Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
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No More Blues /Chega De Saudade 「想いあふれて」

- 1958年 Vinicius de Moraes + Antonio Carlos Jobim /
    63年 Jon Hendrics + Jessie Cavanaugh -
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アントニオ・カルロス・ジョビン(作曲)=ヴィニシウス・ジ・モライス(詞)による作品。最初のボサノヴァ作品と目されている。後にジョン・ヘンドリックス等による英語歌詞が付けられ、ジャズのスタンダードにもなる。
本ブログの"The Girl from Ipanema / Garota de Ipanema 「イパネマの娘」"の記事(今回、若干追加修正しました)もご参照ください。

今回はボサノヴァ誕生を告げたこの曲について、曲の誕生と録音された経緯、ボサノヴァ自身が発展・成長していく状況、特に米国での受け容れられ方、そして、この曲の代表的なカヴァーをご紹介します。

本文中に登場する主要人物の"WHO'S WHO"と併せてお楽しみください。



1.曲が生まれるまで

既に詩人として世評が高かったヴィニシウス・モライス(1913 - 1980 詩人、ジャーナリスト、外交官。 WHO'S WHO 参照 )は新進の作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン(1927 - 1994 作曲家、ミュージシャン。 WHO'S WHO 参照)に作曲を依頼し、自ら脚本を書いた"Orfeu da Conceicao"(Orpheus of the Conception)「オルフェウ・ダ・コンせイサォン」を制作します。

「オルフェウ」は56年9月にリオの市立歌劇場で公開され、好評を博します。
56年の後半、「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」が次のヘプリーカ劇場(リオ市内)で上演されている時、ジョビンはペトローポリスの近くのポッソ・フンドにある家族の別荘に滞在していました。そこでヴィオラォン(ギター)で三部からなるサンバ・カンサォンの着想を得ます。
サンバ・カンサォンとは従来のサンバにジャズやボレロの要素が加わった叙情的な歌ものサンバで、当時その歌詞の中身は多くは怨歌的なものでした。
一説には、母親の経営する学校の生徒だった少女の為のヴィオラォンの授業で、入門書から完璧なコード進行を発見して、そこにメロディを付け、彼女をうっとりさせることに成功したと言われています。
リオに戻ったジョビンは外交官任務の為にパリに赴任する直前のヴィニシウスをつかまえ、曲を聞かせます。詩人は他ならぬトムの頼みとあって、出発を数日遅らせて、歌詞をつけたそうです。
完成した曲の出来栄えには二人とも満足したようですが、「オルフェウ」は既に上演されて日も経っており、今更敢えて新曲を付け加えることもなく、この曲はしばらく、トムの机の引出しの中に放置されます。

2.録音の経緯 ボサ・ノヴァの誕生

57年、歌手として一向に目が出ず、数年前にリオを去って各地を放浪していたジョアン・ジルベルト(1931 - 歌手 WHO'S WHO 参照)が、バチーダと呼ばれるサンバのリズムを単純化しギター1本で表現する技術を「発明」してリオに戻ってきました。
ジョアンは、かつてボアチ(ナイトクラブ)で顔だけは知っていたトムを訪ねます。既にトムはオデオン・レコードのデレクターであり、いくつかのヒット曲も放っており、相応の影響力を有していました。
ジョアンのバチーダと囁くような唱法に興味を覚えたトムはそこに自分の生み出していたモダンなメロディやハーモニーを活かす新しいコード進行を植え付ける可能性を見出します。
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フェスタは外務省にコネを持つジャーナリストのイリネウ・ガルシアがオーナーを務める、リオの外れにある零細レーベル。詩人が自作を朗読したレコードなどをリリースしていました。ある日、ガルシアは親しいヴィニシウスの詩に新進のジョビンの書いた曲を付け、有名歌手に歌わせるアイデアを思い付きます。紆余曲折の後、歌手はエリゼッチ・カルドーゾ(1920 - 1990 歌手 「サンバ・カンサォンの女王」と呼ばれた)に決まります。
58年4月、上記企画を持ち込まれたジョビンはいよいよ、時が来たと、机の引出しからこの曲の楽譜を取り出しました。そして録音にジョアン・ジルベルトをヴィオラン(ギター)で参加させます。それがこの曲と"Outra vez「もう一度」"でした。スタジオではジョアンは大御所のエルゼッチの歌唱にまで口を出したようですが、みごとに無視されています。こうして、翌月、"Cancao Do Amor Demais"(カンサォン・ド・アモール・ヂマイス)がリリースされます。
このアルバムこそが、ボサノヴァを最初に収録したレコードであると現在では評価は定まっていますが(注1)、残念ながら、当時はたいして売れなかったようです。何より、ガウシア自体が冒険を回避し、当初2千枚しかプレスせず、外務省関係者に売れれば元を取れる計算をしていたようです。
しかし、一部の若者はこのアルバムの中の2曲に聴ける不思議なリズムを見落しませんでした。

