Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
リンク
お気に入りブログ
前田画楽堂本舗
最新の記事
Instant Karma!..
at 2016-01-10 18:20
Out There! Ja..
at 2013-12-29 00:32
Out There! J..
at 2013-11-24 16:56
Out There! J..
at 2013-11-20 01:11
銀の琴 op.7 in TO..
at 2013-10-04 19:30
東京倶楽部(水道橋店)にて
at 2013-08-25 11:16
SANTANA Second..
at 2013-03-23 16:55
A TIME TO KEEP..
at 2013-03-02 19:00
Stardust ..
at 2012-11-25 13:57
Stardust ..
at 2012-10-08 20:21
記事ランキング
ブログジャンル
カテゴリ
全体
ご挨拶・このブログの使い方
INDEX・SONGS
INDEX・LIVE
INDEX・WHO'S WHO
SONG
SETLIST
WHO'S WHO
CD
口上
未分類
タグ
(21)
(16)
(12)
(11)
(9)
(9)
(7)
(6)
(5)
(4)
(4)
(3)
(2)
(2)
(2)
(1)
(1)
(1)
(1)
(1)
最新のコメント
長文のコメント、ありがと..
by Eiji-Yokota at 01:32
私は昭和34年に露風が書..
by 田舎暮らし at 10:49
コメントありがとうござい..
by Eiji-Yokota at 11:00
コメントありがとうござい..
by Eiji-Yokota at 06:06
記事から7年目のコメント..
by as at 11:48
お久しぶりです。時々、貴..
by Eiji-Yokota at 21:11
お久しぶりです。 ジョ..
by shintaromaeda at 18:50
素晴らしい。 そうだっ..
by びっくりぽん at 18:19
30分にボーンとなる時計..
by 生後313ヶ月 at 23:07
2014年8月~9月大き..
by 生後313ヶ月 at 23:02
ようこそ、Naomi's..
by Eiji-Yokota at 05:59
"Everytime W..
by 通りすがり at 12:14
大阪も最高でした♪
by motoharublues at 13:11
勉強に成りましたー。Yo..
by エディまーくん at 16:38
味のあるかっこいいジャケ..
by motoharublues at 22:27
はじめまして長田元春とい..
by motoharublues at 22:54
コメントありがとうござい..
by Eiji at 10:38
トラックバックを頂きまし..
by わーきんぐまざー at 22:52
YES but it'..
by Eiji-yokota at 20:31
I would like..
by ziggy at 21:14
以前の記事
2016年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 08月
2013年 03月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 03月
2007年 12月
ブログパーツ
ファン
画像一覧


おてもやん   「熊本甚句」  Part3

- 1890~1900年頃? 永田稲 -
c0163399_13381613.jpg

冒頭画像は、「春日人おてもやん」のサイトの管理人さんから提供いただきました「春日ぼうぶら」の花と葉の写真です。
熊本の観光立県に貢献しようと頑張っておられる「春日大好きおばさん」達の運営する手作り感溢れるサイトを、是非、一度ご覧ください。

これまで「おてもやん」を2回に分けて採り上げてきました。
Part1 :概説
Part2 : 歌詞の詳細な解説

さて、最終回のPart3では、作者 永田稲(イネ)に焦点を中てて、この唄の成立や彼女がこの唄に込めたものを探っていきたいと思います。
その前にまず、予習も兼ねて、是非、熊本県のサイト「くまもとインターネット放送局」をご覧ください。
永田イネの貴重な写真や遺品を記事と動画で見れますよ。




【 成立時期 】

歌詞に散らばめられているキーワード及び、周辺の客観的材料から、この唄が作られた時期を特定してみましょう。

まず最初のキーワードとなるのは「玄白茄子」
通説のとおり、これが杉田玄白が改良し、栽培を勧めた茄子であれば、彼が活躍した時期、更に絞り込めば、「解体新書」が刊行された1774年以降と見てよいでしょう。
また、Part1で紹介した「五足の靴」が執筆されたのが1907年。
つまり、この間に作られたことになります。
あまりに幅が広すぎる?
「五足の靴」では「肥後の古い土謡」と記述されていますが、執筆者達は初めてこの歌に接しただけの「聞きかじり」状態ですから、この文脈は「熊本では以前から歌われていた地元の唄」位の捉え方で良いのではないでしょうか。

