Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
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おてもやん   「熊本甚句」  Part2

- 1890~1900年頃? 永田稲 -
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冒頭の画像は毎年8月に熊本市で行われている市主催の「火の国まつり」(公式HPから)
このお祭りのハイライトが「おてもやん総おどり」です。
熊本市がいかに、この唄に肩入れし、観光の目玉にしようとしているか伝わってきますね。
公式サイト」(←ここをクリック)では、「おてもやん」「サンバおてもやん」(編曲:森岡賢一郎)のネット配信、CD貸出から、踊りの振り付けまで紹介しています。

さて、Part1では、「おてもやん」を巡る歴史的動きを中心にざっと見ていきました。

Part2では、この唄の歌詞の詳細を見る中で、各説が唱えている内容をチェックしていきましょう。





【 「おてもやん」とは? 】

これから、この唄の歌詞を一語一語見ていく訳ですが、まずは、この歌詞の冒頭だけを独立した項目として、じっくり見ていこうと思っています。
と、言うのは、この唄を巡る様々な解釈は、まさに、この冒頭で呼びかけられている「おてもやん」―この唄の通称でもありますが―を巡る様々な説と表裏一体だからです。

まず、言葉を分解しましょう。

「お」は女性の名につける敬称。

「ても」については、Part1で紹介した「富永登茂(トモ、チモ)モデル」説の他、大きく分類して次のような説があります。なお、各説の名称は便宜的に私がつけたものです。
・個人名説
・代名詞(隠語)説
・非固有名詞説
詳しくは後述します。

「やん」は接尾語。
相手が庶民(平民)の場合に名詞につける呼びかけ
相手への呼びかけについては、当時平民の間でも
上流:さん、中流:しゃん、それ以下:やん
と分けられていたとされています。

個人名説に立てば、「ても」は、その呼びかけ(やん)から、最下層に属していたことになります。
したがって、一つ間違えば、この呼びかけは、蔑視とも捉えかねられませんが、おそらく庶民の間では通常の呼びかけであったと思われます。作者がここで親しみを込めて呼んでいることは、この歌詞全体から伝わってきます。

さて、おてもやんのモデルが誰かは別として、それが個人名であると言う解釈が一般的ではありますが、一方で上のように異説もあり、もう少し詳細にみていきましょう。
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1.肥後勤王党説 (隠語説)
「おてもやん」を肥後勤王党のメンバー(松村大成、宮部鼎蔵等)の代名詞(隠語)と捉える説
熊本の作家、郷土史家である荒木精之(右はその銅像)の「熊本雑記」(1967年 日本談義社)の中で、親戚で西南戦争も経験した荒木徳次郎から、聞いた勤皇の志士の「しのび歌」説として紹介しています。

2.西南戦争の熊本隊説 (隠語説)
逆に、この唄を西南戦争の熊本隊(士族)の優柔不断(薩軍につくか政府軍につくか)をあざわらった町人百姓の歌で、ここでは旧士族達を指しているとする説もあります。
残念ながら、この説について、具体的な出典に直接触れることは現時点では出来ませんでした。

1については、後にも触れますが、あまりに技巧的(こじつけ)で、そもそも全体が庶民言葉で綴られ且つ花柳界で歌われていた唄が勤王の志士の作や、志士の心情を歌ったとすることの不自然さは否めません。
その点では庶民の唄とする2の説の方が自然ですが、やはり内容的に無理があるのではないでしょうか。
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3.下女一般の呼称説 (非固有名詞説)
仲井幸二郎は、「口訳 日本民謡集」 (1999年 蒼洋社)の中で、下働きの下女を「テマ」と言う方言もあり、それが訛ったものと解説しています。
「肥後女性」全般を指すと某楽譜には記載されていましたが、これは疑問です。
また、他に単純に「手間がかかる」の「手間」が訛ったという説もあるようです。

4.つくね芋説 (非固有名詞説)
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西村亨「王朝びとの恋」(2003年 大修館)による

「ても」は「つくね芋」を意味する「手芋」と言う方言と言う見解。「福岡の方言だが、熊本でも生きていたのでは」と述べ、「春日ぼうぶら」「玄白なすび」等「野菜の世界」を歌っている、と。