58年6月 ジョビンの奔走により、ジョアンはオデオンで自分のレコードの録音のチャンスを得ます。
それから約1か月間、完全主義者のジョアンは周囲の関係者、果てはジョビンとまで衝突しつつもレコーディングをします。
58年7月10日、"Chega de Saudade"「想いあふれて」最終テイク完成。
58年8月、シングル盤"Chega de Saudade/Bim Bom"(Odeon)リリース。
フルートに導かれた軽快なリズムで歌うジョアン。今日聞いても全く古さを感じさせません。
僅か2分足らずのこの曲がその後世界の音楽シーンに影響を与えます。
と、言っても当初は殆ど反響もありませんでしたが、やがて、ジョアンのバチーダのリズムは若者の心を捉え、ラジオで完全コピーを競う企画まで現れるようになります。
そしてアルバム製作開始。
新たに収録された曲の中には"Desafinado"も含まれていました。
これは、この少し後に若くしてこの世を去るNewton mendonca ニュウトン・メンドンサ(1927 - 1960 作詞作曲家 "Caminhos Cruzados" 参照)の自宅で、58年の後半にトム・ジョビンが彼と一緒に笑い転げながらピアノとペンをとっかえひっかえして作った曲です。
音痴を歌った楽屋落ち(身内だけに通じるジョーク)満載のこの曲に二人は、「これはボサノヴァなんだ。とても自然なのさ」と言う一節を書き加えました。
59年4月 アルバム"Chega de Saudade"リリース。(冒頭の画像)
ジョビンはジャケットの裏に有名な解説を書きます。
ジョアンの才能を讃え、彼がこのレコーディングをいかに仕切ったかを記し、そして、この音楽がやがて大きな商業的成功を遂げるだろうとジョビンは予言したのです。
その文章はこう始まります。
「ジョアン・ジルベルトは27歳。バイーア出身のボサ・ノヴァだ」

3.ボサノヴァの語源

以上が、トム・ジョビンとジョアン・ジルベルトに焦点を中てたボサノヴァ誕生エピソードです。
しかし、ボサノヴァ自体は当時のリオの若者のムーヴメントと言う側面があり、たとえば、有名なナラ・レオン(1942 - 1989 歌手 「ボサノヴァのミューズ」と呼ばれた)のアパートにたむろしていた若者達が作ったり、歌ったりした音楽、特にサンバを都会的に洗練させた音楽全般をボサノヴァ(新しい傾向と訳されることが多い)と捉える見方が今日では支配的です。
もともと、ボサ(こぶ、資質)と言う言葉自体は以前からリオのミュージシャン間では人と違ったやり方をする人間を指す言葉で、ノヴァ(新しい)ではありませんでした。
両者を合体させて一つの「言葉」としての最初に使用例は、1958年、リオの南地区のユダヤ人学生グループの演奏が行われた狭いホールの黒板に事務員の女性が書いた「今晩の催し物。シルヴィーニャ・テリスとボサノヴァのグループ」だったと言われています。少なくとも、この時は、まだボサノヴァは固有名詞ではなく、単なる形容詞(新しい傾向の)に過ぎませんでした。

こうした若者達の好む音楽に目を付けていたトムとメンドンサは先の"Disafinado"の歌詞にこの言葉を(洒落として)綴ったのです。

リオから始まったボサノヴァ・ムーヴメントはブラジル中に広がり、冷蔵庫や洗濯機の新製品まで「ボサノヴァ」とネーミングされる等の広がりを見せます。

長い間待っていた、自分達の感覚に合う新しいスタイルをもった、完全にブラジル製の音楽が現れたのだ。ボサノヴァは、彼等の悩みを、真実を、願いを表現してくれた。また、中産階級の音楽的才能も、これを機会に国中で開花した。ムーブメントはまるで火のついた導火線だった。
(エレーナ・ジョビン 「アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを作った男」 )


