Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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いっそ セレナーデ

 - 84年 井上陽水 -
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84年10月リリース。
サントリー角瓶のイメージ・ソングに採用され、井上陽水自身もTV-CMに出演。
当初からCMの企画があり、2~3曲準備して臨んだ陽水自身としては一番何となく作って駄目と思っていたこの曲が選ばれ、「そうかなぁ、こんな曲、どこがいいのぉ?」と言ったとか。

オリコンで最高4位を記録。「青空ひとりきり」(75年)以来、久々のベスト10入りヒットとなりました。
この年の12月10日付のオリコン・シングル・ランキングでは中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」が2位、安全地帯の「恋の予感」が3位、自身の「いっそ セレナーデ」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占めました。
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同月21日にはこの曲とこれらの提供曲をセルフ・カヴァーしたアルバム「9.5カラット」(フォーライフ)リリース。
「9.5カラット」は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来2作目のミリオンセラーに。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得。
「氷の世界」で大ブレイクし、ブームを巻き起こして以来の「陽水第2黄金時代」の到来と評されました。

今や大御所的存在になった井上陽水。
少なくとも、このブログの読者なら、知らぬ人さえいない筈。
今更、このブログであらためて「解説」することなど、何もありません。

だから、これから語るのは、約40年前の極私的プレ井上陽水体験。

あの頃、あの場所で、思春期に入りかけていた少年少女達へ…




【 Fukuoka ’69 】

中学生の私は、突然、洋楽=Popsに目覚めてしまいました。
GS(グループ・サウンズ)の発展形で、その源流のPopsを聴いてみたくなったことが始まりだったような…
福岡の板付に米軍が当時駐留していたこともあって、FEN(Far East Network)でアメリカの最新のヒットナンバーが聴け、それはそれでご機嫌でしたが、やはりネイティヴの英語はついていけないところがあって、ふだんは地元の民放ラジオを聴いていました。
当時、福岡には二つの民放ラジオ(AM)が勢力を競い合っていました。
RKB毎日放送とKBC九州朝日放送。
私はどっちかと言うと、KBC贔屓で、「ボーイズ・ビー・ポップス」とか、ポップスがオン・エアされる番組を探し、夢中で聴いていました。
受験勉強と言う格好の「隠れ蓑」を見つけて深夜ラジオに嵌ったのもその頃。
ある日、RKBで衝撃的な番組が始まりました。
「スマッシュ! 11(イレブン)」
月曜日から土曜日の23時から1時間の生放送。
放送開始は69年4月。私は中学2年生。
メイン・パーソナリティは井上サトル(悟、里瑠)アナ。

本当に面白かった。
音楽も素敵だったけど、トークが最高だった。
少しエッチな内容も良かった。
ヒゲのサトルさんがデンスケ持ってリスナーの声を集めた「明日に向かって撃て!」、
「通学沿線気になるあの子」「スマッシュ・レポート」のコーナーとか…
感覚的に言えば、当時の福岡の中高校生の大半が聴いていたんじゃないでしょうかね、圧倒的な人気を誇った番組でした。

番組が始まって暫くしたある日、「カンドレ・マンドレ」と言う歌を歌うアンドレ・カンドレなる謎の若者が番組に登場しました。
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まるで魔法の呪文のような「なんて変わった歌なんだ」と思ったものでした。
既にビートルズの洗礼を受けていた私には、その日本人離れした、
そしてジョン・レノンにも通じるそのナンセンスさや言葉遊びに驚かされました。
それまで全く日本には存在していなかったタイプの曲でした。
やがて、アンドレの正体が田川郡の歯科医の子息で歯科大目指して浪人中と明かされます。

そう言えば、その前年に流行ったのが、高石友也の「受験生ブルース」
そう、当時はフォーク・ブームでした。その中にあって、アンドレ・カンドレのサウンドはズバ抜けて新しかった。(珍奇とも言う)