この間に言うまでもなく明治維新という日本史上の大事件がある訳です。
成立時期は「しのび歌」説なら、それ以前。
「チモ・イネ」説に立てば、それ以後となります。
どちらも決定的な証拠はありません。
「チモ・イネ」説に立てば、諸状況の説明が容易になると書いてきましたので、今暫く、同説に立って、創作時期を絞り込んでみましょう。

ポイントは「春日ぼうぶら」
熊本駅周辺に咲いており、同駅の拡張と人家の増加により、次第に栽培されなくなったとありますので、同駅(停車場)が開設された1891年前後に作られていた可能性が高いと思われます。

熊本駅については、一言も触れられていませんので、駅開設前と言う解釈も出来ますが、イネは熊本城も江津湖も阿蘇山も加藤清正にも一言も触れていません。
それらが関心の外だったとすれば、ボウブラ畑は駅開設後も暫くはあった訳ですので、同様に駅開設前に限定する必然性はないでしょう。
但し、ある程度、ボウブラが咲き乱れていなければなりませんので、(勿論、作者特有の想像力も無視出来ませんが)、駅開設から著しく年を経ていない時期と見て良いのではないでしょうか。

川端町界隈
小山良氏は、「ストライキ節(東雲節)」にも謳われた1900年の娼妓の集団ストライキ(川端町に隣接している二本木の東雲楼で起こった)、これらが自由民権運動と相まってイネを触発し「35歳の分別のある女性として、冷静にそれを見遣ったに違いない」「女性の哀れさを実感し、心の底から憤りを覚えたことであろう」とし、同年の川端町の「末廣座」のオープニング他の事情を勘案して、この唄の成立時期を「1900年以降とみるのが自然」としています。
いずれにせよ、彼女が生まれた米屋町はこの隣。この界隈は料亭等もあり、彼女の仕事場の一つでもあった筈です。

ただ、小山説の場合、チモ45歳、イネ35歳。
チモが嫁入するには若干歳を取り過ぎているかな、と思います。
勿論、過去のエピソードともフィクションとも割り切ることも可能でしょうが、これがフィクションだとすると、かなり興醒めですし、昔の話でも同様です。(「この頃」と歌っていますしね)

私は、アーティスト、イネとして彼女を捉えた時、これらの事件もさることながら、やはり、先駆けとなった本調子甚句系の諸作品に触発され「自分も作ってみたい」と言う、芸術家(表現者)の押さえ難い魂の震えに、焦点を絞って考察してみたいと思っています。

この作品と曲調の類似性が指摘されるのが全編名古屋弁オンパレードの「名古屋名物」です。
c0163399_20201512.jpg
「名古屋名物」は現在では「正調名古屋甚句」の一部として前歌(恋やこい)、本歌(名古屋甚句)の後、おはやし唄として続けて歌われるのが通常のパターンです。(注1.2)
右画像はこの2曲を収録した企画アルバム「名古屋の歌だがね-名古屋開府400年記念CD-」(2010年 キング)

この形式がいつから始まったか、また「名古屋名物」がいつ頃作られたか今一つ判然としませんが、明治10年頃には名古屋甚句が流行した記録があります。
当時、イネは12歳、4歳から始めたとは言え、まだまだ修業中の身です。
明治20年代には源氏節が流行。これは新内節と説教祭文をミックスしたもので、芝居の伴奏として好評を博し、全国を巡業しています。この幕間に名古屋甚句が歌われたと言われています。また、ここで歌われていた「名古屋甚句」は、現在の「名古屋名物」だったと言う見解もあります。
イネ作者説に立った場合、名古屋名物(名古屋甚句)が熊本甚句に影響を与えたことはあっても、その逆はあり得ません。
イネは当時先代を襲名し、独立した芸人としての道を歩き始めた頃です。

