Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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Layla   part 3 「Pattie Boyd」(パティ・ボイド)

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「いとしのレイラ」3部作の最後は、この曲を捧げられたパティ・ボイドについて採り上げます。
Part1 「いとしのレイラ」
part2 「ライラとマジュヌーン」

冒頭の画像は彼女の自伝 (「パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ」) の表紙、若き日の彼女のポートレイトです。
たしかに、可愛い。
ジョージ・ハリスンやエリック・クラプトンが彼女に「ぞっこん」になったのも頷けます。
なにせ、ビートルズとクラプトンの代表作・名曲が生まれた直接のきっかけとなり、多くの曲を捧げられたのですから「Rock界のMuse」と呼んでも過言ではないでしょう。
付け加えれば、ジョージとビートルズの関心をマハリシ/TM(超越的瞑想)に向けさせたのも彼女でした。

ビートルズ時代のジョージの曲ではなんと言っても、"Something"
(注:来日インタヴューでジョージはこの曲を「一般的なもの」と答えてはいますが…)
ソロ時代では、"Isn't It A pity ?"(後にエリックがライヴのレパートリーにします)
エリックの作品では、"Layla"と"Wonderful Tonight"
いずれも、指折りの名曲・ヒット曲です。

これらの曲を彼等に書かせたパティとはどんな女性だったのでしょう。



【 自伝に書かれていること 】

彼女の自伝は、一種の暴露本には違いないのですが、あの狂気のような時代と状況の中を生き抜いてきた一人の女性の物語として読むことが出来ます。
一見奢侈を極めたように見える生活の裏の地獄。
孤独感や絶望感に苛まれ、自分の居場所を求め続けていた彼女の心の軌跡が、飾らない文体で描かれています。
当時の芸能界のスキャンダラスさは本当に凄まじかったようですが、彼女は意識的に詳細に触れることを避けています。むしろ、類書に比べ「控え目」と言って良いでしょう。
例えば、エリック・クラプトンの自伝の方がもっとあけすけに、行く先々での情事が詳細に書いてあり、読んでる方が「いい加減にせえよ」とうんざりする位です。

いずれにせよ、ジョージもエリックも仕事を離れると、一人の弱い、生身の人間だったことはよく分りました。
それで彼等の作品の価値が左右されることはありませんが。

さて、彼女は、エリックと別れ、その後写真家として技術を磨き、個展も開催。
尤も、世間が見たがったのは写真家になったパティでなく、被写体としての彼女であり、また、写真家になる前の彼女が撮影した二人のスーパースターとその仲間達の姿であることは仕方ないことでしたが。
それでも、自伝からは、近年は静かで落ち着いた生活を手にいれ、ようやく魂の安らぎを得られたような印象を受けます。また、悩み多かった長い日々を冷静に回顧できる余裕が出てきたことも伝わりました。
(金銭目当てだけなら、よりセンセーショナルな記述はいくらでも出来たでしょう)

【 パティ周辺のRock界の動向 】

本名:Patricia Anne Boyd 1944年3月17日 英国サマーセット州生まれ

男の子の名前しか考えていなかった母Dianaは、聖パトリックの日に生まれた彼女に、そのまま命名します。

パティの両親の結婚は空軍にいた父の事故もあり、順調なものでもなく、母の両親を頼ってアフリカ(ケニヤ他)で過ごした幼年時代は決して幸せなものではなかったようです。
父や母と離れての寄宿舎生活では友達も殆ど出来なかったようです。

① スウィンギン・ロンドン
61年、17歳の彼女は高校卒業後、ロンドンの美容院の見習に。その顧客の紹介でモデルの世界へ
63年11月、ポテト・チップスのスミスズ・クリスプスのTV-CMに抜擢され、一躍人気者に。
この時の監督がリチャード・レスター。
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64年3月、目的不明のオーディションに合格した彼女を待っていたのが、ビートルズの初主演映画"A Hard Day's Night"(Parlophone)のエキストラ役(移動の汽車の中で、ビートルズにからかわれる女学生の一人)。先のリチャード・レスターが、この映画の監督でした。
ここで、パティはジョージと出会い、後はご存知の展開となります。
時代の先端をセレブ達と駆け抜ける日々。
64年12月、ビートルズのクリスマス・ショウ(前年に続き、翌1月まで1か月近く開催)
エリック・クラプトン、ヤードバーズの一員として前座出演。ビートルズと出会う。ジョージと意気投合。
66年1月、ジョージとパティ、結婚。
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67年2月、パティ、新聞でTMの講習会を知り、入会。
67年8月、パティの勧めでビートルズはロンドンでマハリシの講演後、バンゴアでの瞑想講座に参加。
(マネージャー、ブライアン・エプスタインの突然の死で中断)
右画像はマハリシの講演集"Maharishi Mahesh Yogi"(BGO 67年)

