Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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Danny Boy (Londonderry Air)     Part2

- trad + 1910&13年 Frederick Edward Weatherly -
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Part 1 からの続きです。

いきなり、エリック・クラプトンの画像が出てきましたが、ヒット・シングル"Change The World"(Warner Bros. 96年)のカップリング曲として、この曲をインストゥルメンタルで演奏しています。
本当にこの曲は色々なアーティストが採り上げています。

Part1では、伝説を追う形で、17世紀のアイルランドで盲目のハープ弾きによって生み出された一つの曲が次々に伝えられ、凡そ300年の時を経て、新興国アメリカ経由で逆に再びイングランド南西部出身の一人の詩人兼弁護士に伝わり、彼によって新たな歌詞が付けられる迄を辿りました。
"Londonderry Air"と呼ばれたこの曲は100種類以上の歌詞が付けられてきたと言われていますが、まさにフレデリック・ウェザリーによって付けられた、後記歌詞によって、この曲は世界中に広がっていったのです。




【 歌詞 】
     
Oh Danny Boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen, and down the mountain side
The summer's gone, and all the roses falling
'Tis you, 'tis you must go and I must bide
But come ye back when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'Tis I'll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny Boy, oh Danny Boy, I love you so

And when ye come, and all the flowers are dying
And I am dead, as dead I well may be
Ye'll come and find the place where I am lying
And kneel and say an Ave there for me
And I shall hear, though soft you tread above me
And all my grave shall warmer, sweeter be
For you shall bend and tell me that you love me
And I shall sleep in peace until you come to me

   

一部古い英語表記や言い回しを除き(それらも辞書には掲載されている筈ですし)、平易な単語・表現主体ですので、是非、ご自分で訳されることをお勧めします。
参考までに、私なりの訳を以下に記します。
また歌は生まれた瞬間から作者の手を離れ、自分の力で生き続け、その解釈もその歌に触れる人に委ねられると言うのが、このブログの通奏低音ですが、併せて、この歌詞についての私なりの解釈を述べたいと思います。

     ♫ ♫ ♫ ♫ ♫

ダニー坊や、
笛の音が響き渡っています
谷から谷へ、そして山際をくだって

夏が過ぎ、薔薇が皆枯れる中
そう、あなたは、あなたは行ってしまい
私はじっと待っています

戻っておいで
草原に夏が訪れる時でも
雪化粧で谷が白く静まり返る時でも
照る日曇る日
私はここにいてあなたを待っています
ダニー坊や、ダニー坊や、あなたを心から愛しています

あなたが帰ってきた時
全ての花が枯れ果て
私が死んでいたとしても
あなたは私が眠る場所を見つけて
そこに跪き、私にお別れの言葉をかけてくれるでしょう

あなたが私の上をどんなに静かに歩いても
私はあなたの足音を聞き分けるでしょう
あなたが膝をかがめ、愛していると言ってくれた時
私のお墓は暖かく心地よい空気に包まれるでしょう
私は安らかに眠り続けます
あなたが私の元に来てくれるその時まで


     ♫ ♫ ♫ ♫ ♫

この歌は、一般的には母親が子供に歌いかけていると解釈されることが多いようですが、男親でも立派に意味は通じますし、事実、後記のとおり、男性歌手も多く採り上げています。
また、これを男と女の歌と解釈して、男性歌手が"Danny boy" に代え"Ellie dear" と呼びかけ、1コーラス目の"I"と"You"を変えて歌うヴァージョンもあります。

ところで、原詞冒頭のPipeをバグパイプと解釈し、この楽器が軍事パレード等で活用されることから、戦場に送りだす際の儀式の歌=息子を戦場に送る歌だと言う解説をよくみかけますが、個人的には疑問です。
そもそも、Pipeについても、これをリコーダに似ている英国のブリキ製の6穴の縦笛Tin whistle(ティン・ホィッスル)の一種ではないか、と言う説もあります。
実は私もその支持者ですが、ウェザリーがこの原詞自体を書き上げたのは、アイルランド発の"Londonderry Air"の旋律に出会う前である点に留意する必要があります。(注1)
すなわち、敢えてイングランド人の彼がスコットランドやアイルランドの伝統楽器(注2)を歌い込む必然性を疑問視しているからです。