なんと、彼はあれよあれよと言う間に当時新興勢力だったCBSソニーと契約。
アンドレ・カンドレは歯科医の道=受験を断念し、プロの音楽家の道を選んだのです。
「上京してプロを目指す彼をみんなで応援しよう」なんてメッセージがラジオで呼びかけられていました。
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東京へ---
地方の少年、少女は「花の都」に、それはそれは憧れていたものでした。
そう、彼は我々の代表選手だと当時の私達は思ったのでした。
9月のデビュー・シングルから程なく、東京のアンドレから我々に届けられたのが「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」
これは、シュールな歌詞に加え、甘く艶のあるアンドレのシンガーとしての巧さが光る曲でした。
しかし、2曲ともヒットしませんでした。
そして3枚目の「花にさえ鳥にさえ」も…

「プロの世界は厳しいんだな…」と思ったことを覚えています。
いつしか、彼の噂も聞かれなくなり、私も高校生活をエンジョイし、ダイヤルもFENやFMに合わせられることが多くなり、音楽の嗜好も当時のジャズ・ロックへの関心に端を発して、マイルス・ディヴィスの"Bitches Brew"の衝撃と共にJazzの比重が増していた、ある日、街を歩いて耳に留った曲がありました。
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「凄い歌だ。日本でも、こんなポップな曲が現れたんだ!」と思わず、足を止めました。
そして、次の瞬間、それがあのアンドレ・カンドレの新しい芸名「井上陽水」の新曲「夢の中へ」と知った時の驚きと興奮!
彼は不遇時代にもめげることなく、音楽活動を続け、レコード会社も移籍し、遂に才能を開花させたことを知りました。
「夢の中へ」(ポリドール 73年3月)はシングル盤でしたが、それから彼の初期のLP、即ち、再デビュー後の「断絶」(ポリドール 72年5月)「センチメンタル」(ポリドール 72年12月)そして、その直後発売されて日本初のミリオンセラーLPとなった「氷の世界」(ポリドール 73年12月)を何度も何度も聴いたものでした。
「僕だけのアンドレ・カンドレ」が、一躍メジャーな存在の井上陽水になったことに、一抹の寂しさを覚えたのも事実でしたが。

ま、そういう訳で、あの時の「博多っ子」達は、今でも、それぞれに「俺(私)だけの井上陽水」を持っている訳です。
「知っとうや、あの陽水が、アンドレ・カンドレゆうて、いっちょん売れんかった時代から、俺達は、ずっと応援しとったとばい」と非博多人を捉まえては、誰もまともに聞いてはくれない自慢話を繰り広げるのです。

アンドレがデビューした翌年の70年、福岡に一つの、そして今も続く音楽喫茶がオープンします。
「照和」--
ここから陽水に続く九州出身のアーティストが次々と全国へと飛び出すのですが、それはまた別の機会に。


【 おまけ : "Till There Was You"が歌われた場所は… 】

このブログの最初の頃、"Till There Was You"を採り上げました。
そして、次の様に締めくくりました。

このビートルズのバージョンが更に井上陽水をインスパイヤーして、もう一つの名曲が生まれるのですが、それは次の機会に。

今回、丁度良い機会ですので、ここで、「もう一つの名曲」の「答え合わせ」をしましょう。
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答えは---"Tokyo"
91年3月シングル・リリース。
(リリース自体は下記アルバムが先行)
奇しくも、同じサントリーの「ローヤル」のイメージ・ソングでもありました。
陽水と親しかったジャーナリスト、キャスターの故筑紫哲也の依頼で「ニュース23」(TBS)のテーマ・ソング(最後のニュース)を書くことになり、大滝詠一にサポートを依頼したところ、彼が連れてきたのがアレンジャーの川原伸司(ペンネーム:平井夏美)。以後二人の共同作業が続きます。
ある日、二人がピアノで遊んでいる時、陽水が"Till There Was You"をリクエストし、彼が少しコードを変えて演奏したことが発端。
歌詞は後付けで、"Tokyo"と言うコンセプトを決めて、作ったもの。
本人曰く、「安易系の曲」
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作詞は陽水、作曲は陽水と平井夏美の名前がクレジットされています。
同じ福岡出身のタモリの「笑っていいとも!」(フジテレビ)に出演した時も、このネタを喋っていました。
以来、結構有名になった話です。

収録アルバム「ハンサムボーイ」(フォーライフ 90年)



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