Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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Crossing Paths / Caminhos Cruzados    十字路

 - 1958年 Antônio Carlos Jobim + Newton Mendonça -
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ボサノヴァの黎明期、トム・ジョビンとニュウトン・メンドンサによって書かれた「サンバ・カンサォン」(注1)です。

同じ年に生まれた二人は幼馴染でした。
そして、1台のピアノを挟んで、共にメロディを出し合い、詞を考える作業を通じて、相互に触発し合いながら、曲作りに励んでいました。
後にトム・ジョビンとコンビを組むブラジルが生んだ偉大な詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスは嫉妬深く、トムが他の人間と共作することを好まなかったと言われていますが、ニュウトンだけは別扱いだったようです。

この二人によって、ボサノヴァ初期の名作が生み出されました。

・Desafinado
・One Note Samba (Samba de Uma Nota Só )
・Meditation (Meditação )

特に最初の2曲は、米国でボサノヴァ・ブームが起こった62~63年に吹き込まれたジャズ界のビッグ・ネームの殆どが必ずと言って良い程採り上げています。(注2)

この曲は、上記3曲より早い時期に作られたものですが、曲の解説に入る前に、作者について、触れねばなりません。

トム・ジョビンとニュウトン・メンドンサ---
幼馴染の二人の運命は、その後、大きく分かれていきます。
トム・ジョビンは米国等にまで拠点を伸ばし、20世紀を代表する作曲家とまで評される存在となります。対照的に、ニュウトンはボサノバが米国を席捲する直前、33歳の若さでこの世を去り、殆ど忘れ去られようとしていました。
僅かに、上記の曲と共に、一部のボサノヴァ・ファンから「偉大なジョビンのパートナーだった作詞家」と記憶されるに留まっていました。
ボサノヴァ誕生の渦中にいたにも拘らず、友人等も多くはなく、その生涯について語られることは殆どない状況でした。

このブログでも度々言及しているルイ・カストロの著『ボサノヴァ』の中には、こう書かれています。
「ボサノヴァ最大の謎は、ニュウトン・メンドンサだと言われた」

ところで、最近になり、ニュウトン再評価の機運が起こってきました。
ボサノヴァの生みの親の一人とも言うべきニュウトンに対するこれまでの不当に低い評価を今こそ見直す時が来たのではないかと思っています。

ここでは、以下、メンドンサの生涯とこの歌の辿った経緯をみていきたいと思います。





【 メンドンサを探して 】

私は、このブログのジョビンのWHO'S WHOの中(Part2)で彼の代表作として、メンドンサとの共作からも5曲を選びました。
前記3曲と、"Foi a Noite (ある夜)"と、この曲です。

「ある夜」はジョビンが「自己の世界を確立させた」と評されることもある作品です。
と言うことは、トムはニュウトンとの切磋琢磨と言うか共同作業を通じて、自己のアイデンティティを確立したことになります。
であれば、ニュウトン自身も、彼らしさをその時確立していたとしてもおかしくありません。
話が分りにくいですか?

例えば、20世紀を代表するソングライティング・ティームであるジョン・レノンとポール・マッカートニー。彼らの名前が作者として併記されている多くの曲について、ファンは直観的に「これはジョンの曲」「これはポールが作った」と見分けることが出来ます。二人の個性はその位際立っていました。(逆に言えば、二人が本当に共作した作品はごく僅かです)

しかし、先の5曲について、かなりコアなボサノヴァ・ファンでもトムの仕事とニュウトンのそれを見分けることは難しいのではないでしょうか。
と、言うより、全てトム・ジョビンが作曲したと思い込んでおられる方が大半でしょう。
そもそも早世したニュウトンは単独作も僅かしか残しておらず、比較検討の材料が不足がちです。
一方、トムの曲は確立した一定のムード・雰囲気---それが彼らしさであり、彼の個性・アイデンティティなのですが---を持っています。
初めて聴く曲でも、一聴して、彼の作品と分るような。
先の5曲のいずれにも、それらを感じることが出来ます。
--と、つい最近まで思っていました。

