Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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Home , Sweet Home    Part 1   「埴生の宿」

- 1823年 John Howard Payne + Sir Henry Rowley Bishop 
                                       /1889年 里見 義 -
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1823年初演のオペレッタ"Clari , or the Maid of Milan"「クラーリ、またはミラノの乙女」の挿入歌。

作詞はジョン・ハワード・ペイン(1791 - 1852 60歳 米:俳優、脚本家、作家、外交官)
作曲はヘンリー・ビショップ(1786 - 1855 68歳 英:作曲家、指揮者、教授)

以後2世紀に亘り、欧米そして日本で広く愛唱されてきました。
時折、「イングランド民謡」と言う表記を見かけますが、作者は特定されており、民謡と言う表現は当たりません。また作曲者のビショップがこの曲の着想を得たのはイタリア(シチリア)民謡からと言われています。
後述するように、賛美歌として採用されたこともありました。


冒頭の画像は米国ロング・アイランドにあるイースト・ハンプトンにある"Home Sweet Home Museum"
この曲の作詞者、ペインの故事に因むものですが(詳細は後記)、この建築物は残念ながらペインの生家や祖父の住居ではありません。しかし、当時の雰囲気を伝えてはくれます。
同ミュージアムのHP → Home Sweet Home Museum




【 この曲の誕生の背景 二人の作者について 】

この曲の起源については諸説があり、「ミラノの乙女」に先立って、
1821年に出版された"Melodies of Various Nations "に「シチリアの曲(Sicilian air)」として収録された"To the Home of My Childhood"(作詞:Thomas Bayly)と言う曲が、オリジナルだと言う説もあります。
一方で、この時、適当なシチリアの曲がなかったので、ヘンリー・ビショップが作曲し、その後「ミラノの乙女」でも同じメロディを使用したと言う説もあります。

① ミラノの乙女  "Clari , or the Maid of Milan"

1823年5月8日初演、3幕物オペレッタ。
脚本:ジョン・ハワード・ペイン
作曲:ヘンリー・ビショップ
記録によれば、初演で主役のクラーリを演じたのはMiss Ann Maria Tree
この曲はオープニングで主人公クラーリが歌う望郷のアリアとして歌われ、劇中で繰り返し形を変えて登場しました。

あらすじ:
ヴィヴァルディ侯爵は、田舎出身の純朴な乙女、クラーリを見染め、結婚の約束を交わします。
しかし、保守的な土地柄、身分の違いが二人の結婚を阻みます。
侯爵は、彼女に宝石を買い与え、パリ仕立てのガウンを着せ、召使を身の回りに侍らせ、出来る限りの贅沢な暮らしをさせますが、クラーリの心は晴れず、こう嘆くのです。
「粗末でいいの、我が家ほど良いところはないから (Be it ever so humble, there's no place like home)」
侯爵は、彼女を喜ばせようと、旅回りの一座の協力を仰ぎます。
魅惑的な求婚者から誘われる乙女の話を彼女に見せます。劇中、乙女の父親は求婚を受けない娘を責めます。父親が謝罪するシーンにクラーリは興奮して思わず妨害し、劇を台無しにしてしまいます。
やがて、クラーリは実家に逃げ帰るのですが、実の父親は彼女を許しはしません。
そこに侯爵が登場し、クラーリに感銘を受けた王様が二人の結婚を認めてくれたことを告げ、ハッピーエンドに。

ペインは、この筋立ての着想をフランスのバレー"Clari; or, The Promise of Marriage"から得たとされています。
"Home ,Sweet Home"は、このオペレッタの呼び物となり、興業は大成功します。

