Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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Smile

- 1936年 Charles Chaplin + 1954年 John Turner + Geoffrey Parsons -
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新春、今年最初にご紹介する曲は、チャップリンの名曲、"Smile"です。
チャップリンの代表作として知られる"Modern Times" (UNITED ARTISTS 36年 詳細はタイトルをクリックし、IMDBへ)の印象的なラスト・シーン。
工場をクビになったチャーリーと街で偶然出会った浮浪少女。
何とか現代(モダン・タイムズ)に生きようと一生懸命に努力するのに何故かうまくいかない二人。
「頑張っても何にもならないじゃない」と泣きじゃくるポーレット・ゴダードを励まして、チャーリーは謂います。
「僕らはやっていけるさ (We'll get along)」
そして、二人は手に手をとって歩み始めます。
チャー1リーがゴダードに微笑むように促します。
二人は笑いながら歩き続けます。地平線へ続く一本道をどこまでも…
このシーンに流れていたのが、この曲です。
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【 作曲家と作詞家 】
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チャールズ・チャップリン Charles Spencer Chaplin Jr. (1889 - 1977 英国生まれ、俳優、映画監督)は、ご存知の通り、幼少の頃から様々な苦労をしてきた人です。
音楽的才能には恵まれ、喉を痛め、声の出なくなった母の代わりに急遽舞台で歌って喝采を浴びたのは5歳の時でした。音楽家への夢は捨て難く、喜劇役者として売れ始めた頃、共同で楽譜出版社を設立し、自作2曲を2千部印刷するも3部売れただけで、自然閉店させたそうです。
譜面の読み書きは出来なかったようですが、思い付いたメロディを独学で学んだ(レッスンを受けたこともあったようですが、どうも長続きしなかったようです)ピアノやヴァイオリンで演奏し、スタッフや専門家がそれを楽譜に起こしていたようです。
チャップリン自伝―若き日々 (新潮文庫)
チャップリン自伝〈下〉栄光の日々 (新潮文庫)
(64年刊・日本では66年11月ハードカバー版刊。文庫版は2分冊に)

さて、この曲に歌詞が付けられたのは1954年のこと。
色々調べたのですが、結局、具体的経緯は分りませんでした。当時、チャップリンはマッカーシズム、所謂「赤狩り」にあってアメリカを追われた頃です。
作詞者の二人についても、残念乍ら、あまり詳しいことは分りませんでした。
ジョン・ターナーとは、英国の大手音楽出版社ピーター・モーリス音楽社 (the Peter Maurice Music Company )を経営していたジェイムズ・フィップス (James Phillips)のペンネームです。(注1)
ジオフリー・パーソンズ Geoffrey Claremont Parsons (1910 - 1987 英)は同社の専属作詞家で、ジェイムズと組んで外国曲に英語の歌詞を付けていました。と言っても主として作詞したのはパーソンズのようですが。
二人の名前のクレジットがあるものとしては、他には、ドイツの歌に英詞を付けた"Oh My Pa-Pa"が有名です。

いずれにせよ、名シーンを彷彿とさせる歌詞が出来上がりました。

♫ 微笑んで。胸が痛む時でも
  微笑んで。心が張り裂けそうな時でも
  微笑めば、きっと明日は明るい太陽が
  君の為に輝いてくれるのが分る筈。
  いつも笑顔でいれば、
  きっと人生は良いものだと分る筈

歌詞全文はこちら

【 カヴァー 】
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おそらく、この歌を最初に歌い、今なお、その決定的歌唱と評されているのが、Nat King Coleの54年の作品(Capitol 2389)です。
チャップリン自身がこの歌を歌うようにとナットに楽譜と手紙を寄越したそうです。
ネルソン・リドルのアレンジによる流麗なストリングスにナットの艶のあるバリトン・ヴォイスが見事にマッチしています。
"Ballads of The Day"(Capitol 56年)に収録されました。
オリジナル盤(右画像)は当然入手困難ですが、同曲は色々な編集盤に収録されています。
現時点で入手容易なものとしては、"ベスト・オブ・ナット・キング・コール~L.O.V.E."(EMI 09年)等があります。
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因みに、デジタル技術の進化によって、亡き父とのデュオを果たした娘ナタリー・コールが、その"Unforgettable"を含む同タイトル・アルバムで、この曲をカヴァーしています。
コンテンポラリーなシンガーとして、グラミー賞にも幾度も輝いている彼女でしたが、父親のレパートリーに正面から挑戦し、堂々たるオリジナリティを披瀝。幅広い音楽性を見せました。蛙の子は蛙ですね。
結局、このアルバムで3度目のグラミー91年度"Album og the Year"他受賞。
(現時点で彼女は9種のグラミーを獲得しています)
Unforgettable: With Love(Elektra/Warner 91年)


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さて、ナットと対極にあると言っても良いのが、蘇った伝説の歌手、ジミー・スコット。
難病の為、声変わりすることのなかった彼の声は、まるで女性が歌ってるかのような錯覚を覚えます。
歌手としての道を歩み始めた彼はレコード会社から搾取され、不当な差別を受け、人生の辛酸をなめ尽し表舞台から退きます。しかし、女性でもなく少年でもない奇跡の声と彼にしか表現出来ない世界をショウビズ界は遅ればせながら迎え入れました。
これは74歳の時の収録盤。
Mood Indigo (Milestone 00年)