4.ジャズ・サンバ/カヴァーした米国アーティスト達

さて、米国におけるボサノヴァの衝撃とそのブームは私達の想像をはるかに超えるものであったようです。
(かのエルヴィス・プレスリーも63年に"Bosa Nova Baby"をリリースしています)
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(詳細は今回、追加修正した「"The Girl from Ipanema / Garota de Ipanema 「イパネマの娘」"」の記事、注5参照)

確認出来る限り、米国で最も早い時期(62年8~9月)に、この曲をカヴァーしたのは、気を見るに敏な才人Quincy Jonesでした。
"Big Band Bossa Nova 「ソウル・ボサノヴァ」"(Mercury)
おそらく、コアなボサノヴァ・ファンはこのアルバムを認めないでしょう。
特に1曲目のクインシー作の"Soul Bossa Nova"には、ひょっとすると怒り出す人もいるかも知れません。ま、この曲はこの曲で色々面白いエピソードがあるのですが、それは別の機会に…
たしかに、これはボサノヴァとは言えないかも知れません。しかし、当時のジャズ界がボサノヴァのリズムに惹かれ、それをいち早く吸収しようとしたことを示す証拠として、そして何より、面白く楽しい音楽ではあります。(シリアスなジャズが好きな方にはお薦めしませんが、楽しい音楽が好きな方は是非聞いてみてください)

このアルバムにはこの曲の他、ジョビンの"Desafinado""One Note Samba"そしてルイス・ボンファ(1922 - 2001 作曲家)の「カーニヴァルの朝」(黒いオルフェの挿入曲)も収録されており、嫌いではありません。

当時の平均的な米国人が彼らなりにボサノヴァをどう理解していたかと言う意味でも貴重な1枚です。
つまり、囁くように歌うボサノヴァ(サンバ・カンサォン)ではなく、従来のサンバが持っていた熱狂的なリズムに関心が行っているのです。しかし、一方でジョビン等の作品自体の良さは勿論十二分に認めていました。

このアルバムの背景には次の出来事がありました。
当時、米国国務省はDizzy Gillespieにビッグ・バンドを結成させ、親善大使として各地に派遣していました。どこでも大人気で好評を博したようです。
62年、クインシーはその一員(指揮者、音楽監督)としてブラジルを訪れ、ボサノヴァに直接触れています。
クインシーはリオのホテルでのディジーとハウス・バンドの共演した時のことを自伝にこう記しています。

ブラジル人のリズム・セクッションが打ち鳴らす熱狂的なサンバのリズムのなかに、ディジーがビバップ・トランペットで切り込む。そのとき、私たち全員がはじめてジャズとサンバのフュージョンを聴いた。実際、ジョビンが作曲した"Desafinado"のメロディは、ディジーのトランペット・ソロを思わせる。ディジーにはジャズとサンバのガンボを調理する手腕があった。彼が先駆者だった。ディジーが(中略)ボサノヴァのサウンドに与えた影響はアメリカの誰よりも大きい。
(クインシー・ジョーンズ自叙伝 中山啓子訳 河出書房新社 02年/ 原著01年)
個人的には内容に異論はありますが、上記の米国人の見方の一つの歴史的証言として掲載しました。

他にも、ジャズ・フルートのハービー・マンやジャズ・ギタリストのチャーリー・バードがボサノヴァに関心をもちます。
その頃、麻薬欲しさに強盗を働き、逮捕・服役後逃げるように米国を離れ、北欧へ移住していたStan Getzが帰国。「過去の人」となりつつあるゲッツを自宅に招いたバードはこれらのボサノヴァのレコードを聞かせます。
ゲッツはこれに飛びつき、ヴァーヴ・レコードのプロデューサー、クリード・テイラーを説得してアルバムを作成します。この"Jazz Samba"(Verve)の成功を受け、偶然にも、62年8月下旬、クインシーとほぼ同時期にゲッツはゲイリー・マクファーランドの編曲で、同タイトル(Big Band Bossa Nova)のアルバムを作成。収録曲もこの曲と「カーニヴァルの朝」「ワン・ノート・サンバ」と重複していました。
こうした状況でしたので、62年11月にトム・ジョビンやジョアン・ジルベルトがNYに乗り込んだ時には米国のミュージシャン達は既にこの曲始め彼等と彼等の代表曲は十分知っていたのでした。
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Jon Hendricksによるジョアン・ジルベルトへのトリビュート・アルバム。
"Salud! João Gilberto Originator of the Bossa Nova 「ジャイヴ・サンバ」"(Warner 63年)

