Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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時には昔の話を

- 1987年 加藤登紀子 -
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「お登紀(とき)さん」とファンから呼ばれ親しまれている加藤登紀子さんのオリジナル曲。
この曲は所謂ヒット作ではないのですが、以下に見るように、彼女にとって思い入れの深い曲であることは間違いありません。

このブログでは曲の生まれた背景・経緯やカバーをご紹介していますが、彼女はこの曲を度々様々な企画でセルフ・カバー(再演)していますので、今日は、この曲(含む再録音)をキーに彼女の半生と一つの時代を少し覗いてみたいと思います。





加藤登紀子さんについては改めて私ごときが講釈を垂れる必要もないでしょう。
一応、念の為、以下に彼女の公式サイトに掲載されているProfileの冒頭部分を貼り付けておきます。
              ***    ***
1943年ハルビン生まれ。1965年東京大学在学中、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。1966年「赤い風船」でレコード大賞新人賞、1969年「ひとり寝の子守唄」、1971年「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を受賞。以後、60枚以上のアルバムと多くのヒット曲を世に送り出してきた。
              ***    ***

1.この曲に歌われているもの

  ♫ 見えない明日を むやみにさがして
    誰もが希望をたくした
    ゆれていた時代の熱い風に吹かれて
    体中で時を感じた
    そうだね

この曲と彼女の半生については「獄中結婚」で話題となった藤本敏夫(注1)氏とその出会いのきっかけともなった当時の社会情勢・学生運動抜きでは語れません。

あの時代…
ベトナム戦争に反対する動きとも連動し、当時スチューデント・パワーと呼ばれた、学生運動が世界各地で起こり、時代が大きく揺れていました。日本国内では70年の日米安保条約改定(継続)を巡り世論が割れる特殊要因もあり、学生運動自体は分裂しつつ、次第に過激化していました。
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彼女も特定のセクトには属していませんでしたが、デモ等には積極的に参加していました。
藤本氏はブント(共産主義者同盟)系の三派全学連の「反帝全学連」の委員長でした。
ここでは、これらの動きや二人の出会の詳細については割愛しますが、当時の時代背景や経緯について、興味のある方は、彼女が書いた「青い月のバラード―獄中結婚から永訣まで」(03年 小学館)を一読されることをお勧めします。


しかし、一方では時代がいかに移り変わろうとも、いかに豊かになろうとも、多くの人の心の中にある学生時代・青春時代と言う普遍のテーマをもこの曲は謳っています。

   ♫ 道端で眠ったこともあったね
     どこにも行けない みんなで
     お金はなくても なんとか生きてた
     貧しさが明日を運んだ
     ちいさな下宿屋にいく人もおしかけ
     朝まで騒いで眠った

2.おときさんと共に走り続ける歌 「初録音 1987年」

さて、80年代に入ると、彼女は歌手としてもプライベート面でも曲り角に立たされます。
騎馬民族(大地を放浪する者)を自任するお登紀さんと農耕民族(大地に根ざす者)に目覚めた夫との対立、互いに自らを実現しようとする二人の溝は広がっていきます。
そうした中、エポックメイキングとなる年が、87年でした。
この年、離婚の危機を乗り越えた二人は、獄中結婚の為、式も挙げていなかったことから、藤本氏の主宰する鴨川自然王国で結婚15周年記念パーティを開きました。
そして、同じ年にリリースされたのが、この曲。
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87年2月1日 アルバム「MY STORY」 (ポリドール)リリース。
 この曲の初収録盤で、アルバムのサブ・タイトルにもなっています。
 この曲の編曲は山本健司さん。
 タイトルから窺えるような特定のテーマはなく、「百万本のバラ」等様々な歌が収録されています。
 (現在は廃盤)
87年4月25日 上記アルバムからシングル・カット盤リリース。
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A面に「百万本のバラ」、B面がこの曲
(実は、「百万本のバラ」は一足先の前年6月25日に「海辺の旅」のB面としてリリースされていました)
彼女にとって重要な意味を持つ2曲がカップリングされていたことになります。凄いですね。