一方、ティンホイッスルは、アイルランドの楽器と時折書かれていますが、英国発祥説も有力で、少なくとも工業生産を開始したのがマンチェスターのロバート・クラークであることは異論ありません。
1851年のロンドン万博にも出展され、安価なこともあり、ウェザリーが活躍した頃には広く普及しています。
また、このロバート・クラークは自社のホィッスルを宣伝する為に"Londonderry Air"をデモ演奏して回ったと言うエピソードも残されており、不思議な因縁を感じます。
いずれにせよ、ティンホィッスル乃至バグパイプ以外のパイプとなれば、戦争との直接の関連はなくなります。

また、私が疑問に思うのは、通常、戦場に息子を送り出した親は自分より早く息子の命が奪われることを怖れる筈ですが、この歌ではそれは全くなく、逆に2コーラス目では、親が先に亡くなる前提で、その後息子が自分の墓を訪れることを想定して歌われており、その点からも出征説は不自然です。

今一つは、パイプを吹いているのは誰かと言う点です。
通説的解釈では、戦場に出向くダニーを送って町の人や楽団(軍楽隊を含む)が演奏している前提になります。
あるいは、ダニーの不在の時にそれらを耳にして、息子の出征の際を思い出すと言う構図と思われます。
私はティンホィッスル説ですので、この笛を吹いていたのはダニー自身だと解釈すべきだと思っています。
かつて、野を駆け谷を越え、ダニーが吹く笛の音は山々に響き渡っていたことでしょう。
「木霊」(こだま)する響き、あるいは笛の音が「山彦」(やまびこ)する様を原詞でpipesと複数で表現していると解釈していますが、単純に仲間達と合奏していると解釈することも可能でしょう。
別れが近づいているある日、親はその笛の音を聴きながら、この歌を歌う、
あるいは、誰かが吹いている笛の音を聴いて、今はここにいないけれど、よく同じく笛を吹いていた息子を親が思い浮かべ、それを懐かしむと言う構図。
この方が歌詞的にも自然で、より情感が深い光景ではないでしょうか?
ダニーが親元を離れた理由は分りません。
都会に働きに出たか、親と喧嘩別れしたのか。
しかし、どんな理由であれ、親は子供を愛し続け、いつかは天国で再会出来ると信じている…
ダニーがいるところが戦場であろうとなかろうと、この歌の主題はもっと普遍的で大きなもの、即ち、親が子を思う気持であることに変わりはありません。
それが多くの人の心を打ち、この歌が今日も世界中で愛されている理由でしょう。

【 小柳有美 ヴァージョン 】

花が散るように あなたが
大地に召されたなら
この身を鳥に変えてでも
必ず 見つけ出すわ(探しに行く)

季節は 止まることも無く
緩やかに過ぎていく

いとしい我が子よ
お帰り
母の待つこの故郷に


********

彼女のヴァージョンは所謂翻訳ではなく、この歌の世界にインスパイヤーされた彼女が描く独自の「親子の愛情」の世界です。
なお、女性である彼女は、やはり「母親」説のようですね。


【 カヴァー 】
Part1で見たように、この曲作詞者ウェザリーの人脈もあり、当初クラッシク畑の人材によって歌われてきましたが、次第に世の中に広まっていきます。
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やがて、ポピュラー畑のアーティストもこれを採り上げ、ヒット・チャートを賑わせるものも出てきました。

1956年 Harry Belafonte ハリー・ベラフォンテ(1927 - )が採り上げ、以後彼のレパトリーとなります。
朗々と大きなスケールで歌います。カーネギー・ホールでのライヴもお勧めです。
"The Best of Harry Belafonte"(RCA/BMG 02年)が入手容易でしょう。

1959年にこの曲をヒット・チャートのトップ10に送り込んだのは、Conway Twitty (米、歌手: 1933 - 1993)でした。
コンウェイ・トゥィッティはエルヴィス・プレスリーのフォロワーの一人としてデビューしましたが、前年の"It's Only Make Believe"のヒットと本ヒット、続く"Lonely Blue Boy"等で地歩を築き、その後はカントリー界で活躍しました。
彼のカヴァーは、最初はスローなバラード調で始まり、その後一転してアップ・テンポのロック調になると言う、当時よくあったパターンでした。
例えば、ビートルズがメジャー・デビューする前に録音した"My Bonnie"も同様のパターンですね。
c0163399_18425712.jpg左は当時のシングル盤(MGM)
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右の"Conway Twitty"(St.Clair 07)がベスト盤としては入手容易でしょう。