しかし、これに対し、一石が投じられました。
"One Note Samba"は他のトムの作品のラインアップの中で「ひどく浮いてしまっている」と指摘し、メロディが展開せず、「流れていかない感じ」はトムらしくない、と。
この問題提起をされたのは、ジョビン関係の著作もある岩切直樹氏でした。氏はこの曲はニュウトン単独による作品ではないか、と推察されました。(「三月の水―アントニオ・カルロス・ジョビン・ブック」(彩流社 03年))

まさに、慧眼です。言われてみれば、確かにそうなのです。
どうやら、私の海馬は30有余年に亘り"One Note Samba"を聴き込んでいる間に「これこそトム・ジョビンの世界だ」と脳の記憶分野に刷り込むように指令してしまったようです。
たしかに、トムの作品で、この曲のようなメロディ展開を見せる曲、あるいは類似性を感じさせる曲は思い当たらないのも事実です。
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更に、この説を補強する見解が他ならぬブラジルから出ていたのです。
メンドンサ再評価の先駆けとなった、Marcelo Camara他によるメンドンサの本格的な評伝"Caminhos Cruzados - A Vida e a música de Newton Mendonça"(Mauad Editora 01年) がそれです。その中で筆者(達)は、トムとニュウトンの二人が共に作曲家であったことを強調し、家族や友人の証言をもとに「この共同作業のイニシアティヴをとっていたのは通常はニュウトンだった」と結論付けたのです。

つまり、先の5曲はニュウトン自身の代表作と呼んでも差支えないと言うことになるのではないでしょうか。
どうやら、私達は「メンドンサらしさ」の入口を見つけることが出来たようです。


【 メンドンサの生涯 】

先の「評伝」はポルトガル語で書かれており、到底私の手に負えるものではありませんし、現在、Amazon等でも入手困難な状況です。先の岩切氏が続編としてリリースされた「愛と微笑みと花―アントニオ・カルロス・ジョビン・ブック〈2〉」(彩流社 04年)で、詳細に内容を紹介されています。

ここでは、上記引用や他のデータをもとに、ごく搔い摘んで、メンドンサの生涯を、特にトム・ジョビンとの関わりを主体に見ていきたいと思います。

    ************

Newton Ferreira de Mendonça  ニュウトン・ファヘイラ・ヂ・メンドンサ

1927年2月14日(日) リオ・デジャネイロで誕生
1960年11月22日 急性心筋梗塞によりリオの自宅で死去。 (33歳)

父:ミゲル・フェヘイラ・ヂ・メンドンサ
母:セレデス・カルヴァーリョ(・ロボ)
姉:ノーマ、弟:ウィルソン

背は高くもなく低くもなく、人相はとても悪かった。犬のブルドッグみたいだと言われた。
(冒頭の画像参照)

父は陸軍軍人  祖父は陸軍最高(将軍)にあった人物
母は芸人(ピアノとヴァイオリン)

詳細は不明ですが、幼い頃、父と別れて暮らしています。
その後、父は当時のジェトゥーリオ・ヴァルガス大統領への反乱に加担したとして階級(中尉)と特権をはく奪され、収監されます。
ニュウトンも軍人学校に進んでいますが、軍人としての適正はなく、学生時代は好んでハーモニカを演奏して過ごします。
42年、ニュウトン12歳の時、一家はイパネマに引越します。
ここでニュウトンとトム・ジョビンは知り合い、二人の人生がクロスします。以後二人の友情は彼の死まで続きます。
45年、父が家に戻りますが、逆に母が家を出ます。
46年、父が死去(心臓病)。祖母の元で暮らす。
ニュウトン、科学の履修が出来ず、陸軍学校中退。
以後、職を転々とする。
50年代はじめ、トムとニュウトンの共作が始まります。
二人とも、バールやボアチ(レストラン/キャバレー)でピアニストとして働いていました。