彼女は先の著書に、こう記しています。
            ***     ***
87年は、私にとって大きな節目の年だった。四月には末っ子の美穂が小学校に入学し、十三年間続いた保育園への送り迎えがついに終了する。(中略)
だから、美穂が保育園を卒園したときのうれしさといったら!
「加藤登紀子は歌手である」と胸をはって言おうと決めたのだ。(中略)
子育ての中のあわただしさと、ヒットの出ない低空飛行。このまま過去の人になってしまうのかという焦燥感がなかったとは言えない。
それらを全部払拭したのが、この年。私は四十三歳。
結婚と唄と子育てとに引き裂かれることもなく、すべてが「加藤登紀子」という太い川となって流れ始めるのを感じていた。
            ***     ***

単なるノスタルジーから書かれたものではなく、「あの時代を風化させてはいけない。そして今なら、客観視して曲として仕上げられる」そういう思いで彼女はこの曲を作ったのではないでしょうか。

さて、上記の言葉のとおり、彼女は心機一転、レコード会社も移籍し、加藤登紀子と言う太い川として、自分のペースで且つ止まることなく、活動の枠を広げていきます。
また、「円熟」なんて耳当たり良い言葉では描写しきれない、独特の説得力、迫力、容易にものに動じない何かが彼女の歌声に出てきます。


3.おときさんと共に走り続ける歌 「紅の豚 1992年」

そうした彼女の活動の広がりの一つが、92年7月に公開された宮崎駿監督のアニメ映画「紅の豚」での、声優として主要登場人物のマダム・ジーナ(冒頭画像の右上の女性)役への挑戦です。
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この映画は、ご存知の通り、第一次大戦後のイタリアを舞台に「飛べねぇ豚はただの豚だ」とうそぶく一人の賞金稼ぎのパイロットの生き方、ダンディズムを描いたものです。
DVDはこちら→「紅の豚」(02年 ブエナ・ビスタ)

宮崎監督は、更にこの映画の主題歌とエンディング・テーマを彼女に託します。
主題歌はシャンソンの「さくらんぼの実る頃」(フランス語ヴァージョン)、エンディング・テーマがこの曲でした。
映画全体の音楽は宮崎監督とのコンビで名作を送り出し続けている久石譲さんでした。
冒頭の画像はこの映画のサントラ盤「紅の豚」(92年 徳間)です。
アルバムの中身はは久石さんの曲・演奏が大半を占めていますが、彼女による作品・歌唱、つまり上記2曲もラストに収録されています。
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更に、これらに因んだ宮崎監督のイラストと彼女の歌詞を収めた小冊子も出版されました。
時には昔の話を」(92年 徳間書店)
大人の絵本と言った感じです。



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1992年7月1日 シングル盤「さくらんぼの実る頃」(ソニー)リリース。
 映画のシングル・サントラ盤。タイトル曲の日本語盤、カラオケバージョンと併せて、この曲が収録されました。 編曲は菅野ようこさん
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92年9月1日 アルバム「さくらんぼの実る頃」(ソニー)リリース。
上記曲を中心に新旧の曲をリアレンジして収録。
正直申し上げれば、個人的には私は、先に紹介したこの曲の初録音ヴァージョンのアレンジは好きではありません。
時代の音と言えば、それまでですが、良く言えば「お洒落なサウンド」、悪く言えば「装飾過剰で、この歌本来の強さ、切なさ、美しさが埋没したアレンジ」。それに比べ、このアレンジはピアノのバッキングに必要最低限のストリングスのみ(ラスト近くで花咲かせます)を添えたシンプルなものです。結果として曲本来の良さをストレートに伝えてくれます。ここで、この曲は再び蘇り、新たな聴衆を獲得していくのです。
全体的にこのアルバムは曲、歌唱、アレンジが充実して、素晴らしい出来となっています。

