Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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Over The Rainbow    「虹の彼方に」

- 1938年 Edgar "Yip" Harburg + Harold Arlen -
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39年封切りのMGM映画ミュージカル映画“THE WIZARD OF OZ 「オズの魔法使」”の挿入歌。なお、タイトルの頭に"Somewhere"を付している例も見かけますが、登録上は上記(掲題)の通りです。

今や「20世紀」を代表する歌(注1)として位置づけられるこの曲ですが、実は一つ間違えば、全く世に出ることもなく葬り去られる運命にありました。






映画「オズの魔法使」の作曲依頼を受けていたハロルド・アーレン(注2)は、妻と観劇に出かける途中、突如として、"somewhere over the rainbow"と言うフレーズとメロディのインスピレイションを受けます。
彼はさっそく、作詞担当のエドガー・イップ・ハーバーグ(注3)に曲を聞かせます。
しかし、ハーバーグは「カンザスの田舎娘(映画の主人公ドロシーのこと)が歌うには大人び過ぎてるよ」と相手にしませんでした。
諦めらめきれないアーレンは、かのアイラ・ガーシュウイン(注4)に相談します。
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アイラは「良い曲だから是非詞をつけるべきだ」と後押ししてくれました。実はアイラはハーバーグとは高校(Townsend Harris High School)の同級生で友人関係にありました。ついにハーバーグも折れて詞を付けることを承諾しました。
    ♫♫♫
空高く、虹の彼方に、子守唄で聞いたことのある場所がある
虹の彼方では、空は青く、滅多に見ない夢も実現する
虹の彼方では、青い鳥が飛んでいる
鳥が虹を超えられるのなら、
その時は、きっとこの私も…
    ♫♫♫

ようやく曲も出来上がり、38年1月に撮影が開始されました。
この映画でミュージカル・スターとして本格デビューすることとなっていたジュディ・ガーランド(注5)によるこの曲の歌唱シーンも撮影されました。しかし、またもや、この曲に試練が訪れます。映画の編集段階で、幹部連中が、このシーンはジュディには大人びて相応しくないとか、この曲調では映画が間延びするとか、言い出したのです。
ここで抵抗して、このシーンを守り抜いたのが、アシスタント・プロデューサーだったアーサー・フリード(注6)でした。この人も、このブログではお馴染みの人物ですね。彼はこの後、ジュディ始め大スターと組んで多くのミュージカル映画をヒットさせ、成功を収めることになります。
それにしても、このエピソードもどこかで聞いたことがあるパターンですね…
そうです。映画「ティファニーで朝食を」(61年)でもオードリーが歌う"Moon River"のシーンがカットされそうになったことがありました。あの時のオードリーは既に大スターになっていましたから、幹部を恫喝する力がありましたが、この時のジュディにそれは無理でしたので、フリードしか守れる人物はいなかったでしょう。もっとも、彼とジュディの「特殊な関係」に因るものとの見方もありますが…

かくて、39年8月25日、映画は公開され、この曲はその年のアカデミー作曲賞、歌曲賞を受賞し、ジュディ・ガーランドには特別賞が贈られました。一方、映画の方も米国映画協会の「歴代名画ベスト100」(1998年)で6位、同ミュージカル部門で3位になっています。(注7)
こう書くと、この映画が大ヒットしたかのような印象を受ける方もいらっしゃるでしょうが、製作費が当時としては高額(例えば、同じガーランド主演の数年後の作品"Meet Me in St. Louis"でも1.7百万ドル。この作品は2.8百万ドル)で、興業的には失敗したとさえ、言われていました。
むしろ、この曲自体の評価が先行し、それに連れて、この映画もTVで再放送され、ヴィデオの普及もあり、米国人の大半が後日この映画に親しむことになったと言う方が実態に合っていると思われます。
原作はL.Frank Baumの子供向けの"The Wonderful Wizard of Oz"(1900)。
カンザス州に住む少女ドロシーはある日、竜巻に巻き込まれ、飼い犬のトトと共に、不思議なオズの国に飛ばされます。途中で脳のないカカシ、心のないブリキの木こり、臆病なライオンと出会い、それぞれの願いを叶えてもらうためにエメラルドの都を目指すというお馴染みの物語。
但し、映画では、全てはドロシーの夢となっています。
長くなりますので、プロットやキャスト、スタッフ等映画の詳細データは、直接こちらへ。