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68年1月、ジョージ、初のソロ作品" Wonderwall Music"(Apple)に、当時クリームを結成していたエリックの参加を得る。
68年2月、ビートルズ、インドのリシケシのマハリシのアシュラムで修業。パティ他メンバーの妻や許婚者全員参加。
(リンゴとモーリンは2週間、ポールとジェイン・アッシャーは1か月程度、残りは2か月以上滞在したが、例のレイプ疑惑が起き、ジョージとパティはアシュラムを退去し、ラヴィ・シャンカールに会いに南下)
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68年9月、エリック、ビートルズの" The Beatles (The White Album)"(Apple)セッションに参加。
ジョージの"While My Guitar Gently Weeps"でソロをとる。名演との評価が定着しています。
68年10月、ジョージ、クリームの実質ラスト・アルバム"Goodbye"(Polydor)セッションに参加。
エリックと共作した"Badge"でリズム・ギターを担当。
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68年11月、クリーム、フェアウェル・コンサート終了、解散。
以後のエリックの動向の詳細はpart1に。


② エリックの横恋慕 
当時、同じサリー州のイーシャーにあるジョージの自宅(キンファウス)と、リプリーにあるエリックの自宅(ハートウッド・エッジ)は車で30分程度の距離にあり、二人はよく互いの家を訪問。
ジョージの名曲"Here Comes The Sun"("ABBEY ROAD"収録)も、この頃、エリックの自宅で出来たもの。
しかし、エリックは次第にイーシャーへ行くのが辛くなります。
パティに対する自分の気持ちに気付いたからでした。

「これまでに見た最高の美人であることは確かだったが、それは彼女の見かけだけではなく、もっと深い彼女の内側から出てくるものだった。私は彼女そのものに心を奪われかけていたのだ。これほど完璧な女性に会ったことがなかった私は、我を忘れていた。もはや彼女とジョージに会うのをやめるか、自分の感情を受け入れて彼女に思いを伝えるしかないと私は悟った」
「私がパティを手に入れたかったのは、彼女が立派な車から輝かしい経歴、美人の妻まで、私が欲しいものを全て持っているように思える力のある男のものだったからでもある」
 (エリック)

70年4月、ポール・マッカートニー、ビートルズ離脱宣言。
(通常は、この時を以ってビートルズは公式に「解散」したと看做されています)

この頃、エリックはマメにパティに手紙攻勢をかけます。
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70年7月、ケネス・タイナンの前衛レヴュウ"Oh Calcutta"ロンドン・プレミア公演。
このレヴュには、ジョン・レノンも"Four in Hand"と言う1編を書いています。
同劇のプロデューサーでエリックのマネージャーでもあったロバート・スティグウッドの自宅で関係者のパーティ開催。
当時、エリックは、デレク&ドミノスを結成した直後でした。
ジョージとパティは、オックスフォードシャー州ヘンリー・オン・テムズにある「フライヤー・パーク」に引越た直後で、ジョージはビートルズ解散後初のソロ・プロジェクトである大作アルバム"All Things Must Pass"制作にかかりっきりでした。
エリックはその夜一人でパーティに出席したパティにアタックしますが、パティを迎えに来たジョージと遭遇。
エリックは、ジョージに「お前の奥さんを好きになってしまったんだ」と白状。
ジョージはパティを車に押し込むと、憤然とアクセルを踏み込み、自宅へと走り去ります。
エリック一人を残して。

70年12月、デレク&ザ・ドミノス"Layla and Other Assorted Love Songs"(Polydor)リリース

エリックは完成した"Layla"のアルバムを持参し、再びイーシャを訪れます。
そしてパティにタイトル曲を聴かせ、猛烈にアタック。パティは動揺しつつも、これを拒絶。以後、数年に亘り、二人は殆ど没交渉となります。
(パティの伝記では、"Oh Calcutta"の公演の日に"Layla"を聴かされたとありますが、この時点ではまだ録音されておらず、時系列的には整合しません。あるいは彼女はプレミアと一般公演を取り違えたのでしょうか)

しかし、エリックは、この間、Part2のマジュヌーンの様に、ただ一人の女性への永遠の愛に生きていた訳ではありません。
自伝でも語られているように、様々な女性と浮名を流しています。
バッシングを受けまくっている今のタイガー・ウッズが気の毒なくらい。
例えば、アリス・ディヴィッド・オムズビー=ゴアの悲劇については、Part1参照。