以上が有力な説です。


なお、非固有名詞の2説は、いずれも論拠は確たるものではなく、類推に過ぎず、仮説の域を出るものではありません。同じ仮説ならば、現時点では各関係者の証言が比較的整合性がとれ、信憑性が高い「登茂(チモ)モデル」説を私は採ります。
ただ、西村説の「野菜の世界=野菜尽し」との指摘は興味深いものがあり、一種の掛詞を作者が仕掛けた可能性は十分あるのではと思っています。
因みに、モデル探しに尽力された小山良氏も、宴席で目についた「お手元」からつけたと言う仮説を提示しておられます。
私は、後述するように、この唄を「野菜の世界を歌っている」戯れ唄として矮小化する捉え方には抵抗がありますが、いくつものイメージを重ね合わせて作品を作りあげたと捉えるならば、それはそれで捨て難いものがあると思っています。
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ただ、しばしば類書の中で、おてもやんは「通常以下の器量だった」等のコメントを見かけますが、歌詞からそれを類推させるものは一切見当たりません。
まさか、「痘痕」男と結婚させようとしたから、おてもやんの器量も悪かったのだろう、と推測した訳でもないでしょうが。
また、昭和40年頃と言われる、おてもやんのコミカルな踊りのスタイルが完成した際のメイクにも、その辺りの影響があるようです。思い込みとはおそろしいものです。この点は後述します。
(どちらが鶏か卵か分かりませんが)
右画像は典型的な「おてもやん」変装セット。
これが、一般人の持つ「おてもやん」のイメージかも知れません。
少し哀しい。
【レビューを書いてプレゼント】おてもやんセット/変装マスク付

では、以上の説を念頭に置いた上で歌詞を見ていきましょう。

【 1番の歌詞 】

あんたこのごろ よめいりしたではないかいな

この節と、次に歌われる「破談」の理由の節と合わせて考えると、
おてもやんのこの結婚は相手の顔も見ずに進められたことが推測されます。

現代日本では、信じられないことですが、戦前までは田舎でも、ままあったことでした。
先の西村慶応義塾大学名誉教授は著書の中で宮廷の結婚の形態と庶民の民俗のそれを比較する形で、この唄で歌われている結婚に触れ、
これは「試験婚」や「足入れ婚」と言う、縁談によって契約が成立すると女性が男性の家にある程度期間住み込んで仮の夫婦として生活し、相互に良しとすれば、固めの盃をして正式の夫婦となるものである
と解説しています。
私の両親の里である福岡や佐賀でも、
まず、事実上の結婚生活をし、子供が出来て初めて籍を入れる、
逆に、子供が出来ない場合、一方的に縁談が破断となる、離縁される
と言う風習が戦前には一部あったようですので、
このような、なんらかの暫定的な結婚の形態の存在は当時は広くあったことは想像に難くありません。
歌詞を忠実に追えば、おてもやんの意思に拘わらず、周囲の世話好きが話を進め、本人は、その日まで、新郎の顔も見ていなかったと思われます。

先の「しのび歌」説では、この部分は「朝廷と連絡がついた」と言う意味に解します。


よめいりしたこたしたばってん

「したこた」=「したこと」
「ばってん」は九州共通の方言で「~したのだが」の意。

さて、ここでおてもやんの相手について考察してみましょう。

永田稲の弟、大吉が、思い出話として「チモに恋慕した上益城郡木山の牛島彦一なる人物が、飽託郡保田窪村村長荒尾勝彦の肝煎りで結婚にこぎつけた。この彦一は子供の頃、天然痘を患い、顔に後遺症があり、その為に30歳を過ぎても独身であったが好人物であった」と述べたこと(「時雨かわら版」1975年)から、結婚相手は牛島彦一説が唱えられています。

しかし、戸籍的には富永登茂は生涯独身で、結婚した記録も子供を産んだ記録もありません。事実、唄の中では、おてもやんは新郎に肘鉄を喰らわせています。
大吉の語ったことは、結婚にこぎつけたが、最終的にダメだったと言うことでしょうか。
あるいは、一旦振ったものの、その後、事実上の結婚はしたが、なんらかの理由で長く続かなかったのでしょうか。

先に私は「チモ・イネ」説が、関係者間の証言の整合性があると述べましたが、この部分だけは、どうにも説明が困難な部分として残されています。
勿論、当時の戸籍ですから、どこまで真実を記録しているのかは定かではありません。
しかし、大吉の話は細部に亘って詳細であり、勘違い、ねつ造と即断することは躊躇せざるを得ません。今後の研究を待たねばならないかも知れません。
因みに、「チモ・イネ説」でも、彦一との祝言で大喜びするチモをイネが即興で面白おかしく歌ったと解する向きもありますが…