c0163399_1385937.jpgこの曲は当然ながら、まずジュディ・ガーランドによって38年10月7日に録音され、39年9月に映画公開のタイミングに合わせ、Deccaレコードからリリースされ、ヒットしました。
なお、この映画のサントラ盤のリリースは遅れ、少しく複雑な経緯を辿ります。Deccaレコードは40年3月に映画と同タイトルの左画像の"Cast Album"をリリースします。ガーランドの歌も収録されていますが、これは所謂サウンドトラックではありませんでした。
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映画の正真正銘のサウンドトラックが使用されたアルバム(右画像)は56年にMGMがリリースするまで、ファンは待たねばなりませんでした。

今はCD編集版があります。"The Wizard Of Oz: Selections From The Original Motion Picture Soundtrack"(Turner/Rhino 95年)には、この曲の別テイクやらボーナス・トラックが多く収録されています。
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さて、この曲のカヴァーですが、まずはジュディ本人によるものでは、61年4月のカーネギー・ホールでの名唱"Judy At Carnegie Hall"(Capitol 61年7月)を挙げるべきでしょう。このライヴ・アルバムは実にグラミー賞5部門を独占しました。
今なら"Fortieth Anniversary Edition"でこの日の全てが堪能できます。

他のカヴァーも多すぎて絞り込むが大変ですが、今までブログで取り上げていない名手達と言う観点&独断で次の3枚を紹介しましょう。

左下の画像MJQの"Fontessa"(Atlantic 56年1月)。
MJQについてはジャズファンの間でも好き嫌いが分かれるところですが、Atlantic移籍第1弾、良くも悪くもMJQスタイルが完成したアルバム。貴方はいかがですか?
右下画像のRay Charles"Genius Loves Company"(Concord 04年8月)。
ソウルの発明者、「天才」レイ・チャールズの死後に発表された遺作。Norah Jones、Elton John、B.B.King等の豪華ゲストを迎え全曲デュエットし、その幅広い音楽性を聞かせます。この曲のお相手はJohnny Mathis、正統派の端正な歌唱を聞かせます。対するレイのしゃがれ声の魅力的なこと!このアルバムは47回グラミー賞で8部門を独占、この曲も"Best Instrumental Arrangement Accompanying Vocalists"を受賞。レイの葬儀では、この曲が流されたとか。(注8)
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最後はEric Clapton。ちょっと意外ですよね。
"One More Car,One More Rider"(Warner Bros. 02年11月)
クラプトン最後のワールド・ツアーと称されたライヴです。(注9)
その日、私も武道館にいました。既にネット等の情報でアンコールでこの曲をやることも、その音源(不法?)もキャッチしていましたが、やはり、実際に目の前でクラプトンが朗々と歌い出すと「本当にこの曲歌うんだ…」とCream時代以来の「ハードでアグレッシヴなサウンドのクラプトン」信奉者としては複雑な気持ちになりました。「クラプトンの新しい傾向・方向性を示すもの」と言う人もいましたが、要はクラプトンは単純にこの歌が好きなのでしょう。ふと口ずさんでしまう。英米人にとって、この曲はきっとそんな存在なのだと思います。なお、クラプトン・ヴァージョンは三菱自動車のコルトのCMにも使われました。


DVD
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この映画のDVDはこちら→オズの魔法使(ワーナー・ホーム・ビデオ)











注1) 20世紀を代表する歌
全米レコード協会RIAA(2001年)による"Songs of the Century"第1位
1. Over the Rainbow
2. White Christmas
3. This Land Is Your Land
4. Respect
5. American Pie

流石、人種の坩堝「アメリカ」。実に多様な選曲です!

全米映画協会AFI(2004年)による100Years …100Songsの第1位
1. Over the Rainbow
2. As Times Go By
3. Singin' in the Rain
4. Moon River
5. White Christmas
  …
10.The Sound of Music