さて、では、二人の作者について、もう少し詳しく見ていきましょう。

② ジョン・ハワード・ペイン
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ペインはNYに生まれ、幼い頃から演劇に興味を示し、劇評や脚本を書いていました。
英国の悲劇役者ジョージ・フレデリック・クックに俳優として認められ、1813年渡英。
以後、英仏を股にかけ精力的に活動。フランスの作品の英訳も手がけました。
コベント・ガーデン劇場のチャールズ・ケンブルと組んで手掛けたのがオペラ「ミラノの乙女」でした。
一説には、彼はこの詩を、パリ滞在中に別のオペラの為に、少年時代を過ごした故郷、ロングアイルランドのイースト・ハンプトンの祖父の家を思い浮かべて書いたとも言われています。

ペインはこの脚本を250ポンドでケンブルに売却。出版されたこの曲の楽譜には彼の名前のクレジットはなく、"composed and partly founded on a Sicilian air by Henry R. Bishop"「一部シチリア民謡をもとにビショップが作曲」とあるだけで、ペインは一切の収入を得ていないようです。

なお、後に「歌詞」の項で触れますが、ペインのオリジナルは2節だけでした。

1832年、ペインはアメリカに帰ります。
やがて、チェロキー・インディアンに関心を持ち、彼等と生活を共にし、チェロキー・インディアンの起源を古代イスラエルに求める説を唱えます。
1842年、チュニジアの領事に任命され、2期務め、その地で亡くなります。
生涯、独身を通しました。


③ ヘンリー・ロウリー・ビショップc0163399_22444676.jpg
イタリアの作曲家フランチェスコ・ビアンキーニ(1752 - 1811)に師事し、和声を学ぶ。
1810~13年、コヴェント・ガーデン王立歌劇場音楽監督として舞台音楽を手掛ける。
1813年のロンドン・フィルハーモニックの結成に参加し、総裁の一人となり、指揮を手掛けるようになり、以後、いくつかのオーケストラを指揮。
1823年、「ミラノの乙女」の音楽を手掛け、名声を博す。
1825年、コヴェント・ガーデンのライバルであるドルリー・レーン音楽監督就任。
劇場専属作家に復帰。この復帰は「ミラノの乙女」の成功が大きく影響しているとみられます。
彼は渾身の力を込めて"Aladdin"に取り組みますが、興業的に失敗。
以後、舞台作家としての成功を手に入れることはありませんでした。
1839年、オックスフォード大学から音楽学の学位を授けられる。
1843年、音楽家として初めてナイトに叙勲される。
1848年、オックスフォード大学の音楽教授職も得ますが、生活的には苦しく、貧窮のうちに亡くなったと言われています。

2度結婚しましたが、声楽家でもあった再婚相手は、ビショップを捨てフランス人作曲家ニコラ・シャルル=ボクサと駆け落ちします。

その作風はモーツァルトとロッシーニの影響を受け、明晰で流麗、甘美と評されています。
今となっては、この曲の他は演奏されることも滅多にありませんが。

【 その後の展開 】

まだ、ラジオやTV、ネットもなかった時代、この曲は自らの力で色々な形をとって広まっていきます。

1826年 ディヴィッド・デナム(デンハム David Denham  1791 - 1848 英、バプティスト派の牧師)が、この曲の"Home"を魂の永遠の故郷である「天国」と見立てて、歌詞を書き直し、それが讃美歌として採用されます。

"'Mid scenes of confusion and creature-complaints". (Heaven Anticipated)として、今日知られている(Spiritual Songs No.383)のがそれです。