色々なアーティストにカヴァーされた同曲ですが、ここでジャズから少し離れて見てみましょう。
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当時は意外だったのが、エリック・クラプトンの選曲。
彼のキャリアを語る上で外すことの出来ない、74年の復帰作のリリース30周年記念盤にはアウトテイクは勿論、当時のライヴがボーナスCD1枚分付いています。
日本公演も同じでしたが、当時のライヴは軽くこの曲をアコースティックで演奏して始まりました。今なら全く違和感がありません。歌詞の間違いもご愛嬌。
「レイドバック」なんて言葉が定着したのも、このアルバムの頃です。
461 Ocean Boulevard (Polydor 04年) デラックス版

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次は、エルビス・コステロ。フジテレビ系で2002年4月から6月まで放映された「空から降る一億の星」の主題歌(バラード・ヴァージョン)として企画されました。
コステロには驚かされ、裏切られ放しです。
パブ・ロックの旗手として鮮烈なデビューを飾り、そのパンクっぽいサウンドは当時のロックが失いかけていた本来のパワーを復権させました。
熱烈なビートルズ・ファンでもあり、ビートルズ・ファン特にポール・ファンにとっては恩人でもある人ですが(注2)、「怒れる若者」も、近年は、カントリーをやったり、クラシックのブロスキー・カルテットと共演したり、バカラックと共演したり、このブログでお馴染みのダイアナ・クラールと結婚したり(?!)、この曲を採り上げたり。
良く言うと幅広い音楽性、悪く言えば、一貫性がないと言うか…
ま、要するに、歌うことが好きなんですね、この人は。
あのドスの利いた声で。
因みに、全くの偶然ですが、この曲に歌詞が付けられた年にコステロは生まれています。
シングル:スマイル(Universal 02年)
アルバム(編集盤):Cruel Smile(Universal 02年)
他に、ホエン・アイ・ワズ・クルーエル(Universal 02年) 日本盤のみ同曲収録。

最後は昨年6月25日の早過ぎる死が全世界に衝撃を与えた、King of Pop、マイケル・ジャクソン。
冒頭の画像は幻のシングル盤のピクチャー・スリーヴです。(独、蘭でリリース。詳細後記)チャップリンの初期の映画"Kid"の名場面のパロディ、と言うかオマージュですね。
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"HIStory Past , Present and Future Book1"(Epic 95年)に収録。
白状すれば、その頃の私はビートルズの"Come Together"も入っているベスト盤+おまけの新曲くらいの認識でした。
ところが、スーパースター、マイケルを取り巻く当時の環境は実に過酷なものだったのです。
少年への性的虐待疑惑が起こり、世間の注目とマスコミからのバッシングを受け、精神的にもマイケルは追い詰められていました。結局彼は高額な示談金を払い、和解することを選ぶのですが、このことは世間やマスコミの疑惑を増長させ、後のマイケル裁判の下地を作ることともなったと考えられます。(注3)
予定されていたツアーがキャンセルされたのは複合的な要因からでしょうが、当時は専ら、このスキャンダルが理由として取り沙汰されたものです。
こうした状況下、このアルバムは彼の作品には珍しく主義主張・イデオロギー色が前面に出た内容となりました。
しかし、「叫び」や「攻撃」もありましたが、アルバムのラストを飾ったのは、彼の優しいハミングで終わる、この曲でした。
同アルバムからは楽曲が次々とシングルカットされ、いずれもヒットしていますが、この曲も8枚目(国・地域によって計算は異なります)のシングルとしてリリースが予定されていましたが、直前に中止されます。
レコード会社との確執(通称ソニー・ウォーズ)によるものと謂われています。
それはともかく、彼自身は自分の曲よりもこの曲が好きだったと言う話も伝えられています。
自らを鼓舞し、辛辣に攻撃するのではなく、何事にも笑顔で接しようとの決意を込めて歌ったのではないでしょうか。美しい歌声の裏に秘められた彼の心の葛藤を思うと、いじらしいと言うか何か複雑な思いがします。

09年7月7日、LAで開催されたマイケルの追悼式では、兄ジャーメイン・ジャクソンがこの歌を捧げ、多くの人に感動を与えていました。

合掌


注1) ジョン・ターナーとピーター・モーリス社
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熱心なビートルズ・ファンは、89~90年のワールド・ツアーでポールが採り上げた"If I Were Not Upon the Stage"を覚えておられるでしょう。
ステージも終盤になり、ポールが「次の曲の最後は一緒に歌ってくれるかな?」と呼びかけます。
と、彼が突然アップテンポで歌い出すのがこの曲。呆気にとられる観客。
ややあって曲を止めるポール。
「違うよ、これじゃないよ、僕がやりたかったのは。僕がやりたかったのは…」と"Hey Jude"を歌い出すと言う、「お約束」のボケの1シーンがありました。
"Tripping the Live Fantastic"(EMI 90年)収録。
クレジットは"Sutton - Turner - Bowsher"、出版社はピーター・モーリス。
我々には全く馴染みのない曲ですが、アマチュア・ジャズバンドをやっていた父ジェイムズの影響でしょうか、ポールはお気に入りのようです。"Off The Ground"のPVとメイキング、ツアー・リハーサル等を収めたVideo集"Movin' On"(93年 MPI)で、打合せの途中、ポールが同曲を軽く弾き語りするシーンが収録されています。