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まとめてカヴァー曲を聴きたいと言う欲張りな人にはこれ。
クラシック、ジャズ、ポピュラーの各分野から12曲を収録したものが、「ダニー・ボーイ 100%」(BMGビクター 左、但し現在廃盤)
"The Fabulous Danny Boy Album"(RCA 輸入盤で入手可)。
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オフラ・ハーノイ(cello)、リチャード・ストルツマン(cl)は、この企画の為の新録。
チーフタンズとジェイムズ・ゴールウェイ(fl)、ロバート・ホワイテイカー(vo)、アル・ハート(tp)他が楽しめます。
曲の表記も「ダニー・ボーイ」「ロンドンデリーの歌」「デリー州の歌」と様々です。



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ジャズ界ではビル・エヴァンスがよくこの曲を採り上げています。
左はスコット・ラファロを失った後のエヴァンスが色々と模索していた時代のもので、レギュラー・トリオを離れ、シェリー・マン(ds)、モンティ・バドウィグ(b)と言うウエスト・コースト派と共演しています。
"Empathy"(Verve 62年)
他にもソロ・アルバムでも演奏しています。



本記事と併せて、この曲のヴァリエイションとも言うべき"You Raise Me Up"も参照ください。
例えば、ケルティック・ウーマンは、"You Raise Me Up"と"Danny Boy"の両曲をカヴァーしています。

キリがありませんので、この辺りで本日の最大のお勧め盤、Keith Jarrett の東京でのソロ・ライヴを。
Tokyo Solo [DVD+CD](ECM 08年)
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キース・ジャレットは当代随一の人気ピアニストの一人ですが、その音楽性の幅は実に広く、ジャズに留まらず、クラシックでもバッハの平均律クラヴィーア曲集に挑戦したり、ヘンデルを演奏したかと思えば、現代音楽の世界を垣間見せたり、ファンを良い意味で裏切り続けてきました。
70年初頭のマイルス・ディヴィスのバンドで注目を集め、その後のソロ・コンサートや二つのカルテットでの演奏と都度都度全く違った顔を見せたものです。
そして、ジャック・デジョネット(ds)、ゲイリー・ピーコック(b)と組み、結果として20年以上も続くこととなる所謂スタンダード・トリオ Standards での活動は大きな話題なり、人気も博しました。
病気療養を経て、2002年日本のファンの前で繰り広げたピアノ・ソロ・コンサートを収録したアルバムが"Radiance"(ECM)でした。それは大阪公演を主体にしたものでしたが、その時の東京公演の全貌をDVD化したのが、これです。
本編の長いフリー・インプロヴィセイションについては好みが分かれるでしょうが、アンコールでは殆どアドリブもなく、淡々とキースがこの曲を演奏しました。聴き慣れた筈のこの曲をキースは全く清新に、しかし何の違和感もなく、ごく自然に再構築して聴かせてくれます。そのリリカルなサウンドに、ビル・エヴァンスの演奏を最初に聞いた時以来の感動を覚えました。

【 番外編: ビートルズと"Danny Boy" 】

では、少し、お遊びを。
勿論、ビートルズの公式曲リストにはこの曲はありません。
("Rocky Racoon"にロッキーの恋敵としてDanこと、Danny Boyが登場しますが、勿論、無関係)
しかし、彼らの公式アルバムでほんの少しだけ、聴くことが出来るのです…

1969年1月30日 昼下がりのロンドンのオフィス街サヴィル・ロウ
「背広」の名称の由来ともなったこの街に突然エレクトリックなサウンドが響き渡りました。

ビートルズが、後にRooftop Concert あるいはRooftop Gig と呼ばれる ゲリラ・ライヴを敢行したのです。
(以後、多くのアーティストがこれを真似して警察当局とトラブルを重ねます)
それは年初から延々と続いていた彼らの新アルバムの為のレコーディング・セッション、俗に"Get Back Session"と呼ばれるもののクライマックスを飾るものでもありました。