注2) ハロルド・アーレン Harold Arlen 1905年2月15日 - 1986年4月23日 81歳
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米国を代表する作曲家、生涯に400曲を超える曲を書いた。
本名:Hyman Arluck
NY州バッファロー出生(双子だったが、翌日もう一人は死去)
ユダヤ教会での主唱者の家庭に生まれ、ピアニスト、シンガーに成長。
NYに進出し、ヴォードビルの伴奏を務める中、Ted Koehlerと組んで、"Get Happy"を作曲。
以後、本文のE.Y.Harburg始め、Johnny Mercerともティームを組み、曲作りを行う。
主な作品 (本文&前記を除く、なお、括弧内は前記3人の共作者の頭文字)
Between the Devil and the Deep Blue Sea(TK)、Come Rain or Come Shine(JM)、Ill Wind(TK)、It's Only a Paper Moon(EYH)、Stormy Weather(TK)他多数
公式サイト
上のヴィデオもご参考まで ハロルド・アーレン「虹の彼方に」(コロンビアミュージック 00年)

注3)エドガー「イップ」ハバーグ Edgar Yipsel Harburg
1896年4月8日-1981年3月4日 84歳 NY出生
 本名:Isidore Hochberg ユダヤ人  
作詞家 多くのミュージカル、レヴュウ、映画を手がける
上記、H.Arlenの項の曲の他、April in Paris (with Vernon Duke)他が知られる。

注4) アイラ・ガーシュウィン Ira Gershwin 1896年12月6日 - 1983年8月17日 86歳
米国が生んだ20世紀の大作曲家 George gershwinの兄。作詞家。
本名:Israel Gershowitz NYC出生 ロシア系ユダヤ人
父が買い与えたピアノには興味を示さず、専ら文芸趣味に走る。(結果として、このピアノは後の大作曲家を育むのに役立ちました)
21年、ヴィンセント・ユーマンスと組んで"Two Little Girls in Blue"で音楽界入り。
弟と組んで数多くのミュージカルを手がけ、膨大なポピュラー・ソングを残す。
このブログでも"How Long Has This Been Going On?"や"Someone To Watch Over Me"等を収録しています。

注5) アーサー・フリード Arthur Freed 1894年9月9日 - 1973年4月12日 78歳
米、サウスカロライナ州チャールストン出生 本名:Arthur Grossman
作詞家、映画プロデューサー
当初はヴォードビル芸人だったが、作詞家に転じて頭角を現し、MGM映画専属となる。
40年代には「フリード・ユニット」と呼ばれる製作集団をMGM内で立ち上げた。
詞の代表作は"Singin' in the Rain"「雨に唄えば」
映画には、下のジュディ・ガーランドの項に記載したものの他、"On The Town"「踊る紐育」(49年)、"Annie Get Your Gun"「アニーよ銃をとれ」(51年)、"An American in Paris"「巴里のアメリカ人」(51年)、"Singin' in the Rain"「雨に唄えば」(52年)他

注6) ジュディ・ガーランド Judy Garland 1922年6月10日 - 1969年6月22日 47歳
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ミネソタ州グラン・ラピダス出生 
女優、歌手、ミュージカル・スター
黒人的唱法を最初に採り入れた白人女性スターとも評価される。
本名: Frances Ethel Gumm
彼女の生涯については奔放な恋愛生活(5回の結婚、バイセクシュアルとしても有名で、同性愛者は「ドロシーの友達」と隠語で自らを呼ぶこともある)、薬物を主因とするスキャンダラスで破滅型(遅刻、精神異常、自殺未遂)の側面ばかりが取り沙汰されることも多いのですが、彼女は米国エンターテインメント業界における不世出の大スターであったことは紛れもない事実であり、2006年、米国郵政公社は彼女をデザインした記念切手を発売しました。(左画像)

音楽家家庭の3人姉妹の末っ子として生まれ育つ。2歳にして芸能活動開始。
29年にはガム・シスターズとして売り出す。
35年にはMGMと契約。この映画に出演し、ブレイクのチャンスを得る。(彼女の起用については「キャスティング・カウチ」等色々スキャンダラスな裏話もあるが、ここでは割愛)
肥満気味の彼女に対しMGMはダイエット用としてアンフェタミン(覚醒剤)を勧め、彼女がスターとなりスケジュールが過密となると、更にセコナル(睡眠薬)も併用させた。
2度目の夫、ヴィンセント・ミネリとの子、ライザ・ミネリは、彼女がロンドンで睡眠薬の過剰摂取で亡くなった直後「母はハリウッドが嫌いだった。母を殺したのはハリウッドだ」と主張し、彼女の葬儀をNYで行い、遺体もNY郊外に埋葬。
彼女の死後には400万ドルの借金が残ったと言われています。

本文で触れた、この曲のシーンがカットされそうになったとのエピソードについて、動画を見た私は当初てっきり、彼女の焦点が定まらない視線が原因で幹部がダメ出ししたと早合点した位です。(そう思ってこの動画を見ると、声は出ていますが、クスリのせいで朦朧としているように見えませんか?先入観持ち過ぎていますでしょうか?)