テレーザ(トム・ジョビンの当時の妻)の回想;
彼らはとても楽しんで作曲していた。それは大仕事だった。議論し、鍵盤で激しく喧嘩して、コードとハーモニーについて議論していたけれど、それらのすべてに多大なユーモアがあった。曲も歌詞も、すべてを4本の手で作った。彼らはピアノを交代で使った。たくさんのビールとコニャックのあとに、あらゆるものが調和して、彼らは多大なユーモアと自愛を随所に吹く灘美しい表現に達した。

55年 ニュウトンは州立公務員共済病院(HES)の管理部門人事部書記の職を得ますが、昼は公務員、夜はピアニストの二重生活を続け、酒とタバコが次第に彼の健康を蝕んでいきます。
トム・ジョビンがレコード会社に就職し、夜の仕事から足を洗ったことと対照的です。
その後、何度か入退院を繰り返しますが、ニュウトンは自身の健康には無頓着だったようです。

そして、60年 夜の仕事から自宅に戻り、そのまま帰らぬ人となりました。


【 この曲の位置づけ ・ 歌詞 】

この曲が生まれた経緯等の詳細は伝わっていません。
時期的には先の「ある夜」と前記3曲の間にこの曲は作られています。
まだ、世間はジョアン・ジルベルトの革新的なバチーダ(注3)を知らない時期です。
ボサノヴァ誕生前夜とでも言いましょうか。

私には、歌の構成や旋律の特徴から、ニュウトンの貢献の方がより大きいように聞こえます。

歌詞は愛に傷ついたもの同士が再び愛を見つける瞬間を描いています。

      ♫ ♫ ♫

疲れ果てた魂がもう一つの疲れ果てた魂に出会う時
愛が芽生えることがある、突然に

愚かだった、誰も解けない愛を一人で解こうとしていたんだ。
愛だけが、古い愛を砕くのだから。

      ♫ ♫ ♫

歌詞の全文(ポルトガル語)はこちら
(ポルトガル語から英訳の機能もあります)


さて、我が有美さんも、日本語の歌詞を独自に作って歌っています。
新しい恋が生まれる瞬間と言う意味では同じテーマですが、歌詞の構成はオリジナルとは全く異なり、何気ない風景の中に彼女独自の世界が展開されています。

具体的な歌詞や、彼女のコメントは彼女のサイトのMy Poemをご覧下さい。

ボサノヴァはジャズに多くのレパートリーを提供してきましたが、この曲を演奏するジャズ・メンはあまり見かけません。その為か、つい最近まで英語の歌詞を見かけることはありませんでしたが、よくよく調べてみると、ありました。
Paul Sonnenbergと言う人が英訳していました。
You Tube でどうぞ。



【 カヴァー 】

この曲を最初に録音したのは、Sylvia(Silvia) Telles シルヴィア・テレス。
"Silvia"(Odeon 58年)
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シルヴィアはボサノヴァ創世期の名歌手の一人。
ボサノヴァ以前からキャリアを開始し、アルイージオ・ヂ・オリヴェイラ(トム・ジョビンと共に在籍したオデオン・レコード時代にボサノヴァを積極的に採り上げ、後に独立してボサの専門レーベル、エンレコを設立)の妻となります。それ以前にジョアン・ジルベルトと付合っていたこともありました。
トム・ジョビンの"Dindi"は彼女の愛称に因んだものと言われています。
米国進出を果たしますが、66年、交通事故で31歳の若さで世を去ります。
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お勧めは、やはり、ジョアン・ジルベルトでしょう。
"Amoroso 「イマージュの部屋」"(Warner Bros. 77年)

ジョアンの優しい声がこの曲の魅力を伝えてくれています。失恋した時に最適?