1830年 ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti 1797 - 1848 伊、作曲家)が、オペラ"Anna Bolena「アンナ・ボレーナ」" (12月26日初演)に、この曲の旋律を借用します。
このオペラは「1000日のアン」として知られる英国王ヘンリー8世の元妻・王妃アン・ブーリンの最後の日々をオペラにしたものです。
心変わりしたエンリーコ(ヘンリー)によってアンナ・ボラーレ(アン・ブーリン)は無実の罪で幽閉されます。そして自分のみならず、自分を救おうとした兄ロシュフォールやペルシーまで死刑を宣告されたことを知らされます。オペラのフィナーレ、エンリーコと自分の女官ジョアンナ(ジェイン・シーモア)の結婚の騒ぎが聞こえる中、狂死するアンナが「狂乱の場」で歌う「私の生まれたあのお城」(Al dolce guidami castel natio)がそれです。
オペラは大成功し、ドニゼッティは名声を博します。
(この為、この曲の作者をドニゼッティとクレジットしているものもあります)
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しかし初演の成功後、一時は忘れ去られたこのオペラに再び照明を中て、現代に蘇らせた立役者が20世紀最大のプリマドンナと言うべき Maria Callas マリア・カラスでした。
彼女の全盛期にあたる57年4月14日、ミラノ・スカラ座で大成功を収めた本作(演出は、かのヴィスコンティ)を収録したアルバム(現在 廃盤)は彼女の代表作であり、本オペラ再評価の決定打になったものです。
左は、彼女のベスト盤、勿論、上記曲も収録されています。
ベスト・マリア・カラス100 (EMI 07年)

1861年 米、南北戦争 ( Civil War )勃発。
既にこの曲はヨーロッパだけではなく、米国にも伝わっていました。
両軍が川を挟んで対峙していたところ、この歌が沸き起こります。事実上、停戦状態が生まれ、両軍は煙草やコーヒーを交換したと言われています。
どこかで聞いたようなエピソードですね。そうです。あの"Christmas Truce" (Silent Night 参照)と類似の現象が、ここでも起きたようです。この続きは、Part3で詳しく

1862年 南北戦争で北軍をリードした当時の米大統領、リンカーンも、この曲を好んでいました。
リンカーンは息子Willie(ウィリアム・ウォーレンス)を腸チフスで亡くします。11歳でした。
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ホワイトハウスでの息子の葬儀に招かれた19世紀を代表するオペラ界の大ソプラノ歌手Adelina Patti (1843 - 1919 米国で活躍した伊系移民)は、この曲を歌うよう要請されます。
しかし、パティはこの曲を知らなかった為、大統領自ら楽譜を用意させたというエピソードが伝えられています。
彼女の歌を聴いたリンカーンは涙を流し、アンコールしたと言います。
以後、この曲は彼女のコンサートのアンコールで必ずと言ってよいほど歌われるようになります。
右上画像は、同曲を含む彼女のベスト盤 "The Era of Adelina Patti" (Nimbus 94年)

1889年 日本で、東京音樂學校蔵版『中等唱歌集』(12月22日刊)に「埴生の宿」として収録・出版。
『小学唱歌集』と同じく官選の最も早い中学生用の唱歌の教科書で、全18曲掲載。楽譜には伴奏がなく旋律譜。半数は合唱曲。この中で「埴生の宿」が最もよく歌われたと言われています。
訳詞と訳詞者についてはPart2で後述します。

1905年 Sir Henry Joseph Wood (1869 - 1944 英、指揮者)、トラファルガー海戦勝利1世紀を記念して、関連する曲9曲を集めてFantasia on British Sea Songs を編曲。
この曲は第7番として採用された。

1909年 トーマス・エジソン、無声映画"The House of Cards"制作。
バーが閉まる時、"Play Home Sweet Home"とカードが示される。
以後、この曲は酒場の閉店時のテーマソングとなる。

日本でも、小説及び映画の「ビルマの竪琴」で、この曲は重要な役割を果たします。
詳細はpart3で。
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また、野坂昭如原作によるアニメ映画「火垂るの墓」(1988年、東宝)のエンディング・シーンにも、Amerita Galli-Curci アメリータ・ガリ=クルチが歌う同曲が採用されています。
左は彼女のバージョンを収録したジブリのサントラ・ベスト盤、STUDIO GHIBLI SONGS (徳間 98年)





つづく
part2 「歌詞の世界」
part3 「ビルマの竪琴」


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by Eiji-Yokota | 2008-11-24 19:33 | SONG | Comments(0)
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