このセッションについては、"裏 Bridge Over Troubled Water"でも触れましたね。
昔に返り、オーヴァーダビングは一切しない、と決めて始まったセッションでしたが、日頃使い慣れたアビー・ロード・スタジオではなく、映画撮影用のトゥッケナム・スタジオの寒々としたスペースの中、カメラと衆人環視の中で始まったリハーサルは盛り上がらないこと甚だしいものでした。
その内ジョージとポールの口論になったり、周囲を無視してマイ・ペースを貫くジョンとヨーコにメンバーやスタッフ達は苛立ちます。
リハーサルの場所はやがて当時サヴィル・ロウにあった彼らの会社Appleの本社ビルで行われることとなります。修業時代とも言うべき(先の"My Bonnie"もその時代の録音です)ハンブルク時代に知り合ったオルガニストのビリー・プレストンを迎え、サウンドにも厚みが出てきましたし、何よりギスギスしていた雰囲気が和やかになってきました。
セッションの締めとして、新曲発表のコンサートを開きライヴ録音する案やその他の案も出ましたが、いずれも採用されず、とりあえず、ライブ向きの曲をこの日屋上で演奏することとなったのです。
因みに翌日にはバラード系の曲がスタジオ録音されています。
それが"Let It be"であり"The Long And Winding Road"他でした。
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さて、前置きが長くなりましたが、映画"Let It Be"でもハイライトとなった屋上ライヴに話を戻しましょう。
彼らはこの日"Get Back"他の曲を演奏したのですが、5曲目の"The One After 909"のクロージングでジョン・レノンが突然"Oh Danny Boy , The old savanna's calling"(と私には聴こえます)と歌い始めたのです。歌詞は彼一流の替え歌のようです。

"Get Back"セッションは結局、その後グリン・ジョーンズによってマスター・テープが作成されますが、ビートルズはこれに納得せず、暫く放置されてしまいます。
後に録音され、彼らの事実上のラスト・アルバムとなる"ABBEY ROAD"の方が先にリリースされる有様でした。
やがて、映画公開も決定し、ジョンは突然独断で「これでアルバムを作ってくれ」と、ダラダラと、いえ、延々と続くリハーサルを含む膨大な"Get Back"セッションのテープをフィル・スペクターに委ねます。そしてスペクターが映画に合わせ、そっくりそのまま、この箇所をアルバム"LET IT BE"(EMI/Apple)に収録した(注:グリン・ジョーンズ盤でもこの曲に関しては同じ扱いでした)おかげで、今日では世界中の人が、このジョンのアドリブを耳にすることが出来ます。

ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの3人はその姓からも明らかにアイルランド系です。
当時のアイルランド紛争、特に72年1月30日の所謂「血の日曜日」事件(ロンドンデリーでの公民権運動のデモの際英国軍が非武装市民に発砲、虐殺した事件)に触発され、同年、ジョンは"The Luck of Irish""Sunday Bloody Sunday"「血まみれの日曜日」を、ポールは"Give Ireland Back to the Irish"「アイルランドに平和を」を発表しています。
(アイルランド出身のU2も同名異曲の"Sunday Bloody Sunday"(83年)をリリースしていますが、同じテーマを扱っています)

この時のアドリブは単に、かつてのヒット・ソングをジョンがふざけてパロっただけかも知れません。
しかし、私はやはり、ジョンの中に眠るアイルランドの血がふと目を覚まし、つい口をついて出てきた、と解釈したいと思っています。

「アイルランドでジャガイモ飢饉が起こって、食いつめたアイルランド人が食料を求めて上陸した街がリヴァプールだ」と嘗てインタヴューで自分達の祖先と故郷を簡潔に要約してみせたのは、他ならぬジョンでした。



注1) ウェザリーは1910年にこの原詞を書いた
その後、彼は"Londonderry Air"に出会い、一部を曲に合わせて修正して詞を完成させている訳ですが、問題は、修正された具体的箇所を私は把握出来ていません。
また、私の説への反論で想定されるのは「"glen"(谷)はもともとスコットランドやアイルランドで使われた表現で、それが使われている以上、パイプがバグパイプでも不思議はない」と言うロジックです。
残念ながら、今の私はこの反論は一応甘んじて受けます。

注2) スコットランドやアイルランドの伝統楽器
アイルランドのバグパイプは有名なスコットランドのそれと違い、演奏者の呼気だけでなく取り付けられた鞴で空気を送り、鳴らします。


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by Eiji-Yokota | 2009-11-29 00:01 | SONG
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