ブームへの便乗もあるでしょうが、ジョン・ヘンドリックスのジョアンへのトリビュート盤も早いタイミングでリリースされています。ジョンは「スウィングしなけりゃ意味がない」で紹介したアニー・ロスと組んだランバート、ヘンドリックス&ロスで一世を風靡し、インストゥルメンタルや有名なアドリブに歌詞を付けたるヴォーカリーズを得意としていました。このアルバムでも、この曲に英語歌詞を付けて歌っています。
本物そっくりのイントロが期待感を煽ります。しかし次の瞬間、ジョンの野太いダミ声が出てきてビックリ…

ただ私には、このボサノヴァ・ブーム期に米国で録音された多くの演奏の大半には、後記のサウダージ感がなく、サンバの持つリズミカルな面ばかりに関心が行っているものが多いように感じています。
ジャズ側からボサノヴァにアプローチした音楽の内、サウダージがないものを私は個人的に「ジャズ・サンバ」と分類してボサノヴァとは区別しています。(注2)


5.サウダージ  この曲で歌われているもの

詩人ヴィニシウスがここで歌ったものは一体何だったのでしょうか?

まず、このタイトルから紐解く必要があります。
Chega de saudade …直訳すれば、「サウダージはもう沢山」。
chegaは英語の plenty であり、その結果として no more と言う意味にもなりますから、日本語のタイトルの「想いあふれて」も、英語のタイトル"No More Blues"(=憂いはもう沢山)も、決して間違ってはいません。
ただ、ニュアンスが微妙に違う。
問題は saudade サウダージです。

サウダージは通常、「郷愁」「思慕」「切なさ」と訳されることが多いようですが、例えば、  Wikipediaには次のような解説が掲載されています。
                    ***
ポルトガル語が公用語となっているポルトガル、ブラジル、アンゴラなどの国々で、特に歌詞などに好んで使われている。単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。
                    ***

つまり、他の言葉には訳しようのない、ブラジル独特の感覚、言い回しだと言うのです。

では、具体的に歌詞の中身を見てみましょう。

原詩の内容は恋人に去られた後の「喪失感」を歌ったものです。

  ♫ 君がいないとだめなんだ
    僕はもう苦しみ続けることはできない
    君といた時の喜び
    美しい思い出はなくなってしまった
    もし戻れるものなら、あの頃にもどりたい

原詩(ポルトガル語)の全文は→こちら
(ポルトガル語から英語への翻訳機能も付いています)

一方、英語ヴァージョンはどうでしょうか?
(因みに有美さんも英語ヴァージョンで歌っています)
まず、タイトルを単純に No more nostalsie とせず、blues を持って来たことも、なかなかです。
(ノスタルジーではシラブルに乗りませんね)

しかし、その内容は「どこにいようともホーム=故郷を思う」歌になっています。
深読みすれば、これは先のサウダージと言う言葉の持つ意味(郷愁)を意識した結果かも知れません。
(ブラジル出身のギタリスト、ローリンド・アルメイダがジルベルトのレコードを聞かせながら一つ一つの歌詞の意味をジョンに説明したそうです。ジョンのジョアンに対する敬愛も勿論伝わってきます)

英語歌詞の全文は→こちら

因みに、「のおもおぶるうす」と「しぇぇがじぃさうだあじ」と両方のタイトル・コール部分を声に出してみれば分かるとおり、(当然ながら共に同じ音節には乗りますが)前者はなんとなく勢いがありますよね。オリジナルである後者のポルトガル語歌詞は日本語で言う濁音(ガ、ジ、ダージ)と拗音(シェ)が重なって、なんとなく、つっかえたような微妙な響きがあります。
その為か、前者は比較的快適なアップ・テンポで跳ばす演奏が多く、後者は前者に比べるとややスローが多い。
実は私も若い頃、ラジオなどで聞き流していて、この二つが同じ曲だと、最初は気付かなかった位です。

歌は一旦作者の手元を離れると独り歩きをするのが宿命ですが、私は寡聞にして、元気のよい(アップテンポの)この曲のカヴァーで、「まいりました!」と言うものには殆ど出会っていません。
先ほどの続きになりますが、個人的には、こと、この曲に関しては、原曲の意味や「サウダージ」のニュアンスを汲み上げてアプローチしたものの方に、良い出来の作品が多いかなあ、と言う印象を持っています。

