Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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The Girl From Ipanema / Garota de Ipanema          「イパネマの娘」 Part 1

- 1962年 Vinicius de Moraes + Antonio Carlos Jobin    /Norman Gimbel -
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ボサノヴァの名曲。 (上の画像は67年公開の同名映画のサントラ盤のジャケット)

1.誕生   The song was born
ブラジル、リオ・デジャネイロ。
その南部に位置するイパネマ。
そのほぼ中央部にその店はありました。
リオで一番うまいショッピ(生ビール)を飲ませるバール(軽食店)"Veloso(ヴェローゾ)"。
その日も昼間から常連の二人の男が仲間達と共に生ビールをあおっていました。
一人はヴィニシアス・ヂ・モライス、詩人にしてブラジル政府の外交官。(1913 - 1980 WHO'S WHO 参照 )
もう一人はトム・ジョビンことアントニオ・カルロス・ジョビン。(1927- 1994 作曲家、ピアニスト WHO'S WHO 参照)
モライスが詞を書き、ジョビンがメロディを生み出し、二人のコンビは50年後半からリオで興ったボサノヴァ・ムーヴメントを牽引してきました。

悪戯好きの「創造の神様」はこの時、一人のミューズを二人の前に遣わします。




♫♫
ご覧、あの愛くるしさ、あの美しさ
通り過ぎる少女
海辺の道
優雅な足取り
イパネマの太陽に焼かれた
黄金の肢体を持つ少女

この世で最も美しい天の贈り物
♫♫

この「通り過ぎた少女(Menina que passa)」(これがこの曲の当初のタイトルでした) が二人の、いや、そこにいた男達全員の関心を惹きます。
少女の名前はエロイーザ。
身長173cm、緑色の瞳で真っ直ぐな黒髪の15歳。(注3)
ヴェローゾの近所に住む彼女は母親の煙草を買いに、よくこのバールを訪れていたのです。
勿論、同じ街に住んでいるのですから、ヴェローザや海辺の道だけでなく、この評判の美少女が学校や歯医者へ行く姿は何度も見かけられていたことでしょう。

おそらく二人は彼女とそれを囃し立てる男達を見て、互いに頷き合ったことでしょう。
そしていつもの共同作業を開始したのです。

♫♫
この世の美は僕だけのものではなく
ただ通り過ぎて行くだけ

彼女は知らないのだろうか
自分が歩く時に魅力に満ち溢れた周りの世界が
愛ゆえに一層輝きを増すことを
♫♫

この曲の原詞(ポルトガル語)全文はこちら

この作業が、伝説の通り、このバールで行われたか、それとも実際はそれぞれの自宅で行われたかは、この際、たいした問題ではありません。
創造の神様が与えた機会を捉え、二人は見事な作品を生み出したのです。

62年8月2日 リオのコパカヴァーナ。一つのナイトクラブが新装開店します。
店の名は「オー・ボン・グルメ」
開店記念として「オ・エンコントロ」(「出会い」の意)と題されたショウが開催されていました。
そのステージには伝説の三人。
アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシアス・ヂ・モライスそしてジョアン・ジルベルト (1931 - 歌手 WHO'S WHO 参照)。
男性コーラス・グループ「オス・カリオカス」がバッキングし、ショウでは新作を含めジョビンの作品を中心にボサの名曲が次々に演じられていました。
ショウも佳境になったところで、次の曲の為に、トムがピアノで軽く指ならしをします。
すると、ジルベルトが次のように歌い始めました。

ジルベルト ♫ さあトム、1曲歌っておくれよ
          恋って何なのかを僕等に教えてくれるような曲を
ジョビン   ♫ ジョアンジーニョ、僕にはとても出来ないよ
          ヴィニシウスが詞を作ってくれなければ
モライス   ♫ その曲を誕生させる為にジョアンの歌が遣わせられたのだ
ジルベルト ♫ ああ、でも僕が一体何者だと言うんだ
          僕は君達のお陰でここにいる。だから3人で歌った方がいい

そして実際に三人が揃って歌いだしたのです。

       ♫ ご覧、あの愛くるしさ、あの美しさ
          通り過ぎる少女 …

それは、この歌が初めて人前で歌われた歴史的な瞬間でした。
神様から選ばれた幸運な観客達は初めて聴く、その歌に熱狂的に歓喜しました。
ショウは大好評で予定を超えて45日間続きました。
因みに、この3人が一緒にステージに立つのはこれが最初で最後のことでした。
また、この曲がジョビンとモライスの最後の共作となります。

やがて訪れるブラジルの軍政時代、国内でのボサ・ブームの失速。
それらを前に、この出来事はブラジルにおけるボサノヴァ・ムーヴメントの絶頂期を告げる祝福された奇跡の一瞬だったと言っても良いかも知れません。

なお、この曲の最初のレコーディングはPery Ribeiro ペリー・ヒベイロ(Odeon 61.036.030)が行ったと言われていますが、より洗練されたボサ・ノヴァやジャズ・サンバに馴れた今日の耳で聞くと2拍子で朗々と歌う曲調に、「えっ、これがあの歌!ボサノヴァ?」と感じてしまいます。
コンピレーション盤"Fresca"(東芝EMI 02年)等に収録。