73年 
ジョージとパティの夫婦生活は次第に軋み始めます。
彼女の自伝によれば、ハレ・クリシュナの一行始め、フライヤー・パークには絶えず複数の「他人」が住み着き、しかもジョージはパティの目を盗んでは、様々な女性と情事を繰り返し、その中には当時フェイセズのギタリストだったロン・ウッドの妻クリッシーとのスペイン旅行も含まれていました。

それをパティはエリックと自分への当てつけと感じたようでした。
また、こうも書いています。
「後になって思えば、ジョージの女遊びは、私を試すためだったような気がする。私を挑発すれば、彼を取り戻そうと躍起になるのではないかと見込んでいたのではないだろうか。でも、当時は、自分が拒否されていると感じていた。(中略)私は彼に見捨てられる前に、私の方から彼を捨ててしまおうと思ったのだ。きわめつけは、彼がリンゴ・スターの妻モーリンと関係をもったことだった」(パティ)

③ エリックの再起、ジョージとパティの離別
74年
エリックはようやく薬物中毒を克服、一線復帰を決意。マネージャーのロバート・スティグウッドの手配したマイアミ・ビーチのオーシャン・ブールヴァード461番地の別荘とスタジオに入ります。
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「私はもう一度、パティに接近してみることに決心した。仲介者達を通じて、ジョージと彼女の仲が険悪で、事実上交戦状態のままフライヤー・パークで一緒に暮らしていると言うことは知っていた。ジョージは『オーム』の旗を家の端に掲げ、もう一方の端にパティが『ジョリー・ロジャー』を掲げていると言う。でも、友人達の一般的なアドバイスは「待っていれば、彼女は彼のもとを去る筈だ」と言うものだった」(エリック)

74年6月、エリックとフーのピ-ト・タウンゼンド、フライヤーパーク訪問。
エリックは、ジョージが得意気にピートにスタジオを案内している間、再びパティにモーションをかけます。
「どのくらい二人きりでいただろうか。私には何時間にも感じられた。情熱にあふれ、あまりにも必死で、有無を言わせないエリックの態度に私は圧倒されてしまい、どうしていいかも分からず混乱していた。だが、今こそ決断の時だった。エリックのもとへ行くべきだろうか?私の為にこの世で二つとない素晴らしい曲を書いてくれ、私のせいでこの3年ものあいだ、地獄のような日々を過ごした末に復活し、そして愛を訴え続けて私を疲弊させてきた彼の許に?それともジョージの許に留まるべきなのか?かつては愛したものの、今はすっかり冷たくなり、最後に触れあったり愛していると言ってくれたのがいつだったかも思い出せないほど無関心な夫のもとへ?」(パティ)

結局、その日は、エリックはパティの結論を聞かぬまま退去し、米国ツアーへと旅立ちます。
数日後、パティはジョージに別れを切り出します。
ジョージは「行くなよ」と引き留めますが、パティの決心は変わりませんでした。
まずはフリートウッド・マックのミック・フリートウッドと結婚していた妹ジェニー(本名:Helen Mary)のいるLAへ。
そして、その後エリックのツアーに合流。
74年7月、エリック・クラプトン"461 Ocean Boulevard"(Polydor)リリース。

④エルとネルの結婚と離婚
こうして二人は結ばれ、エリックは自分達のことを「エルとネル」と呼び、一緒に暮らすこととなりますが、エリックの女遊びとアルコール中毒にパティは振り回されます。

ま、振り回されていたのはパティだけでもありませんでしたが…
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「その頃、私達は忙しい社交生活を送っていたが、ネルはいつでも準備が遅かった。私は下の階で時間つぶしにギターを弾いていたが、そのうちに飽きてきて、何を着ていくかまだ迷っている彼女がいる2階の寝室に上がっていった。私は『いいかい、君は素晴らしいよ、本当さ。お願いだから着替えないでくれ。もう行かないと遅れるよ』と言ったのを覚えている。自分は準備が出来ていても、彼女は出来ていないという、古典的な家庭の状況だった。ギターがある階下に戻ると、すぐに曲の歌詞が浮かんできたので、10分くらいで書き上げてしまったが、実際には怒りと欲求不満の中で書いていた。曲として惚れこんでいたわけではなかった。私にしてみれば、捨ててもいいような、単純な曲だった」(エリック)
右上画像は、今なお人気の高い、その"Wonderful Tonight"を収録したSlowhand (Polydor 77年)

