Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
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赤とんぼ   Part 2

 - 1921年 三木露風 + 1927年 山田耕筰 -
c0163399_1817523.jpg

(冒頭画像は、この作品が生まれたトラピスト修道会とその周辺の自然。
「みなみ北海道」のHP[http://www.minami-hokkaido.jp/]のフォトライブラリーより)


【 三木露風の後半生と赤とんぼ 】
露風は自らの作風を総括して、
「私は、初め叙情をもって詩を作り始め、後、象徴詩にいたり、短唱を作り、更に宗教詩を書くようになった」(三木露風詩集 第1巻「あとがき」 1926年)
と書いています。
日本における象徴詩を完成させ、詩壇の第一人者となった彼は、次第に宗教的なものへと接近します。

Part1 では、一見、不可思議なこの詩(歌詞)の様々な解釈を見てきました。
露風の前半生を見てきた「ふるさとの」の記事に次いで、このPart2 ではトラピスト修道院時代を中心に、彼の後半生を見ていきましょう。




c0163399_14443978.jpg1920(大正3)年5月 露風は妻を同伴し、北海道のトラピスト修道院に教師として赴任。
露風30歳。
教師館で暮らし、修道士の為、文学概論、美学概論、国語学を教えました。

露風は以前からカトリックや修道院に関心を寄せ、それまでも何度か現地を訪れていました。
赴任は露風の人柄や才能を見込んだ院長のDom Gerard Peuiller D.ジェラール・プゥイエー(1859 - 1947 :Domは修道院長 一般的には「プーリエ」と記される。1900年に帰化、岡田普理衛と名乗ります。)からの講師就任要請を受けたものでした。

こうして露風の北海道上磯町渡島当別(現北斗市三ツ石392)にあるトラピスト修道院での生活が始まります。
トラピスト修道院と言えば、バターやクッキーが有名で北海道土産の定番でもありますが、まずはトラピスト修道院について、簡単に露風の文章や公式HPの記事を元に触れたいと思います。

< トラピスト修道院について >
トラピスト修道院の正式名称は「厳律シトー会 灯台の聖母トラピスト修道院」
(1935年に大修道院に昇格)

「灯台」とは付近にある葛登支(かっとし)灯台に因むもの。
その所在地から当別修道院と呼ばれることもあります。
そもそも修道院とは、また「厳律シトー」「トラピスト」とは一体何でしょうか?

修道院の本格活動は、中世イタリアのBenedictus de Nursia ベネディクトゥスによって530年頃始められた修道院に始まり、彼は「祈り且つ働け」と唱えました。
有名なバターやクッキーは1896(明治29)年の当修道院創設の翌年から、この精神に基づいて作られ、今日に至っているものです。
なお、冒頭の画像では美しい自然に囲まれているトラピスト修道院ですが、信者から土地を寄進されて修道院が創設された当初は原野のままであり、それを修道士達が開墾したものです。
また、記念写真等で有名な本館の建物は1903年に火災で焼失、1907年に再建されたものです。

シトー会は、1098年フランスのRobert de Molesme ロベールがブルゴーニュのシトー Citeaux で設立したもので、当時の修道会運営を批判し、ベネディクトゥスの戒律を忠実に守る一派でした。
その後、1664年にノルマンジーのTrappe トラップの修道院の院長となったde Rance ランセは砂漠の霊性を大切にし、再び、原点から遠ざかりつつあった修道会運営に対し、労働の重要性を訴えました。
彼等は修道院名をとってトラピストと呼ばれるようになります。1892年には従来のシトー会から「厳律シトー会」として独立。
修道会は「活動型」と「観想型」に大別されます。
前者は福音宣教、報道、出版、教育、病院、福祉施設などあらゆる分野で活動する修道会であり、
後者は絶え間ない祈りと人目にたたぬ勤労によって、多くの霊的富を蓄え、祈りと功徳の効果、すなわち神の豊かな恵みをすべての人の上にもたらすよう努める修道会です。
当然、シトー会・厳律シトー会は後者に属します。
ここでは、修道士は、祈りと読書、そして労働の厳しい戒律のもとで暮らしており、上長との会話は自由ですが同僚との会話は極力避け寡黙であることが奨励されていました。

「神と偕に居た。神を識り、神を観、神に奉仕してをった。それが私の生活であった」
(「トラピストを下りて」 1923年)
この時期、露風が修道院生活について書いた作品からは、雄大な北海道の大自然の中で、つつましやかな祈りと観想の生活を通して、穏やかな日々を彼が送っていることが伝わってきます。
1922(大正11)年 4月16日、復活祭に露風夫妻はD.ジェラール・プゥイエー修道院長の司式で受洗。洗礼名は露風が三木パウロ、夫人はモニカ。