彼女がどのような順序で三味線や太鼓、踊りを習得していったかは不明ですが、最終的には、端唄、小唄、常盤津、新内、浄瑠璃等も習得していたようですから、これらの座敷唄を取り巻く最新の動きも師匠や仲間を通じ、当然知っていたと考えるのが自然です。
巡業に来た関取との交流や源氏節の岡本一派との接点もあったかも知れません。
ましてや、彼女は18歳(1885年)で独立後、女芝居一座を率い、名古屋へも出掛けているようですので、ここでも接点はあったと思われます。

こうした一連の芸事の新しい潮流に触発されたイネが自分もお国なまりで甚句を作りたいと考えることはごく自然の流れでしょう。

名古屋名物が「姫でも出来せんか」と問いかけたのに対し、「この頃嫁入りしたでは」と応じる、一種のアンサー・ソングと見るのは、少し穿ち過ぎですかね。

いずれにせよ、明治20年以降押し寄せてくる座敷唄の新潮流、ぼうぶら畑の存在、1907年時点で「古い土謡」と呼ばれていたこと、結婚話が出たチモの年齢等を考慮した上で、更に若い感性が磨かれる20代の頃、1890年代辺りがこの作品の最初の成立時期として、可能性が高いと思われます。
(その後も3番の歌詞を始め、作者は本作品に絶えず手を入れ続けた可能性があります)

注1) 名古屋甚句

ア~、宮の熱田の二十五丁橋でェェ
ア~西行法師が腰をかけ、東西南北見渡して
これほど涼しいこの宮を たれが熱田とヨーォホホ
ア~名をつけたァァエー ト コドッコイ、ドッコイショ

注2) 名古屋名物

名古屋名物 おいてちょうだぁ(頂戴)もに 
好(す)かたらんに置(お)きゃせ 
ちょっとも だちゃかん(*1)と くざ(だ)るぜぇも
そうきゃもそうきゃも何でゃあも 
行きゃすか置きゃすか どうしゃあす
お前(みゃ)さま この頃 どうしゃあた 
何処ぞに姫でも出来せんか
出来たら出来たと言やせも 
私も勘考(かんこ)(*2)があるわゃあも 
おそぎゃぜも(*3)

*1) 埒があかない
*2) 考え
*3) 怖いぞ


【 Naomi's Chioce 流 「おてもやん」解釈 】

まず、最初に強調しておかねばならないのは、この曲のタイトルについてです。
「おてもやん」の通称・愛称があまりにもインパクトが強過ぎて、以後の歌詞の解釈にも知らず知らずの内に、我々はそれに束縛されてはいないでしょうか。
この唄の正式タイトルは言うまでもなく「熊本甚句」です。

最近の本ブログの記事の例で言えば、
愛称「G線上のアリア」、正式名称「管弦楽組曲第3番」の“アリア”と似た関係です。
先の曲の「アリア」が独唱曲でなく、ただの緩やかで優美な曲の意味であったように、
この曲の「甚句」も7775の定型詩でなく、不定型に近いのですが、囃子唄・騒ぎ唄と言う程度の意味と解すれば良いのではないでしょうか。

誰だって、舌を噛みそうで味気ない「管弦楽組曲第3番第2曲」より「G線上のアリア」の方が言い易いし、親しみも湧くでしょう。
双方のネーミングとも絶妙ですしね。

さて、作者はあくまでも「熊本甚句」として作った訳ですから、「愛称」に引張られる過ぎると作者の意図から大きく外れるのではないかと私は危惧しています。
具体的には、ネット等でこの唄の解釈を見ていると、歌詞の全てをおてもやんと言う女性の独白と言う前提で解釈しているものが少なくありません。
「曲は生まれ落ちた瞬間から作者の手を離れ、独り歩きする」ものだと、このブログでも、しばしば言及してきましたし、それは全ての芸術に共通するものではあります。
だからと言って、自由に何でも解釈して良いのかと言えば、そこには、独りよがりに陥り、その結果として誰にも支持・相手にされない事態が待っています。