77年6月 ジョージとパティ、離婚成立
79年3月 エリックとパティ、結婚
その直前、パティは自分の友人とエリックとの浮気に傷つき、家を出て、知人宅に身を寄せていました。
状況打開を図った新マネージャーのロジャー・フォレスターは一計を案じ、ツアー中のエリックに「翌日の新聞にエリックが乗るかどうか」の賭けを彼に持ちかけます。エリックは当然報道されない方に賭けました。
翌日、新聞が「エリック、パティと結婚」を報じます。リーク元は明らかでした。
エリックはロジャーに決断を迫られ、電話越しの伝言でパティにプロポーズすることになります。
79年5月 エリックとパティの結婚披露宴
ハートウッド・エッジで行われたセレモニーに出席した豪華ゲストの中にはポール、ジョージ、リンゴの姿も。

どうやら、エリックは「釣った魚には…」の口のようで、パティが身近にいると、他の女に手を出し、彼女が出て行くと、打って変って手紙や電話攻勢をかける…
このマメさが女性の心をくすぐるのでしょうか。
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パティはジョージとの間でも子供が出来ず、悩んでいましたが、エリックとの間でも状況は変わりませんでした。
体外受精も試みますが失敗します。
一方、エリックはイタリアで出会った女優ロリ・デル・サントを妊娠させます。
子供の誕生を単純に喜ぶエリック。
これがパティには致命傷となったようです。
86年8月 コナー、誕生。
86年11月、August (Warner Bros. 右画像)リリース。
タイトルはコナーの誕生月に因んだもの。

遂に、パティはエリックとの夫婦生活も拒否。
パティに拒絶されて一度は自殺まで試みたエリックでしたが、その日、酒の勢いもあり、遂に切れて強硬手段に出ます。
87年3月、エリックは彼女をハートウッド・エッジから力づくで追い出します。その日はパティの誕生日でした。
以後、彼女がエリックの許に戻ることはありませんでした。
89年 エリックとパティ、離婚成立。

こうして、古のアラビアの恋人の物語とは異なり、エリックとパティは分かれてしまうのです。

91年3月、コナー、NYの高層マンションから転落死
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91年12月、ジョージ・ハリスン、日本公演。
エリックは自己のバンドをそのままバック・バンドとして、ジョージに提供。自分はサポートに徹します。
このツアーは、コナーを失って落ち込んでいるエリックをジョージが励まそうとした為とも、ツアーに全く出なくなったジョージを気遣ったエリックが提案したとも言われています。
いずれにせよ、パティを挟んだ二人の男の友情は完全復活し、世界中でただ日本だけで、この奇跡的な素晴らしいステージが繰り拡げられたのです。
(私もしっかり「体験」しました。宝物ですね!)
そのレパートリーは、ジョージの"Something"や"Isn't It A pity""(Eric Clapton"の頁参照)、エリックの"Wonderful Tonight""Old Love"等結果としてパティに馴染みのある曲も多数演奏されました。
"Live in Japan"(Capitol)

【 まとめ 】

パティは自伝での中で、離婚後も変わらないジョージの大きな愛への感謝とエリックの誘惑に負けたことについての「悔い」を記しています。
しかし、エリックへの愛に走ったことについては、決して「悔い」てはいません。
スーパースターの二人に愛され、世界中どこへ行っても、二人が自分の為に書いた曲を耳にする…
それはおそらく他人には窺い知れないハードで気がふれかねない毎日だったことでしょう。

今ようやく、彼女は魂の安らぎを見出したかに見えます。

60年代後半のスウィンギン・ロンドン、
そして、ロックがすっかり巨大ビジネスに成り上がり、商業主義に翻弄された70年代以降---
幾多の才能あるアーティストやその家族・仲間が命を失ったり、人生を狂わせる中、彼女はともかくも、この怒涛の様な時代を泳ぎ切ったようです。
彼女の近影からは、かつての愛くるしさは流石に消えていますが、自分の道を見つけつつある独立した女性の輝きは感じられます。

彼女に興味をもたれた方は、彼女の公式サイト→Pattie Boyd
彼女の若い頃の画像や彼女が撮影したアーティスト達の画像が豊富に掲示されています。

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上記のアルバム等に関心のある方は、タイトル名をクリックすれば、リンクしている販売業者のサイトで詳細を確認できます。購入の判断等はご自身の責任でお願いします。
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by Eiji-Yokota | 2010-05-06 00:00 | 口上 | Comments(0)
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