<「赤とんぼ」の創作時期>
Part1 で紹介した「赤とんぼのこと」で作者は作成時期と場所を次のとおり明示していますが、よく考えると若干疑問が出てきます。

「赤とんぼ」を、作ったのは大正十年(管理人註:1921年)で、處は北海道函館附近のトラピスト修道院に於いてであった。或日午後四時頃に、窓の外を見て、ふと眼についたのは、赤とんぼであった。

c0163399_20301473.jpg露風の赴任は1920年5月であり、この作品を発表したのが、1921年8月号の「樫の實」。
8月号であれば、実際の発売は7月中でしょうし、入稿は更に遡るでしょう。
赤とんぼは通常は夏の終わりから秋にかけての風物詩ですから、露風が修道院の窓から見た「或日」が1921年年の夏から秋にかけてとすれば、8月号に間に合わなくなる為、実は「或日」は前年ではないかと言う疑問が生じます。
とすれば、作成を1921年とした作者の記述は、記憶違いなのでしょうか、はたまた、別の要因があるのでしょうか?
Part1で紹介した和田典子女史の「三木露風―赤とんぼの情景」(神戸新聞総合出版センター 1999年)では次の様な解釈を示しています。
「露風は詩の着想を得るとすぐメモにとる。1920年は多忙でクリスマス過ぎから作品の整理を行い、新春に新しいノートに書き留めていたようで、翌年、このノートに書き留めた日を創作日としている」と。

そもそも露風が見た赤とんぼが、どの種類だったか自体、明らかではありません。
素朴な発想としては、北海道は気温が一般的に本州よりは低い訳ですから、赤とんぼが夏に飛び交っても不思議でないと思うのですが…
そうなれば、1921年の夏に赤とんぼを見て、そのまま直ぐに創作し発表することも可能かも知れません。
北海道での赤とんぼの生育・生態について、ご存じの方、ご教授いただけないでしょうか?

< トラピスト後 >
いずれにせよ、露風は1924(大正13)年6月、4年のトラピスト勤務を終えて東京に戻ります。
当時の中央詩壇は萩原朔太郎等が完成させた口語自由詩の藝術派が台頭していました。

露風は再び文壇に戻ることもなく、修道院時代同様、静かで穏やかな余生を送ることを選び、三鷹に永住の地を求めます。
先の「トラピストを下りて」の末尾に露風はこう記しています。
「東京に来ての後もトラピストに居る頃よりも、もっと善い信仰の生命を獲て過ごす心だけを持ってゐる。」
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修道士の生活を描いた「修道院雑筆」(1925)、「修道院生活」(1926)及び一連の宗教詩を通じて、カトリックに対する教外者の理解につとめた業績に対し、1927年、ローマ教皇からシュバリエ・セプルクル勲章(勲四等の勲記、勲章)とホリー・ナイト(聖墳墓騎士)の称号を日本人で初めて受けます。

勿論、その後も創作意欲自体は健在で、日常や自然を歌った作品を生涯書き続けますが、時流には合わず、その殆どは生前刊行されることはありませんでした。

1964年12月21日、三鷹市内でタクシーにはねられ、29日、脳内出血で死亡。75歳。
翌年行われたカトリック吉祥寺教会で行われた葬儀では西条八十が葬儀委員長を務めました。
未来社の同人でもあり、Part1で触れた萩原朔太郎の露風批判に真っ向から反論したのも彼でした。
露風の法名(戒名)は「穐雲院蜻蛉露風居士(しょううんいんせきれいろふうこじ)」
秋の空に赤とんぼが飛んでいるイメージそのものの法名と言えます。
(洗礼を受けた露風に戒名があるのを奇異に感じられる人も多いと思われますが、露風は檀家と寺との関係は最後まで維持しており、交通事故にあったのも、暮の寺への付け届けの手続きに行った帰りでした)

1965年5月28日、旧龍野市の龍野公園で行われた「赤とんぼ」の歌曲碑の除幕式には、結局、露風も、病床にあった山田耕筰も出席できませんでした。
ナカ夫人によって除幕された歌曲碑は、右上に露風の上半身のレリーフ、その下に「歌曲碑撰文」、中央に露風直筆の「赤とんぼ」の詩、そして左端には「赤とんぼ」の楽譜のレリーフ。
その最初の1節を耕筰は病をおして書いたと言われています。
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(画像は神戸観光壁紙写真集HP[http://kobe-mari.maxs.jp/index.htm]より)

山田耕筰は丁度露風の1周忌に当たる 1966年12月29日に亡くなりました。

1971(昭和46)年5月30日 トラピスト修道院や地元有志の発起による詩碑が旧露風邸近くの修道院下の小公園に完成し、除幕式にはナカ夫人らも列席。
碑文は「呼吸」(「寂しき曙」1910年 収録)の末節から
「日は輝やかに/沈黙し/時はおもむろに/移りけり/美しき地上の/断片の如く/我命は/光の中に/いきずく」

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(画像は「みなみ北海道」のHP[http://www.minami-hokkaido.jp/]のフォトライブラリーより)

Part3では、作曲者、山田耕筰の半生と作曲の事情に迫りたいと思います。

謝辞:
本文中に明示した他、次の記事を参照させていただきました。
ありがとうございました。
池田小百合 なっとく童謡・唱歌

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by Eiji-Yokota | 2011-09-05 00:00 | SONG | Comments(0)
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