ところで、今でもお座敷芸で「おてもやんと彦しゃん(彦一)」のペアでコミカルな踊りが披歴されることがあります。これらについては、どうやら唄が広く流布してから作られたもののようです。市松富士子が昭和40(1965)年頃現在のスタイルにしたとも言われています。
彦一は同じく熊本の頓智話のスーパーヒーローの彦一を連想させます。

小山良氏は、この踊りが一般化する前、戦前にはスローテンポで艶っぽく踊っていたことを示唆しておられます。


ごていどんがぐじゃっぺだるけん

「ごてい」は「ご亭主」
「どん」は接尾語。医者、亭主、村役等に対する呼びかけ語として使われ、「殿」が訛ったものとされています。
「しのび歌」説では、これが孝明天皇(明治天皇の先帝、父。当初、攘夷論を支持していたが、公武合体に踏み切った。天然痘により崩御。但し異説あり。)を指すとされています。
Part1で紹介した「五足の靴」では、「ごていどん」が「ごんじゃどん」と表記されています。
漢字で書けば「権者」となるのでしょうか。意味は同じでしょう。

「ぐじゃっぺ」は方言で「痘痕(あばた)」。漢字で「菊石平」と書くことは、先の西村名誉教授の著作で私も初めて知りました。
「しのび歌」説では、孝明天皇が天然痘=疱瘡(ほうそう)に罹患したことの意と解します。

「ぐちゃっペだんけん」と歌われている歌詞もあります。

まあださかずきゃせんじゃった

通説では「固めの盃」。

「しのび歌」説では、孝明天皇が病気だった為、直接盃はもらえず、あくまで非公式に連絡がついたに過ぎないと解します。
しかし、そもそも武士が公家の頂点に君臨する天皇から直接盃を受けることなどあるものでしょうか?

「さかずきゃあげたがせんだった」と歌う例もあるようです。

むらやくとびやくきもいりどん
あんひとたちのおらすけんで


「村役(村の幹部吏員)、鳶役(火消しの幹部)、 肝煎(名主または地域の世話役)殿、あの人達がいらっしゃるので」の意。

あとはどおなときゃあなろたい

「後のことは、なんとかなるだろう」の意。
「きゃあ」はこの唄の歌詞に頻出します。意味を強調する「接頭辞」です。
「しのび歌」説では、「秘密裏に朝廷と連絡をとったものの、肥後藩は親幕派の為、色々面倒なことがおきるかも知れないが、なんとか収拾してくれるだろう」となります。
志士としては、やや腰砕け、他力本願的発言ですね。


さて、以下、一転して、風景の描写になりますが、「しのび歌」説では、この部分については、なんらコメントはありません。


かわばたまっつあんきゃめぐらい

この唄も、幼い頃は耳から覚えたもので、その語呂の良さと意味の不明さが印象的だったことを昨日のように覚えています。「川端松さんキャー目黒」…何、それ?! って、感じでしたね。

しかし、今となっては「川端町へ、廻ろう」と言う意味だと分かります。
川端町は「永田稲(イネ)作者」説から見れば、彼女の生まれた米屋町の隣、おそらく彼女も出演したであろう末廣座があり、当時、賑わっていた筈で、納得的な展開です。

因みに末廣座は明治33(1900)年にオープンしています。時に稲、35歳。

一説では登茂(チモ)が働いていたとされる「旭楼」も、ここから比較的近くにあります。

そもそも、かつて京町にあった熊本の花街は、西南戦争で灰燼に帰し、当時畑地であった二本木(川端町の南、春日町、今の熊本駅の東)に移転したのが明治13(1880)年です。
そこから、街が次第に賑わったと考えられます。逆に言えば、「しのび歌」説だと成立は幕末ですから、この辺りの繋がりが今一つ説得力がなくなります。

