Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
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鳥の歌 補遺

c0163399_1756484.jpg

Naomi's Choice へようこそ

先週、「鳥の歌」を公開させていただきました。
この記事は1年近く暖めていたもので、公開した瞬間の何か憑き物が落ちたような感覚は今でも鮮明に覚えています。
とは言え、ブログには1記事あたりの字数制限があり、結局、内容を本文と"WHO'S WHO"に分ける等、出来上がったものは、当初の構想から、かなりかけ離れたものになってしまいました。(本来"WHO'S WHO"はジャズやスタンダード・ナンバー関係者に限定しようと思っていたのですが…)

それでも、まだ、私の中に残滓と言うか澱(おり)のようなものがあって、この記事を書いています。

学生時代、国連での(3回目にして最後の)有名なコンサートに接して以来、私は「このおっさんは一体何なんだろう?」とずっと気になっていました。

ドン・キホーテかはたまたピエロか?
「蟷螂の斧」よろしく、演奏ボイコットくらいで世界が動くとでも思っているのだろうか、と。
思い上がりも甚だしいのではないか、一体何様のつもりなのか、とか。
ボイコットと言ってる割にはニューヨークにも海外にも行って、結構演奏してるじゃないか。
隠棲したプラドがあるフランスだって、フランコのスペインを容認しているし、その地で、当時フランコの最大の支援者だったアメリカにある大レコード会社の支援で音楽祭を開催し、その演奏を売りまくっているではないか…
また、わが愛するロックンロールを「音楽につぎ込まれた毒」とまで断じたことも許し難かったのですが、ラベルやピカソまでこき下ろすゴリゴリの保守主義的姿勢に思わず、「鷲はピース、ピースとは啼かんだろう」と突っ込みを入れたくなったりもしました。
ま、頑固爺であることだけは間違いない。
それも筋金入りの…

と、言うことで、本文をPart1、WHO'S WHOをPart2とすると、本記事はPart3=番外編として、歴史的記述主体の本文に対し、私の独断と偏見によるカザルスに対する個人的解釈と「鳥の歌」の各種日本語訳の紹介、そして私が疑問に思っていることを書きたいと思います。




1.「鷲はピース、ピースとは啼かない」

感動的なスピーチに対し、別に揚げ足取りをしているのではありません。
カタルーニャ語は分からないので、断定出来ませんが、
この歌には大小様々な鳥(注)が歌われており、本文に書いたように、それらが救世主の降誕を告げ、祝福し、救済されることを寿ぐ内容です。

(注) J.ウエッバーの編集したカザルス語録集「鳥の歌」の訳者池田佳代子さんの訳によれば、「鷹、雀、小夜啼鳥、ミソサザイ」が歌われている由。詳細は本文を。

しかし、その旋律は物悲しく、とても祝祭の歌には聞こえません。
強いて言えば「敬虔な祈り」でしょうか。

カザルスのチェロはたしかに鳥が滑空しているかのように響きます。

が、それはあくまでも救世主誕生を祝うというより、やはり、いまだ救済されない人々が救済を求める「祈りの歌」のように聞こえます。
カザルスには、まだ、救済主の姿は見えていないのです。
彼にとって、この歌は元々の由来を離れ、自分の「思い」を歌う歌となっているのではないでしょうか。
そして、それは鷲や鷹ではなく、まだまだ小鳥達の世界なのだと私は思います。


2.例外的な賛美歌

私は教会関係者でも讃美歌(賛美歌)研究者でもありませんが、この歌が新聖歌94番(日本福音連盟・新聖歌編集委員会編集 2001年初版 この曲の出典は「イエスは主なり 新版 38番」)であることは知っています。そして、素朴な疑問を抱いています。

通常、賛美歌は、その曲の歌い出し(初行)で呼ばれます。
「きよしこの夜(Silent Night、Holy Night)(注)」「もろびとこぞりて(Joy to the World)」「さやかに星はきらめき(O Holy Night)」「驚くばかりの(Amazing Grace)」等

(注) JASRAC登録は「聖夜」

しかし、この曲は下記の日本語歌詞(奥山正夫 訳)の「初行」で呼ばれることなく、そのまま「鳥の歌」と表記されています。

 ♪夜が明けて 小鳥たちは歌い始める
  良い知らせを
  「ベツレヘムに かわいい幼な子が
  生れ給うた
  この方こそ 神の独り子」と

新聖歌はじめ、いくつかの讃美歌集をざっと紐解いてみたのですが、この様な例は皆無ではありませんが、極めて数少ない扱いです。
「初行」表記は、(同じ歌でも)替え歌が多いことと、正式タイトルが不明なものが多いことから用いられていると言われていますので、逆に言えば、この歌は讃美歌集編纂以前に既に十分有名だったと言うことなのでしょうか。