代表作には、このブログでお馴染みの"Babes in Arms"「青春一座」(39年)、"Meet Me In St. Louis"「若草の頃」(44年)の他"A Star Is Born"「スター誕生」(54年)等

注7) AFI's 100Years
100 Movies (1998年)
1. Citizen Kane
2. Casablanca
3. The Godfather
4. Gone with the Wind
5. Lawrence of Arabia
6. The Wizard of Oz   但し、2007年調査では10位に。

Musicals (2006年9月3日)
1.Singin' in the Rain
2.West Side Story
3.The Wizard of Oz
4.The Sound of Music
5.Cabaret

10.Meet Me in St.Louis

注8) レイ・チャールズとOver The Rainbow
レイの葬儀(Memorial ServiceのParting View部)で退出の際に"Over The Rainbow"が流されたようです。誰がどう言う観点で選曲したかは分かりませんが、一部に報じられた63年版ではなく、この遺作版が採用されたようです。
以下、彼のMemorial Serviceの模様のレポート(楽曲を含む)が下記に掲示されています。
npr(http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=1964165)

レイとジュディ・ガーランドは、61年にLA発NY行きの深夜フライトで偶然出会い、意気投合します。63年、レイは"Over The Rainbow"を録音・リリースします。
レイは彼女についてこう書いています。
****
彼女は私を信頼できる話し相手と思っていた。彼女と話したことを私が決して口外しないことを知っていたのだ。彼女はデリケートで、心の振幅が激しい女性だ。彼女が泣く時、その涙は本物だ。彼女は長い間、心の奥に多くのものを秘めて生きてきたのだ。
****
BROTHER RAY Ray Charles' Own Story
by Ray Charles and David Ritz 78
わが心のジョージア レイ・チャールズ物語」
吉岡正晴訳 戎光祥出版 05年


(注9) クラプトン最後のワールド・ツアー
(なお、クラプトンは日本を始め海外ツアー自体は継続しています。)
以下は全くこの曲に関係ない私の「感傷的な個人的思い出とささやかな情報」ですので、特にお読みにならなくても結構です。

2001年のこのツアーは私にとっても思い出深いものでした。このアルバムにも一部収録されている武道館での公演には私も(別の日に)足を運んでいました。来日公演の直前に、様々な愛憎を超えた特別な関係の親友、ジョージ・ハリスンが息を引き取りました。
(因みに、その10年前に日本でのみ行われたジョージとクラプトンのライヴ・ツアーを体験出来たのは、今も私の自慢です)
この件で、クラプトンはショックのあまり、ツアーをキャンセルするのではないか、とさえ言われていましたし、ステージでなにか特別なトリビュートを行うのではないか、とも。
しかし、日本で親友の死を聞かされた彼はプロフェッショナルとして、全ステージを予定通り、淡々とこなしました。
ジョージと共作した"Badge"は、言わば、コンサートの「お約束の曲」ですので、彼の死に関わらず演奏されていたとは思いますが、その日、私は同曲で貴重なシーンを目撃しました。
他の日のライヴのレポート等によれば、同曲を演奏する際、クラプトンは「ジョージに」と一言添えることもあったようですが、その日は私の耳にはコメントは聞き取れませんでした。彼はいきなり、あの有名なリフを弾き始めました。すると、どうでしょう!あろうことか(指が滑ったのでしょうか)、彼は間違ったコードを弾いてしまい、慌ててやり直しをしたのです!おそらく千回以上弾いている筈の、自作のこの超定番曲をですよ!(アドリブを延々とやる際、ミストーンを出すことは「神様」クラプトンでも時としてあることですが、よりによって、手慣れたこの曲のあの冒頭のリフを…!)
淡々とステージをこなしているように見えるクラプトンもやはりジョージの死のショックが大きかったんだな、と勝手に解釈して私は納得しました。これでまたビートル・マニアとして「自慢の種」が出来た、と。


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by Eiji-Yokota | 2008-07-04 20:27 | SONG | Comments(0)
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