かすがぼうぶらどんたちゃ

「かすが」は地名。
今の熊本駅あたり、特に西側には今もその地名が残っています。
明治39(1906)年、春日村から町へ移行
「ぼうぶら」はカボチャの一種。

明治24(1891)年の熊本駅(停車場)開業までは一面のぼうぶら畑だったようです。
その後も暫くは畑もあり、栽培されていたようですが、駅の拡張、人家の増加等により次第に下火になったようです。
但し、太平洋戦争中は一時主食として配給されていたとも。
近年、民家にあった種を譲り受けて栽培の再現に成功。
現在では熊本市が指定する15種の「ひご野菜」の一となっています。
長さ30cmを超える、ヘチマのような外観とあっさりとした味が特徴です。
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(上記画像は「熊本市ひご野菜」のHPより)

なお、「五足の靴」の「平戸」(8・16)の章で「外国語の日本化したものを捜そうとしたが、あまり集まらなかった」が、辛うじて「ボーウラ(南瓜 かぼちゃ)」他を紹介。また、「大江村」(8.22)の章では「ぼうら(南瓜)なんか、この村では売買しないそうだ」とコメント。同じ個所で「とうなす」と言うルビもふっています。
いずれにせよ、明治40年頃でも、同じ品種かどうかは別として、ぼうぶら自体は、広く各地で栽培されていたことが認められます。
なお、西南戦争での熊本隊を嘲った説では、「春日ぼうぶら」は町人・百姓の象徴であり、次節のとおり、尻引っ叩いて嘲笑ったとなるのでしょう。

しりひっぴゃあてはなざあかりはなざかり

「尻ひっぱたいて」「尻ふっぱって」いずれも「尻を引っ張って」あるいは「尻を引っ叩いて」の意と捉えている説が主力です。
「しりしっぴゃあじ」と歌われ、それは「尻をひっぺがして」という意味とし、「小さなカボチャの実がその尻(ヘタの反対側)に萎れて裏返しになったような大きな花をくっつけてコロコロ転がっている様子をユーモラスに表現している」と解する説もあるようです。実は私もこの説の考え方に近いのです。
「ぼうぶら」と「尻ひっぴゃあて」と「花盛り」を矛盾なく説明しようとすれば、咲き乱れているぼうぶらの黄色い大きな花にまだ小さな実がひっぱられている様を歌ったと解すれば、意味が通じます。
「尻出し男達に比べ、私(おてもやん)は今女盛り」と解釈するのは、あまりに飛躍、こじつけ過ぎでしょう。

ぴいちくぱあちくひばりのこ

「ピーチクピーチク」と言う歌詞もあり、そちらの方が古いかも知れません。
(因みに昭和10年吹き込みの赤坂小梅は上のとおり歌っています)
また、チーチク、チーチクと歌っている人もいます。

げんぱくなすびのいがいがどん

「げんぱく」は杉田玄白(1773 - 1817)。
「解体新書」等で蘭学の第一人者として有名。
玄白なすびは、彼がひろめた茄とされています。歌詞の内容からも棘があったようですが、そもそも通常の茄子の葉ヘタには棘があります。

この植物については、春日ぼうぶらのように特定することが出来ませんでした。
なお、一部の書籍では、猛毒性の「朝鮮朝顔」(キチガイナスビ、曼荼羅華 マンダラゲ、学名:Datura metel)を指すと説明しています。品質の悪い茄子とも。
この植物は、その名に相違してナス科の植物で、様々な形態があり、確かに棘の付いた実を持っているものもあります。
南アジア、インド原産で日本には1684年に薬用植物として渡来、本州以南で自生しています。
華岡青洲(1760 - 1835)が麻酔用に使ったことで有名ですが、この解釈は、同時代の医者である杉田玄白と華岡青洲を混同しているのではないかと思われますが、詳細は不明です。

また、「げんぱく」を、「気持ち悪い」「吐き戻す」の意と説明している文献もあります。
(例:長田暁二・千藤幸蔵「日本の民謡―西日本編 (現代教養文庫)」1998年 社会思想社)

因みに島津亜矢が歌う「おてもやん純情」(作詞:志賀大介)で、「春日ぼうぶら、玄白茄子は惚れ薬」と言う歌詞に接した時は、思わず、のけぞってしまいましたが。

「野菜の世界」説と言っても、登場するのは「手芋」を含めて3つだけですから、やや説得力に欠けるのでは…

また、野菜を擬人化しているところも面白いところです。
おそらく、その影響と、最初の歌詞のインパクト(嫁入りしたが、固めの盃はしなかったこと)があって、野菜を群がる男に譬えて解釈するスタンスが出てくるのでしょうが、やはり無理がありますし、疑問です。