ところが、信念で自分の道を突き進む彼女に突如アクシデントが襲います。
95年6月21日 羽田発函館ANA857便に搭乗、ハイジャックに遭遇。
北海道ツアーの為に同乗したバンド・メンバーそして実母と共に約16時間余り拘束されたのです。
犯人は拘束され、彼女達は無事でした。事件は同世代の銀行員による単独犯行で特に主義主張があるものではありませんでした。また、偶然ですが、犯人は彼女のファンと報じられました。
解放後、記者団に囲まれた彼女のご母堂は「こんなのは怖いうちに入りません」と平然と言ってのけ、周囲を驚かせます。
まさに、この母にしてこの娘ありと言うべきでしょうか…


4.おときさんと共に走り続ける歌 「さよなら20世紀たち 1999年」

やがて、世紀末が近づくと、彼女は「さよなら私の愛した20世紀たちシリーズ」と銘うって、97年から年に2~3枚のペースで全10枚のアルバムをリリースします。
それは、20世紀と向き合ってきた彼女がそれまでの荷物を整理し、21世紀に持って行くための大引越と位置づけられたものでした。
彼女が採り上げたものは、シャンソン、ロシア民謡、ラテン、アジア、移民国家=米国の曲、自作曲。20世紀の歴史的・社会的事件に因んだ歌。そして最後は人類発祥の地、アフリカで録音した未来に向けた歌。
まさに「地球をだきしめて」の思いのプロジェクトでした。
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"トキコ・ラムール 1 愛の讃歌"(ポリドール)はその中の一枚。99年4月21日リリース。
「オーケストラをバックに歌いたい…」
99年2月25日、新宿文化センターで彼女は新日本フィルをバックにライヴ録音を敢行し、希望を適えます。
曲はオリジナルとタイトル曲やお馴染みの「バラ色の人生」他シャンソンの名曲。オリジナルもシャンソンぽいのが主体です。当然、この曲も。
この曲の編曲はやはり菅野ようこさん。
それにしても、ライヴ一発録りで企画アルバムを作るなんて、確かな実力がないと到底出来ない芸当です。それもさることながら、そもそもこう言うことを企画する、その豪胆さに驚かされます。

そして一旦走り出した彼女を誰も止めることは出来ません。
21世紀に入っても彼女のあくなき挑戦は続きます。
しかし…

2002年7月31日 藤本敏夫氏、永眠。

彼女は葬儀の準備の為に家へと急ぐ、揺れる車の中で、スタッフに求められ、マスコミ向けのコメントを書きあげます。
「あまりに急な病状の変化だったので、茫然としています。肺炎を宣告されてから十九時間の激しい最期でした。お互い、心の用意もできていなかったので、とても残念です。でも、二人の人生は今からまた別な形で始まるのだと思っています。彼が必死の想いで残した未来への夢を受け継ぎ、やり遂げたいと思っています」

その言葉どおり、彼女は夫の鴨川自然王国も受け継ぎ、歌手としての活動も更に活発化させます。

5.おときさんと共に走り続ける歌 「シャントゥーズ 2005年」

05年5月10日「シャントゥーズ TOKIKO~ 仏蘭西情話」(ユニバーサル UICZ-4154)リリース。
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「枯葉」「ばら色の人生」そして勿論、あの「さくらんぼの実る頃」等シャンソンの名曲(厳密には「百万本のバラ」はロシアの歌ですが)を採り揃え、今回は島健さんをプロデューサー、アレンジャーに迎え、歌いなれたこれらの曲に新たなた息吹を吹き込んだアルバムです。ピアノやストリングス主体のアレンジはたいへん親しみやすく、色鮮やかで、これから加藤登紀子のアルバムを聴こうと思っている人には、お薦めの1枚。また、一部原詩で歌う部分もありますが、基本的には全て彼女が訳し直した日本語歌詞で歌っています。
このアルバムの冒頭に彼女は敢えてオリジナルのこの曲を持ってきたのです。(他に新曲として「恋の花ひらく時」収録)