また、この歌の起源についても、今回この歌を採り上げるに際し、この歌がカタルーニャでいつ頃、どうして生まれたのか、色々調べたのですが、よく分りませんでした。

この歌の起源を含め、この曲が初行の例外扱いされる理由について、ご存知の方、是非、ご教示ください。

3.いくつかの邦訳・日本語歌詞

さて、この歌には、いくつかの邦訳があります。
それぞれの翻訳された正式な年月は分かりませんでした。
それぞれ冒頭部分を少しだけ覗いてみましょう。(敬称略)

柳貞子

♪ 明け染めて陽は輝き
  虹色の空に鳥は歌う
  平和の歌愛に満ち溢れ

吉川敏男 

♪ 深き闇は 大地覆い
  悲しみをうずめ
  流れ来る 祈りのうた
  救いを求めて

北川フラム 

 ♪ うるわしき夜 けだかき光 大地を照らせば
   鳥たち集い 祝い歌う かぐわしき声で

いずれも、鳥達が光の中で「悩みから喜びへ」あるいは「平和」を歌うものです。

さて、我が有美さんの歌詞は少し違っています。

 ♪ 君 帰るか  鳥になりて
   懐かしき  故郷

ここでは主人公が鳥になって故郷へ帰る設定になっています。
鳥が歌うのは必ずしも「望郷の歌」ではなく「祈りの歌」です。
何の祈りか作者は明示していませんが、全体を通じて伝わってくるのは「平和の祈り」でしょう。
これは、カタルーニャ語の歌詞から全く独立した別個の作品と看做すべきでしょう。
おそらく彼女はこの曲から感じたままを綴った筈です。

彼女の歌詞の全文はこちら→My Poem(ここをクリック)

余談ながら、彼女がこの詞に寄せた上記エッセーの中で描かれているご尊父の姿はさながら古武士然としていて、私なぞ、読んでいて思わず居住いを正してしまいました。

3-2 ある英語歌詞 (追記)

実は、この記事を書き終わってからも、紹介すべきか否かで、ずっと悩んでいたヴァージョンが一つありました。
それは、カタルーニャ人カザルスの自由と平和と独立への戦いに全く無関係な歌詞、しかし、音楽としてみた時には容易には「外し難い」1曲。
何とそれは、この曲に愛の歌詞を付けてジャズ・バラードに仕上げたものでした。
ようやく、いつまでも一人で悩んでもつまらないので、さっさと紹介して、多くの人に判断を仰ぐ方が得策だと割り切ることにしました。
c0163399_10541039.jpg
ご紹介しましょう。
有美さんが、「私の大事な『先生』」と呼んでいる伊藤君子(愛称 ペコ)の"Song of Our Love"(歌詞:Riki Ninomiya)です。(1989年11月録音)
右画像"A Natural Woman"(Epic/Sony 90年)収録。
現在廃盤ですので、中古屋やアマゾン他経由で。
(なお、彼女のEpic時代のベスト盤"BEST"(92年)にも収録されていますが、やはり入手は困難かも知れません)

激しい愛の嵐の時期を経て、一度別れた二人が、再び静かな時を過ごす姿が描かれています。

4.カヴァー曲
この曲のカバーはギターやチェロ奏者によるものが多数リリースされています。

ここでは変り種(だけど名演奏)をご紹介しましょう。

Federico Mompou フェデリコ・モンポウ(1893-1987)はバルセロナの作曲家で、「ピアノの詩人」とも呼ばれています。
c0163399_15295061.jpg彼にはカタロニア民謡に材を求めた「歌と踊り」シリーズ全14曲がありますが、その第13番は唯一のギター曲でナルシソ・イエペスの為に作曲されました。
ここでモンポウは歌の部分にこ「鳥の歌」を採り上げています。
日本を代表する荘村清志の演奏でどうぞ。
彼はここでは10弦ギターで弾いています。
鳥の歌~カタロニア郷愁  (1992年 EMI) 

次は、最近リリースされた山下洋輔の新譜。
c0163399_1612966.jpg60年代後半、フリージャズを引っ提げてシーンに登場し、日本の音楽界を震撼させた彼も早や70歳。
その記念アルバムであり、最近のソロ・ピアノのコンサートからベスト・テイクが集められています。

スパークリング・メモリーズ (2012年 Verve)