私は、ここで作者はただ名調子に合せて、熊本の春の光景を歌っているのだと思っています。

なお、「原爆茄子のピカピカドン」と言う、笑えない誤用も一部で流布しているようです。


【 2番の歌詞 】

ひとつやまこえもひとつやまこえあのやまこえて

一つ目の山は万日山、二つ目は茶臼山(熊本城の山)、三つ目は京町台だと言う説もあります。
しかし、ここで山を特定しても、それほど意味があるようにも思えません。
むしろ、後代の炭鉱節(昭和初期)にも、これと似たような表現が出て来るので、一つの決まり文句のようなものかなとも考えています。

♫ ひとやま ふたやま みやま越え


「しのぶ歌」説によれば、これは、遠い遠い京都を指すものとなります。


わたしゃあんたにほれとるばい
ほれとるばってんいわれんたい


どうやら、作者は恋をしているようです。
ここで、おてもやんに別に本命がいるのだ、と解する人もいますが、
それは、この唄が徹頭徹尾おてもやんを主役として歌ったものと見る前提から出たものでしょうが、私は、これを採りません。

「しのび歌」説では、天皇への思慕の表明と親幕派の多い肥後藩でそれを口外出来ない苦しさを訴えたものと捉え、しのび歌の最大の眼目となっています。
しかし、仮に「譬え唄」としても、天皇に向かって「あんたに惚れとるばい」と言うでしょうか。

なお、1961年公開の大映映画「おてもやん」は、この「しのび歌」説がベースになっているようです。
私は実際に見たことはないのですが、
詳しくは下記URL:
http://movie.walkerplus.com/mv20090/
Movie Walkerまで。

おいおいひがんもちかまれば
わかもんしゅうもよらんすけん


ここが「五足の靴」に掲載された歌詞と一番違うところで、そこでは「村の若い衆が張番しとらすけん」と歌われ、村の娘に他の村の男達が手を出さないように見張っていると言う意味としています。

「しのび歌」説であれば、ここで、肥後藩細川家が勤王党に目をつけて警戒しているので、なかなか同志の会合も出来ないが、と解釈出来そうですが、同書の歌詞の記載は上の文例によっています。但し、解釈自体は今書いた内容にほぼ沿ったものではありますが。

通説的には「やがて彼岸も近づき、若者衆が集まってくるので」となります。


くまんどんのよじょもんみゃありに
ゆるゆるはなしもきゃあしゅうたい


「くまんどん」は「熊本」
「よじょもんみゃあり」は「夜聴聞参り」
「ゆるゆる」は「ゆっくりと」
「しゅうたい」は「するつもりだ」

川端町に隣接している古樋屋町にある普賢寺は古くから常説教の寺として有名で、安芸をはじめ各地から布教師が来山し、多くの信徒が集まったそうです。
彼岸の入りから明けまで1週間かけて行われる説教、特に夜の説教=夜聴聞では1日の労働から解放された若者達のカップルで境内は賑わっていたようです。
ここでは意中の人物とゆっくり話をしてみようと心待ちにしている様が描かれています。

「しのび歌」説では、この人ごみに紛れて連絡をとろうと解します。


おとこぶりにはほれんばな
たばこいれのぎんかなぐがそれがいんねんたい


「それがそもそも因縁たい」と歌うものもある。

「ばな」は「~だよ」の意。「ばい」と殆ど同じ。

通説では、
男の外見には惚れない。
煙草入れの銀金具が原因で、こうなってしまった。
と解します。
一種の言い訳でしょうか。

「しのぶ歌」説では、
前段を、権勢を振るう者でなく天皇様にこそ心を寄せていると歌い上げ、
後段で、拝謁した討幕派の公家の持っていた煙草入れの意匠が印象的だった
と解します。

アカチャカベッチャカ チャカチャカチャ
 (合いの手、囃子言葉)

【 まとめ  Part3 へ 】

この唄は1番で春、2番で秋、それぞれの熊本を描いている訳です。

この唄には3番も伝わっています。
それについてはPart3で述べます。
Part3 では、私なりの解釈で、今一度、この唄の意義・位置づけ及び作者永田稲を主体に、当時の状況を見ていきましょう。


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by Eiji-yokota | 2011-01-31 23:59 | SONG | Comments(0)
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