いずれにせよ、この言葉はボサノヴァだけでなく、ブラジル系の音楽でよく使われる、言わば、キーワードですから、その微妙なニュアンスを是非楽しんでください。(注2)

6.お薦め

そこで、最後はボサノヴァ・サイドのヴァージョンをご紹介しましょう。
因みに、「イパネマの娘」で紹介したジョビンの初ソロ・アルバムにもナラ・レオンのアルバムにも、この曲は収録されています。
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しかし、やはり本命はなんと言っても、ジョアン・ジルベルトでしょう。
ボサノヴァの夜明けを告げた冒頭のアルバムは現在権利関係の問題で正式にCD化されていません。
オリジナルLPは目の玉が飛び出る位の高値で取引されており、入門者向きではありません。
ここでご紹介するのは既にジョアンが70歳に近くなってからの録音ですが、音が良く、入手しやすく、Caetano Veloso カエターノ・ヴェローゾ(1942 - MPBの第一人者 ジョアンは後輩の彼と過去にも共同している)がプロデュースしたアルバムです。
"Joao Voz e Violao「ジョアン 声とギター」"(00年 Universal)
流石に、オリジナルの溌溂さはありませんが、より味わいのある演奏だと思います。

また、この記事で何度も言及した"Desafinado"も収録されています。

もし、あなたがボサノヴァを単に「夏/太陽/青い海/白い砂浜/心地よい波の音」なんてイメージだけで捉えているとしたなら、ここでギター1本で弾き語るジョアンは、そんなボサノヴァを遙かに超越した世界に聴き手を導いてくれるでしょう。 
しかし敢えて言いましょう。
これぞ、ボサノヴァ、これがサウダージ。
お薦めです。

ジャズ・サンバとボサノヴァの違い、それぞれの歴史については、まだ語り足りませんが、今回はこの位にして、有美さんが次回にボサノヴァを採り上げた時のお楽しみに…


注1) カンサォン・ド・アモール・ジマイス
ヴィニシウスはトム・ジョビンとのコンビ解消後、トッキーニョ(1946- 音楽家、ヴィニシウスと11年行動を共にする)と組んで、創作活動を続けますが、この時期の代表作に「トムへの手紙 74年」があります。
その歌詞にはこう歌われています。

  ♫ 君はエリゼッチに教えたね
    大きすぎる愛の歌(カンサォン・ド・アモール・ジマイス)
    思い出すよ
    なんて幸福だったんだ
    なんて切ないんだ

注2) ジャズ・サンバ
言葉の整理
① Stan GetzとCharlie Byrdが最初に吹込んだアルバムのタイトルが"Jazz Samba"(Verve 62年 トムとメンドンサの"Desaifinado""One Note Samba"収録)
② アルバム"GETZ/GILBERTO"にも収録されたトム+ヴィニシウスの名曲"So danco samba(ソ・ダンソ・サンバ 62年)"に付けられた英語タイトルが"Jazz Samba"あるいは"Jazz'n'samba"。 ("I Only Dance Samba"と言う直訳のタイトルが表示されることも)
③ この記事では、ジャズ側からボサノヴァにアプローチした音楽全般を指す言葉として使用。


注3) サウダージから逃れるサウダージ
トムの発言:
おそらく、ヴィニシウスはジョアン・ジルベルトと僕達の生活にボサノヴァの新しさの一つの形式を感じ取って、その曲のタイトルを「サウダージはもう沢山」と決めたんだ。でも、音楽には発生以来ある程度のサウダージ感覚がある訳だから、そのタイトルはおかしかった。(中略)
"Chega de saudade"にはサウダージがある。でもそれはサウダージから逃れると言うサウダージなんだ。

トム特有の言葉の遊びが感じられますが、私はこの言葉を勝手に次のように解釈しています。
「僕達はサンバ・カンサォンの古臭いスタイルと決別し、新しい音楽を作りだしたんだ。だからヴィニシウスは、昔からブラジルで歌われてきたサウダージにさよならすべく、あのタイトルを付けたんだ。でも、ブラジルの音楽ならサウダージは必ずつきものでね。結局、サウダージから離れれば、それ自体がサウダージとなってしまう。僕等はサウダージから逃れられないのさ」



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by Eiji-Yokota | 2009-02-07 19:51 | SONG | Comments(0)
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