結論を急ぎましょう。
おてもやんは、この唄の最大のスターであり、文字通りこの唄の象徴・代名詞と言って過言ではありません。
が、あくまで、彼女について作者が直接言及しているのは、この唄の1番の前半だけだと言う点が私の考察の原点です。
では、この唄で何が歌われているかと言えば、それは作者が愛してやまない「熊本」です。

季節毎に違う貌を見せる熊本、そしてそこに住む人々。
彼女にとっては、熊本城も江津湖も歌うべき対象ではありませんでした。
彼女にとっての熊本は、現在の祇園橋から、半径せいぜい1~2kmの世界です。
我々はもっと、この「事実」に着目すべきでしょう。
即ち、川端町、春日村、(多分)普賢寺等
イネの生家や居所・仕事場、登茂(トモ、チモ)の勤務先や居所も、殆ど、この半径の中に入ります。
2番では、熊本女の恋(忍ぶ恋?)が描かれています。
それは作者自身の考え方、生き方が色濃く投影されたものだと私は受け取っています。
つまり、この唄は当時の彼女の周りの愛すべき、小さな小さな世界で起こった、あるいは起こりつつある出来事、風景をお国言葉で綴ったもの。
だからこそ、この唄のタイトルは「熊本甚句」なのです。

では、この唄の制作現場に降り立って、彼女と同じ視線で、もう一度この唄を見てみましょう。

ある日、彼女は三味線を手に自分の周りを見回しました。
まず浮かんできたのは、愛すべき、そして敬服してやまない親友のチモ(登茂)さんのこと。
前向きで、挫けることもなく、何事にもひたむきな彼女
その彼女の痛快なエピソード


周りが勝手に決めて進めていった縁談
「あたしだって選ぶ権利はある。あんな痘痕顔、こちらから願い下げ。
あとはあんた達、町の世話役なんだから、なんとかしてくれるわよね」
と男に肘鉄を食らわせ、さっさと帰ってきたと言う、いかにも彼女らしい出来事。


それから、次は、やはり私の好きなこの町のことを歌いましょう
賑やかな川端町へ、まずは、さあ、出掛けましょう。
時は春、少し足を延ばせばチモさんのいる春日村c0163399_15203538.jpg
黄色い大きな花が真っ盛り。
花のお尻についた実が重さを支えきれず
ぶら下がっている様も面白いボウブラさん達。
空には雲雀の子がピーチクピーチクさえずっている。
とげとげが痛そうな玄白茄子さん達

(右画像も冒頭と同じ「春日人おてもやん」の管理人さん提供。
多分、これが「しりひっぴゃあて」の光景だと思われます)


チモさんの結婚の話が出ましたが、実は、私だって好きな人はいるのです。
その話をしましょう。
その人は遠いところにいる人だけど、
なかなか女からは告白出来ないもの。
でも、そろそろお彼岸。
熊本の夜聴聞と言えば、なんと言っても近くの古樋屋町の普賢寺。
偉いお坊さん方がわざわざお出でまし、仏様のありがたい話をされる。
あちこちから若い衆も皆集まってくるし、
遠いところへ出稼ぎに出た人も戻ってくる。
あそこでなら、ゆっくりあの人とも話が出来るんじゃないかしらん。
別にイケメンだから惚れたんじゃないの。
ちょっと煙草入れのセンスが良かったので興味を持っただけなのよ。
銀金具なんて高そう、お金持ちかも…
あらあら、あたしとしたことが、あはは、なあんちゃってね

多分、銀金具云々は彼女の照れ隠しなのでしょう。

おそらく、3番は後から作られたものと思われます。(注3)
方言も殆ど出てきませんし、「熊本」が出てくる訳でもありません。
別人の作の可能性も否定できません。
しかし、私は、この唄がそれなりに花柳界で知れ渡った後、
作者が自分の人生を振り返りつつ、付け加えたものに思えてなりません。
何故なら、そこに1.2番に共通する創作のスタンスを感じるからです。

♫ (3番 オリジナル)
一つ世の中 艱難辛苦の 荒波越えて
男度胸で おいでなさい
くよくよしたとて しょうがない
いつかは芽も出る 花も咲く
移り気な浮き世の ならいに 
取り越し苦労は おやめなさい
悩みなんぞは こちゃしらぬ
意地と張りの心が それが後生楽たい
あかちゃか べっちゃか ちゃか ちゃか ちゃ