一部のコアなファンの中には、「もっと渋みがあってゴツゴツとしていて、雄々しくすらある」のが、「加藤登紀子のシャンソン」だとして、このアルバムを敬遠する向きもあるようですが、私は個人的にはこのアレンジはとても聴きやすくて好きです。
彼女自身も、このコラボレーションは気に入ったようで、続編も作られ、更に流行歌のカヴァー集("Songs" 08年)も島さんと作っています。

さて、以上見てきたものは多岐にわたる彼女の活動のほんの一部に過ぎません。
詳細は彼女の公式サイトで→TOKIKO WORLD
そして、2009年。
今日もおときさんは走り続けています。

   ♫ あの日のすべてが空しいものだと
     それは誰にも言えない
     今でも同じように見果てぬ夢を描いて
     走りつづけているよね
     どこかで


歌詞の全文は彼女のHPで→TOKIKOのABC 開いた頁の「Screen」 をクリックください。 (注2)


注1) 藤本敏夫氏の略歴
1944年1月23日 兵庫県甲子園に生まれる。
1963年 新聞記者を志して、同志社大学で新聞学を専攻。
1964年 大学2年のとき、学生運動に参加。
1965年 京都府学連書記長に選ばれる。
1967年 羽田闘争を機に上京、明治大学を拠点に活動。
1968年7月 三派全学連委員長となる。
1968年10月21日 国際反戦デー防衛庁抗議行動などにより、
逮捕。69年6月まで拘留。
1969年7月 内ゲバ激化に反論、学生運動から離脱。
1970年 日本キューバ文化交流研究所事務局長に就任。
1972年4月21日 学生運動関連で実刑判決を受け下獄。
1972年5月6日 獄中で、歌手・加藤登紀子と結婚。
1972年12月7日 長女 美亜子 誕生。
1974年9月 栃木県黒羽刑務所から出所。
1975年12月14日 次女 八恵 誕生。
1976年3月 「大地を守る会」会長に就任。
1977年11月 有機農産物および無添加食品などの流通法人「株式会社大地」を設立。
代表取締役に就任。
1980年4月12日 三女 美穂 誕生。
1981年 千葉県鴨川市嶺岡山中に移住。
農事組合法人 自然生態農場「鴨川自然王国」設立。
1981年~82年 水と土の会 全国トークライブを開催
(加藤登紀子と共に)
1985年 「株式会社ネフコ」を設立。代表取締役に就任。
地球納豆倶楽部を企画。
1987年5月 鴨川自然王国にて結婚十五周年パーティーを開催。
1992年 政党「希望」を設立。
参議院議員選挙比例代表に立候補。落選。
1995年 農産物需給研究会(GLS)を設立。
農産物流通業者と共に有機農産物の流通拡大を志向。
1997年~2000年 「土に生きる」トーク&ライブを全国12カ所で開催
(加藤登紀子・Yaeと共に)。
2000年3月 全国の青年農業者・流通団体などの協力のもと、
参加者千人を超える持続農業推進全国集会を開催
2001年6月 持続循環型社会の推進母体 IRM研究会を設立。
代表に就任。
2002年 農業の復活と都市生活の活性化を図るため、農林水産大臣に建白書を提出。
2002年7月31日 死去(享年五十八歳)

鴨川自然王国HPより)


注2) リンク先について
このリンク先はアルファベット順のキーワードで彼女の半生を綴っている頁。具体的にはScreenの頁で、彼女は「時代遅れの居酒屋」がフィーチャーされた、高倉健さんとの共演作「居酒屋兆治」の話、山城新伍さんとの「ハチ公物語」や「紅の豚」のエピソード等が記しています。そして、そこに、なんの説明もなく、ぽつんと、他のどの曲でもない、この歌の歌詞だけが掲載されています。


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by Eiji-Yokota | 2009-02-07 20:30 | SONG
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