アルバムの詳細はジョアン・ジルベルトのWHO'S WHOを参照ください。

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今度はトム・ジョビンの演奏を。
"Antonio Carlos Jobim and Friends"(Verve)
93年9月にサンパウロで行われたFree Jazz Festivalでのジョビンへのトリビュート・ライヴから。米国からボサノヴァに関係の深いアーティストが訪れて演奏していますが、内容的にはボサノヴァと言うより、ジャズそのものです。後半、ジョビンも参加します。この曲ではピアノを弾いていますが、ヴォーカルはGal Costa ガル・コスタ。
MPBの女王的存在の彼女ですが、トムとは共演歴もあり、この曲も堂々と歌い上げています。
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そして、MPBと言えばこの人、カエターノ・ヴェローゾ。
"Noites Do Norte Ao Vivo"(Musicrama 02年)
還暦を迎えた彼のライヴ・アルバムから。
DVD版(ライヴ~北の熱い夜)もリリースされています。
彼は所謂スタジオ制作アルバム等では、この曲を採り上げていない筈ですが、曲の歌い出し出のファンの拍手や歓声は、この曲の人気を物語るものでしょう。

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(補足)
先の「メンドンサ再評価の機運」の一つが右画像、"Cris Delanno Canta Newton Mendonca"(Nikita Music 03年)です。
ここでは、この曲を始め、ニュウトンの作品、特に従来未発表やレコーディングされなかった単独作品が収録されています。




注1) サンバ・カンサォン
サンバ・カンサォンは、所謂「歌ものサンバ」。
1919年にエンリーキ・ヴォジェレールによって作られたボレロ調のサンバがその原点と言われています。
サンバ・カンサォンは後に「怨歌」と呼ばれるほど強烈な歌詞と、感情を込めた歌い方がブラジル人の心をとらえます。絶望とか嫉妬とか、あのリオのカーニヴァルで見せるブラジル人の陽気さとはまた違った側面を見ることが出来ます。いずれにせよ、ラジオの普及とともにサンバ・カンサォンは大衆に定着します。
しかし、こうした音楽に飽き足らない若者達が、米国音楽の影響を受けながら、独自のサンバ・カンサォンを作り出していきます。
そして、それがジョアン・ジルベルトが生み出したバチーダと融合することで、ボサノヴァが生まれました。
やがて、ボサノヴァは衰退しますが、ブラジル音楽は、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルに代表されるトリピカリアによって、より豊かな表現力を勝ち得ていきます。

これらのサンバ・カンサォン、ボサノヴァ、MPBの関係を、分り易く、誤解と嘲笑を恐れず、独断と偏見で日本の音楽シーンで譬えてみるとこうなります。

サンバ・カンサォンは、歌謡曲・演歌のような存在でしょうか。
ボサノヴァは、アメリカのフォーク・ソングに触発された歌謡曲が日本独自に発展したニューミュージックにあたるかも知れません。また、イェイェイェ同様、和製ポップスやグループ・サウンズブームなんてものも日本にはありました。いずれも、歌謡曲の変形でした。
カエターノ達の動きは、これらを統合した上で、より音楽性を高め、オリジナリティ溢れるユーミンやサザンオールスターズ等のJ-Popsの先駆けを思わせます。
ただし、これは音楽の発展形態上の比較手で、政治的観点での比較は除外しています。

注2) "Desafinado"と"One Note Samba"が同時収録されているアルバム
Stan Getz+Charlie Byrd  "Jazz Samba" 62
Coleman Hawkins "Desafinado" 62
Quincy Jones "Big Band Bossa Nova" 62

注3) バチーダ
サンバで使われるパーカッションの代表格は、ジャズで言うベースドラムに当たるスルド(大太鼓、鼓笛隊の太鼓を大きくしたイメージ)で、これが基本的なリズムを刻みます。またテレコテレコと言うシンコペーションの効いた特徴的なリズムを叩くのがタンボリンで、これはタンバリンを少し小さくしたもので、スティックや指で叩いて音を出します。
バチーダは、このスルドを親指に、タンボリンやその他の楽器(ガンザー、アゴゴ等)を残りの指に置き換えてギター1本でサンバのリズムを表現する技術・奏法です。

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by Eiji-Yokota | 2009-05-29 20:00 | SONG | Comments(0)
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