注2) ポールを蘇らせたコステロ
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80年代後半、ポールは方向感を失っているように外からは見えました。レコードのセールスも落ちていました。新しい仲間達とロックンロールのギグを始めたのも初心に帰ろうとした為と思われます。
そうした中、コステロと知り合い、二人で曲作りを始めます。マイケル・ジャクソンとの共作始め、それまでもポールは有名アーティストと共作していますが、その中でもコステロは特別でした。
謂わば、ジョン・レノン以来始めて「お前の作品はクソだ」と本音でぶつかり合える共作関係を持てたようです。
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下記のヒットも得て、再びポールは精力的に活動を開始し、上記(注1)のワールド・ツアーに繋がります。
87年のポールの"Back on My Feet"に始まり、以後数年に亘り、二人は十数曲を作り、それぞれに自らのレコードとして発表。いくつかの曲では共演もしています。
互いのヒット曲:
ポール "My Brave Face"  
"Flowers in the Dirt"(EMI 89年)収録
コステロ "Veronica"
"Spike"(Warner Bros. 89年)収録
また、上記の他、次のアルバムを揃えれば、二人の公式共作は全て確認出来ます。
コステロ:Mighty Like a Rose (Warner Bros. 91年)
ポール:Off the Ground (EMI 93年)
コステロ:All This Useless Beauty (Warner Bros. 96年)

注3) マイケルの児童性的虐待疑惑
1993年、ビヴァリーヒルズの歯科医が13歳の息子をマイケルが虐待したとして告発。
マイケルは家宅捜索を受け、取り調べの為、全裸になることを強要されます。
スーパースターのスキャンダルとしてマスコミが一斉に報道。報道合戦は過熱、人々の関心も高まります。
マイケルは無実を主張するも、弁護士団から和解を勧められ、結局これに応、多額の示談金を支払います。
これにより告発者は刑事訴訟での発言を拒否。立件に向け陣頭指揮をとっていたカリフォルニア州サンタバーバラ地区検察官トム・スネドンは「煮え湯を飲まされた」とコメント。
(HIStory収録の"DS"はスネドンに宛てられたとみられ、「彼は冷血漢」と言う歌詞があります)
現在では、この事件は-ー
少年の証言がアミタール塩と言う今日では多くの州の裁判所で証拠採用を否定している催眠性のある薬物によるものであったこと、
「仕組まれたゆすりへ加担した」とする告発者の弁護士の秘書の告白本の出版、
告発者が少年の継父に語った電話の内容(彼はおれの家族をバラバラにしたんだ。もう全て計画できている。俺がやつらに金を払ったんだ。俺は欲しいものを手に入れる、マイケルのキャリアは終わりだ等)、
少年自身が後にこの父を虐待で告発、
等により、「ゆすり」の為の「仕組まれた陰謀」(デッチあげ)であるとの認識が広まっています。
しかし、当時は金銭による解決が「無罪を金で買った」と言う印象を与え、長く疑惑を引き摺ることとなったのです。
事実、その後も同じような告発、訴え、(偽)リークが続き、マイケルの他の奇行とも相まって、彼は大衆の好奇の視線に晒され、そのイメージダウンは計り知れないものでした。
なお、告発者は昨年11月自殺。遺書は残されていないと発表されました。

2003年11月20日 マイケル、逮捕される。
またしても少年への性的虐待の疑いでした。
2004年4月21日 マイケル、起訴される。最終的には10の容疑。
この件にも前記スネドン検察官が関与。
メディアの過熱報道は前にもまして凄まじく、それも多くが「有罪を前提としていた」と謂われても仕方がない内容・対応でした。
1983年の疑惑事件も洗い直され、関係者も証言台に立ちました、有名な芸能人も。
もともと状況証拠を積み上げた訴追であったこと、
告訴人の家族の証言も矛盾が露呈、証言も二転三転したこと、
告訴した家族の過去の同種の行状についての有力な証言、
等により、裁判は後半からマイケル有利に展開。
一方でマイケルが背中の痛みを訴え、急遽病院で治療を受けようとして、出廷しなかったことから、裁判所が1時間以内に出廷しなければ逮捕状の執行と300万ドルの供託金の没収を宣言、マイケルがパジャマ姿で出廷する1コマもありました。

2005年6月13日 サンタモニカの法廷の陪審員12名は全員一致により、全ての容疑についてマイケルの無罪を評決し、裁判長はマイケルに「あなたは自由の身になった」と告げました。

その後、告訴人の家族の母親は福祉詐欺罪で訴追され、有罪の判決を受けています。


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by Eiji-Yokota | 2009-10-24 21:00 | SONG | Comments(0)
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