♫  (Naomi's Choice訳)
さあ、今度は男衆の為に歌いましょうか。
人生は辛く苦しいことだらけ、それを怖れない気力を持つことこそ男と言うものでしょう。
くよくよしても仕方ない、いつか認められ花開く時もあるでしょう。
どうせ世間なんて移り気なもの、あれこれ気に病んだり、心配するなんてやめましょう。
悩みなんか私は全く知らないよ。
意気地を持って、精一杯突っ張ていれば、後の人生、気楽に過ごせるもの。
あらあら、あたしとしたことが、あはは、なあんちゃってね

特に後段は女座長として一座を率い、封建的な男社会と渡り合い、
男に伍して生きていた作者の「矜持」が感じられ、いかにも彼女らしいと思います。
「男への応援歌」を借りた「女の啖呵」と私は捉えています。

私は男なので、正直な話、このあたりの女性の気持ちは、今一、分からないのですが、女性の読者、特に熊本の方のご意見を是非お聞きしたいものです。

残された写真で見るイネさんは丸顔で柔和な表情をしています。
60代後半の頃(昭和初期)の撮影とも言われていますが、詳しいことは分かりません。
彼女の中にある女芸人としての勁(つよ)さ等微塵も感じさせません。
「肥後もっこす」が女性にも使われる言葉かどうかよく分かりませんが、歌詞からは
彼女の才気や矜持を強く感じます。
きちがい師匠やぴんぴんばあさんと呼ばれていた彼女も、遂には菩薩様の様に全て受け容れ、包容力に満ちた存在になっていったのでしょうか。

結局、私は、この唄の基調を成すもの=通奏低音は「熊本賛歌」、特に「熊本の女性への賛歌」だと捉えています。
つまり、この唄は「熊本女による、熊本女の為の、熊本女の唄」なのです。
その象徴、代表選手が「おてもやん」(富永登茂)と言う訳です。

そして、それ(この唄に元々備わっていた歌力)故にこそ、この唄は全国津々浦々まで広がっていったのでしょう。

注3) 別歌詞
実は上の3番として紹介した歌詞の他にも色々な歌詞が伝わっています。
例えば、「日本民謡大観 九州(南部)・北海道篇」(日本放送局)では「禿げおやじ」を歌った歌詞を収録。
内容的は「熊本甚句」本編とは何の関連性もない、単なる替え歌に過ぎません。やや毛髪の少ない方への配慮を欠いたもので、科学的にも理論的でない現象を歌っており、一記事当りの容量もあり、本ブログでは紹介しません。

【 カヴァー作品 】

Part1で、ご紹介した赤坂小梅の初吹込み以来、民謡・演歌はじめ様々なジャンルの歌手が、この曲を採り上げますが、(そもそも、民謡にカヴァー概念は不似合ですが)その中でも、特徴的なものを選んでみました。
c0163399_21245586.jpg
50年代、美空ひばり、雪村いずみと共に「3人娘」として一世を風靡したのが、江利チエミ(1937 - 1982)。
私の評価では、3人の中でも、当時の言葉でいえば、「バタ臭い」、今風に言えば「黒っぽい」「ダウン・トゥ・アースでソウルフルな」歌唱を聞かせたのが彼女でした。
明るいキャラクターの持ち主で若過ぎた死が惜しまれる存在です。
さて、LPレコード時代の到来で彼女が最初に作ったオリジナル・アルバムが「チエミの民謡集」(58年 キング)でした。これは当時の人気ラテン・バンド、東京キューバン・ボーイズとの共演で芸術祭参加作品でもありました。
その冒頭の曲がこれ。アレンジは内藤法美。
ブラジル北東部(ノルデスチ地方)の音楽である「バイヨン」(氷川きよしの「虹色のバイヨン」で認知度アップしていますね)。赤坂小梅以来定着した2拍子での歌唱とぴったりフィット。チエミの希望で中野ブラザーズのタップ入り。両者は前年公開された宝塚映画「青春航路」で共演。映画での彼女の下駄タップは話題に。
オリジナル盤は勿論、CDでの民謡編集盤も現在絶版なので、ベストもので、どうぞ。
江利チエミ 全曲集(12曲1600円シリーズ) (2009年 キング)

