気分屋、気まぐれ、偏屈、完全主義者と評されることが多く、ボサノヴァ・ブーム以後はジョビンとは対照的に一部の親しい人間以外とは接触を断ち、求道者的、「孤高」の存在として知られる。

なお、本来、現地での発音に忠実表記すれば、「ジョアォン・ジウベット」となるようですが、このブログでは完全に定着している上記表記で統一します。

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by Eiji-Yokota | 2009-04-05 23:30 | WHO'S WHO | Comments(0)

VINICIUS de MORAES ヴィニシウス・ジ・モライス

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1913年10月19日-1980年7月9日 66歳
本名:Marcus Vinicius da Cruz de Melo Moraes
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ出生 
外交官、詩人、歌手、ジャーナリスト
洗練された詩風、美しい言葉でアントニオ・カルロス・ジョビンらと共にボサノヴァ・スタイルを生み出した。
透徹した詩人の目で物事を見据え、ボサの歌詞を書いても、他者の凡百のMBP作品とは一線を画す格調があった。
生涯、400以上の詩と400以上の作詞を行ったと言われている。

【 略歴 】
38年、オックスフォード大学留学
39年、最初の結婚(11年後、離婚。通算9回結婚する)
46年、外交官としてLA赴任。
任地に赴かない外交官は薄給の為、雑誌に人生相談(!)や音楽批評等を掲載して稼いでいた。その傍ら詩作に励み、アーティスト仲間達から一目置かれる存在となります。
その作風・テーマは「死」「罪」に関するものが多かった。
54年、ギリシア神話のオルフェウスとユーリディスの物語を、カーニヴァルに湧く当時のリオに置き換えた戯曲"Orfeu da Conceicao"(Orpheus of the Conception)を執筆。
56年9月25日、歌劇"Orfeu da Conceicao"「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」、リオデジャネイロ市立歌劇場で初演。
後に世界的にヒットした映画「黒いオルフェ」(59年 Eng:Black Orpheus/frc:Orphee noir/Ptg:Orfeu Negro)の原作にあたる、この作品の作曲を詩人が委嘱したのが、若きトム・ジョビン。二人の共通の知人である新聞記者の推薦だった。以後、二人は共作活動を開始。多くの名作を残す。(後記、代表作参照)
62年8月2日、「イパネマの娘」初演。
この作品を最後にジョビンとの共同作業関係は終了。
ジョビンが別の人間と共作しようとするとヴィニシウスが嫉妬し、この為ジョビンが離れたとも言われていますが、二人の友情は後記のように生涯続きます。
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彼自身はその後もバーデン・パウエル(1937 - 2000 ブラジルのギタリスト、作曲家)やトッキーニョ(1946 - ブラジルの歌手、ギタリスト、作曲家)とコラボレートし、詩作を継続。

・入手可能なそれぞれの共作アルバム
バーデン・パウエル:
"アフロ・サンバ"(Universal 66年) (左画像)
トッキーニョ:
"ヴィニシウスへのサンバ"(Universal 74年) (下画像)
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これらの活動を通し、ボサノヴァにとどまらず、サンバやアーシー(アフロ・サンバ)な作品を創造。
また、外交官として各地に赴任。特にフランスではフランシス・レイやピエール・バルーにボサノヴァを教え、「フレンチ・ボッサ」を誕生させたと評される。
(クロード・ルルーシュ監督の映画「男と女」(66年)にも協力。彼とバーデン・パウエルの共作の"Samba da Bencao「祝福のサンバ」"が使われている)

国連ユニセフ大使まで務めたが、64年のクーデターによる軍事政権樹立後は左翼的ポリシーが嫌われ排斥される。
68年、「アルコール依存症」を理由に外務省(イタマラチー)を馘首さる。
(10年2月 外務省公式に名誉回復)
以後彼は音楽活動に専念。歌も披露し、トッキーニョとステージにも立った。
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左画像は、ミウシャ(ジョアン・ジルベルトの元奥さん)とジョビンの共演アルバムのプロモーションを兼ね、久々にブラジルに戻ってきたヴィニシウスとトッキーニョのコンビに15年ぶりにブラジルでライヴを行うこととなるトム・ジョビン、そしてミウシャが共演したステージ。
曲作りチームこそ解消しましたが、トムとヴィニシウスの友情が永遠だった証でもあります。
Gravado Ao Vivo No Canecao(伯 Som Livre)
77年、リオのナイトクラブ「カネカオン」でのライヴ。
中でも白眉は" No More Blues / Chega de Saudade"の記事でもご紹介したヴィニシウスとトッキーニョによる「トムへの手紙 74」。観客をノスタルジーに誘い込み、続くジョビンからの返歌「トムからの手紙」で大爆笑させます。
ライヴは好評で、8か月継続。

80年2月、ヴィニシウス、ポッソ・フンドのトム・ジョビン邸を最初で最後の訪問。
彼はその時、既に脳水腫と診断されており、体調を崩していました。
トムの妹、エレーナは「トムは友人が最後の別れを告げに来たことが分った」と記している。

80年7月9日 ヴィニシウス逝去。
互いの埋葬には出ないと言う生前の約束を守り、その日終日トムは朝から知人を相手に酒場で飲んで過ごしたと言います。

ウィスキーを愛し、美しい女性を愛し、生涯9回結婚の他、様々な奇行が伝わっている。
例えば、入浴が好きで、客人を一緒に浴槽に入り、もてなすのを好んだのは有名。
歳を取るについれて、ボヘミアン化し、身軽に、自由になれ、相手の女性も若くなっていく傾向があったと言われています。
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彼の生涯を追った記録映画「ヴィニシウスー愛とボサノヴァの日々ー」(ミゲル・ファリアJr. 制作・監督・脚本 1001Films Ltd.2005)も作成された。
日本でも09年4月18日から上映。
関連サイト→ここをクリック
右画像はサントラCD"Vinicius de Moraes"(Radoszynski 05年)。カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル他によるトリビュート・アルバムになっています。

【 代表作 】
アントニオ・カルロス・ジョビンとの共作
・Chega de Saudade (No More Blues)  想いあふれて
・A Felicidade (Goodbye Sadness) 悲しみよさようなら
・Insensatez (How Insensitive) お馬鹿さん
・Água de Beber (Water to Drink) おいしい水
・Garota de Ipanema (The Girl From Ipanema) イパネマの娘

バーデン・パウエルとの共作
・Berimbau ビリンバウ

トッキーニョとの共作
・Carta ao Tom 74 (Letter to Tom 74) トムへの手紙 74年


幸福とは
花びらに浮かぶ水滴
軽く震えてすぐ愛の涙のように
流れ落ちる

(Felicidade より)

【 公式サイト 】
Vinicius de Moraes (ポルトガル語) ← クリック

【 本ブログの関連記事 】
The Girl from Ipanema / Garota de Ipanema 「イパネマの娘」 (作詞)
No More Blues / Chega de Saudade    (作詞)

冒頭の画像は最新(06年)の自作自演集CD"Vinicius"(Universal)のカヴァー。

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by Eiji-Yokota | 2009-04-05 00:44 | WHO'S WHO | Comments(0)