ここでは得意の(?)肱打ちも解体ショー(?)も影を潜め、丁寧にこの曲の美しさを引出しています。
「誰よりも自信を持って弾くことが出来る」とはライナーノーツを担当した朋友筒井康隆による本人のコメント。


5.創造と抵抗

「祈りの歌」--どうも、この歌にはこの言葉が似合うようですね。
しかし、私は敢えて、もう一歩踏み込んでカザルスの「思い」に迫ってみたいと思います。

「望郷の歌」--生涯祖国に帰ることがなかった(注)カザルスにとって、この曲はまさに故郷そのものであったことは疑いないところです。
しかし、この歌を単に故郷を懐かしむ歌、センチメンタリズムだけで捉えるのは片手落ちでしょう。

(注)例外的に30年来の友人であり、生活を共にしてきたティティことカプデビラが54年1月に亡くなった際、自分の家族としてカザルスの母の隣に埋葬すべく、帰郷しています。

「平和の歌」--この歌には、これまで述べてきたように、間違いなく、この側面があります。
しかし、「平和」とは何でしょうか?
たしかに、最後の国連での演奏時もヴェトナムではまだ戦争が続いていましたが、一方で故郷スペインは一応平和で繁栄を享受すらしていました。

"WHO'S WHO" の中で、シュヴァイツァーとカザルスの会話を紹介しました。
カザルスは「創造と抵抗」の両方を主張し、プラド音楽祭がまさしくそれだと言っています。
ここでプラド音楽祭を「鳥の歌」と言い換えても良いのではないでしょうか。
つまり、私はこの歌はカザルスの「祈りの歌」であると共に「抵抗の歌」だと思うのです。

では、カザルスは何に対して「抵抗」していたのでしょうか?

単に反フランコ、カタルーニャ独立の為の「抵抗」と言うなら、「鳥の歌」は政治闘争の敗者≒ひかれ者の小唄になってしまいます。
たしかに、核廃絶、軍縮等をカザルスはシュヴァイツァーと共に訴えましたが、それは理想的な社会の実現と言うより、もっと切実な動機からだったと私は思っています。

フランコ独裁の下ではカタルーニャ語の禁止はもとより、なにかと理由をつけ、カタルーニャは弾圧され続けてきました。
同朋や仲間の窮状をカザルスは見ていられなかったのです。だからこそ、そんなフランコ政権を結果として支援する国々に行くことも、そこでお金を受け取ることもカザルスには「出来なかった」のでしょう。それは自ら言うように「最大の自己犠牲」だったのです。
つまり、彼の行動の根底にあるのは「ヒューマニズム」なのです。

彼のボイコットの本質は「願をかけて好きなお酒を断つ」と同じ発想だったのでしょう。
収入源と自分の一番好きなことを封じ込めた、捨て身の抗議だったとも言えるかもしれません。
「自分の行為が世界を動かす」とまで思いあがっていたとはとても思えません。

しかし、世界はそんなカザルスには目もくれず、動いていきます。

カザルスを経済的に救い、再び世界の注目を集めるように働きかけたのが本文でも述べたサシャ・シュナイーダーでした。このリトアニア出身のヴァイオリニストは同時に優れたプロモーターでもあったのです。コロンビア・レコードをスポンサーに引っ張り出し、音楽祭を仕切ります。後に一度カザルスと袂を分かちますが、また、プエルトリコの音楽祭も手掛け、カザルスにとって重要なパートナーであり続けます。

一度は引退を決意したカザルスも、人前で演奏する喜び(いつも極度に緊張するそうですが)を再び経験し、また、世界が自分の音楽を待っていることを確認し、徐々にその戦略を変えていきます。
彼は自分なりの「平和」や「ヒューマニズム」実現する為には演奏ボイコットでなく、効果的な方法で演奏する方が適切だと思い直した節があります。
最初の国連演奏会、"El Pesebre"の演奏会がその例です。
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ジョン・レノンの"Give Peace A Chance"~「平和キャンペーン」に先立つこと実に10年以上です。

こうして無類の頑固爺さんは、平和運動に目覚め、邁進していくのです。
3回目のホワイトハウス・コンサートそして最後の国連コンサートもその流れの中で理解すると、すんなり納得できます。
あるいは、最後の国連コンサートで禁を破ってチェロを弾いたことは、当時、ピークを迎えつつあったジョン・レノンによる「音楽と自分の名前を全面に押し出した平和キャンペーン」に刺激を受けた結果ではないかな、とビートルズマニアは夢想したくなります。
ロックンロールを毒とまで切り捨てた頑固爺がひょっとしてジョンのやり方に刺激を受けたとしたら(勿論、ご本人はたとえそうでも「俺こそ本家本物だ」と主張するだけでしょうが)ロック・ファンとしてはこれほど痛快なことはありません。
さて、事の真相はともかく、ここではカザルスとジョン・レノンの同時代性、行動パターンの類似性だけはしっかり指摘しておきましょう。
やがて、これらの行動がジャンルを越えて多くのアーティストに継承されていくことは皆さんご存じのとおりです。