さて、60年代になると、和洋対照的な双子の姉妹デユオが活躍します。
c0163399_2241873.jpg
その一方が、ここで採り上げるザ・ピーナッツ。
他方は勿論こまどり姉妹。
えっ、ピーナッツが「民謡」なんて逆じゃないの?
と言う感じですが、実は彼女達のシングルのB面は第2弾の「キサス・キサス」から民謡シリーズが暫く続きます。それもタイトルを変えて。
つまり、「チャッキリ、チャ・チャ・チャ」(ちゃっきり節)、「米山さんから」(三階節)と言う風に。そして、第4弾シングル「乙女の祈り」(60年2月)のB面がこの曲。タイトルは「ばってん ばってん ばってんてん」
アレンジは彼女達の育ての親とも言うべき宮川泰。お得意のポップ感覚で処理しています。伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズが演奏とお囃子(元々男性コーラスグル-プ)でバックアップしています。
彼女達の第2弾アルバム(60年4月)は民謡集で、ここにも収録されています。
ピーナッツ民謡お国めぐり(紙ジャケット仕様) (2009年 キング)
しかし、こまどり姉妹の台頭があった為か、ピーナッツの民謡路線はひとまず、これで終わりとなります。
言えることは、単純にカヴァーやポップスに止まらず、何でもこなす音楽性の広さと深さ、抜群の歌唱力とハーモニーが彼女達の強みであり魅力でした。

では、最後は最近の日本のヒップ・ホップ・ミュージックで締めましょう。
c0163399_20292023.jpg
「おてもやんサンバ FEAT. 水前寺清子, MICKY RICH & ポチョムキン」
赤マスク (2009年 ポニーキャニオン)収録。
熊本出身のラッパー、ポチョムキン(本名 山形心 HipHopグループ餓鬼レンジャーのMC)のソロ・プロジェクト。
Part2でご紹介した「火の国まつり」で踊る「サンバおてもやん」が元ネタ。
カヴァーと言うより、オマージュと捉えるべきでしょう。
ミックスCD「HUNTER CHANCE SUDIO MIX VOL.2」(Micky Rich Feat.Pocyomkin From 餓鬼レンジャー)(作詞作曲もポチョムキンとMicky Richの2人)で話題になった「おてもやんサンバⅡ」に、なんとジャパニーズ・ソウル・ディーヴァとも言うべき水前寺清子を迎えて新たに録音された作品です。
流石、チータ(水前寺清子)。凄い!煽りに煽ってくれます。
彼女を単なる懐メロ歌手や「CCレモン」のCMで歌っている人などと思っている輩はぶっ飛ぶことでしょう。
なお、Micky Richは日本のダンス・ホール・レゲエシーンで活動しているアーティスト。
浅草を拠点とするSOUND CREW“RACY BULLET”の一員で、KEN-U、DOMINO KATとのユニット“ENT DEAL LEAGUE”等々、ソロ以外にも多岐に亘り活動。

権利関係が不明の為、公開が止められる懸念もありますが、一応、You Tubeにアップされている同曲の動画を貼り付けておきます。いずれにせよ、ここで公開されているのは楽曲の一部ですから、興味を持たれた方は正規盤を購入することをお勧めします。
因みにPart1でご紹介した「くまもと人物紀行 おてもやん」をポチョムキンが読んでいるシーンが出てきます。


アフィリエイトのお知らせ
上記のアルバム・書籍等に関心のある方は、タイトル名をクリックすれば、リンクしている販売業者のサイトで詳細を確認できます。購入の判断等はご自身の責任でお願いします。
[PR]
by Eiji-yokota | 2011-02-11 18:41 | SONG | Comments(0)
<< He Was Beautifu... おてもやん   「熊本甚... >>