そして、今、ことカタルーニャに関しては、本文のとおり、ほぼカザルスの夢は実現しました。
彼の行動がそれにどこまで寄与したかは分りません。
多分、直接的には殆どなかったと思われます。
しかし、彼がほぼ後半生に亘り信念を貫き通した事実は残っています。
畏るべし頑固親爺…

6.終りに  カザルスの人柄

口をへの字に結んでいるカザルス。(本文の「シューマン:チェロ協奏曲」のカヴァー参照)
いかにも気難しくて頑固者といった風貌です。
ちょっと近寄り難いようですが、彼は一度心を許せば、あるいは、自分が認めた生徒や後進には持てるだけの愛情を注ぎました。
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私は、この記事(本文)を書く為に、色々な本に目を通しました。
その中の1冊。
ロシアの「伝説のチェリスト」グレゴール・ピアティゴルスキーの「チェロとわたし」(白水社)
これを読んで、先のウェッバーが書いているエピソードの一つの出典がこれだと判明し嬉しくなりました。
(ウェッバーは各エピソードの出典を一切明示していません)

憧れのカザルスの前で突然演奏することになったグレゴール。
ピアノは、共演経験が殆どなく、お互いに勝手がつかめない状況のルドルフ・ゼルキンでした。
演奏はさんざんな出来でした。いかに自分がひどい演奏をしたか彼には分っていましたが、カザルスは「ブラーボ!」と称賛して彼を驚かせます。
そのことに納得がいかなかったグレゴールは後日カザルスと再会した時に、当時の真意を尋ねます。
カザルスは、急に不機嫌になって、その時のグレゴールの演奏の一部を再現してみせます。
「この指使いだった。これは私には新しいやりかただった」
「このパッセージでは弓を使いませんでしたか」
カザルスは次々と彼の良かった点を指摘します。
「間違いの数だけで判断するのは無知な馬鹿どもに任せれておきなさい。私はそれが素晴らしければ、たった一つの音や一つのフレーズでも、ありがたいと感謝することが出来る」

(カザルスは他人の批評を気にする人でした。このエピソードに触れた私には、カザルスが受けた「ある酷評」のことが過りましたが、それはまた別の機会に)

上記のエピソードと相通じるものを、最近見つけました。
やはり、若きチェリストがカザルスの前で演奏した時の話です。
c0163399_23213446.jpg
今回の主役は、『魂のチェリスト』ミッシャ・マイスキー。
後述しますが、偶然にもグレゴール・ピアティゴルスキーの最後の弟子の一人となった人物です。
当時ソ連に併合されていたラトヴィアのユダヤ人家庭に生まれた彼は、ロストロポーヴィチに師事し、デビュー前にソ連当局から無実の罪で不当逮捕されて強制収容所に送られ、出所後、イスラエルに脱出していました。
73年8月、エルサレムを訪れたカザルスにチェロの演奏を聴いてもらう機会を得たミッシャはあのバッハの「無伴奏チェロ組曲」の2番他を演奏します。
ランチをとっているミッシャに、その日のセッティングをしたアイザック・スターンが演奏を聴いたカザルスの言葉を伝えました。
『彼のバッハは本当のバッハではない』
ミッシャは言葉に出来ないほど落ち込みます。
スターンは続けます。
「よく聞くんだ、ミッシャ。カザルスは最後にこう言ったんだよ。『あの若いチェリストのバッハは非常に説得力がある。驚くべき説得力だ。確信をもって弾いているから説得力があるんだ。誰のまねでもない。あれは彼のバッハなんだから』とね」
それはカザルスの最高の褒め言葉でした。
(ミッシャ・マイスキー+伊熊よし子「わが真実」―魂のチェリスト 小学館 05年)

カザルスはミッシャの演奏を聴いた2か月後にこの世を去りました。
ミッシャが米国に渡り、グレゴール・ピアティゴルスキーの弟子となるのは翌年のことでした。
それにしても不思議な因縁です。
師弟揃って、カザルス独特の「評価」の「洗礼」を受けていたとは。
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by Eiji-Yokota | 2009-05-19 00:37 | 口上 | Comments(0)
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