2.征服  Conquest
フランク・シナトラを嚆矢とする米国音楽を好んで聴いたブラジルの若者達によって作られたボサノヴァはやがて米国に逆上陸し、これを席捲することとなります。(注5)
ハービー・マン、クインシー・ジョーンズ等がいち早くこれらを採り入れますが、ここではブラジル帰りのチャーリー・バードからボサノヴァのレコードを聞かされて、飛びついたStan Getzの動向に焦点を中てて、以下に見ていきます。

62年2月、スタン・ゲッツはチャーリー・バードと組んでVerveレコードのプロデューサー、クリード・テイラーを説得し、ジョビンの代表作"Desaifnado""One Note Samba"を含む"Jazz Samba"を録音。2か月後にリリースされたこのアルバムはビルボード・ポップ・アルバム・チャートでトップに立ち、チャートに70週留まる大ヒットを記録。それは米国におけるボサノヴァ・ブームの始まりを告げるものでした。
味をしめたゲッツは次にゲイリー・マクファーランドに編曲を委託して8月下旬には"Big Band Bossa Nova!"を録音(62年10月リリース)し、やはりヒットさせます。
62年11月21日、NYのカーネギー・ホールで「ボサ・ノヴァ・ナイト」開催。
ブラジル外務省(イタマラチー)もこれに協力していました。
ステージには、トム・ジョビン、ルイス・ボンファ、セルジオ・メンデス、ジョアン・ジルベルト等ボサの主要人物が顔を揃えました。マイルス・ディヴィス、ペギー・リー、ディジー・ガレスピー等の特別席のセレブを含む3千人の聴衆は惜しみない拍手をステージを送りました。(殆どの観客がブラジル人だったと言う説もありますが、真相は不明です。しかし、たとえそうだったしても、その後に起こったことを考えれば、このコンサートの意義・重要性はいささかも損なわれることはありません)
一部のアーティスト達は米国でのライヴやレコーディング契約を結ぶことが出来ました。そして、ジョビンとジルベルトは米国に残留することを決めます。

一方、ゲッツは先のアルバムの"Desaifinado"の演奏で63年のBest Jazz Performance(Solo/Small group)を受賞。すっかり気分を良くして、今度はルイス・ボンファと組んで"Jazz Samba Encole!"(Verve 63年)で柳の下のドジョウを掬い、(米国における)ボサノヴァの第一人者の地位を固めます。

このブログで採り上げた"Fly Me To The Moon"の63年のジョー・ハネルによるボサノヴァ・ヴァージョンのヒットには、こうした背景があったのです。

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勢いに乗ったゲッツとクリードは、いよいよ大本命のジョアンとトムに声をかけます。
63年3月18/19日、NYで行われたレコーディングには今から見ると実に錚々たるメンバーが揃っていました。プロデューサーはクリード・テイラー、レコーディング・エンジニアはフィル・ラモーン。プレイヤーはゲッツ(ts)、ジョアン・ジルベルト(vo,g)、トム・ジョビン(p)、ミルトン・バナナ(perc)そしてこれが初レコーディングとなるジョアンの妻アストラッド・ジルベルト(vo)(注6)

このレコーディングには様々な、それもあまり好ましくないエピソード(注7)が伝わっています。また、一部のコアなボサノヴァ・ファンからは「ゲッツのサックスがバカでか過ぎる」「ボサじゃない」等の批判もありますが、このアルバム"Getz/Gilberto"(Verve)のリリースが(世界の)ボサの歴史における最重要事件であること、換言すれば、20世紀の音楽を語る上でも特筆すべき出来事だったことは動かし難い事実です。
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クリードは続いてジョビンによる自作集を企画。63年5月に録音して先にリリースしました。
"The Composer Of Disafinado, Plays"「イパネマの娘」(Verve)。
この曲はその冒頭に収められています。ジョビンは歌うことなく、全編控えめなピアノとヴィオラォンの演奏に徹しています。その空間を埋めるのが、クリードの指名した編曲者クラウス・オガーマンによる優雅で品の良いストリングスでした。当初、ジョビンは、アレンジャーには憧れのシナトラのパートナーであるネルソン・リドルを希望しますが、クリードに拒絶されます。しかし、実際に話してみると、クラウスの音楽性が自分やボサに合っていることにジョビンは気付きます。ジョビンはその後もクラウスと何度か共同作業を行うこととなります。

さて、一方で、クリード・テイラーは何故かこの歴史的アルバムのリリースを丁度1年間保留します。
やがて、この曲のシングル・リリースを決め、ある決断を下します。
この曲のアルバム・ヴァージョンは5分を超えるものでした。ジョアンのイントロから始まり、彼のポルトガル語歌詞(モライスの原詞)を経て、アストラッドの(ギンベルによる)英語歌詞そしてスタンのサックス、トムのピアノと続き、最後にアストラッドがゲッツのサックスをバックに締めるのですが、クリードはジョアンの歌の部分をカットし、タイトルも現在の英語表記に変えました。
(カップリング曲にはやはりアストラッドが英語で歌うCorcovadoが選ばれ、こちらはゲッツのソロとジョアンの中間のヴァーカルがばっさりカットされています。ジョアンのラスト近くの歌唱は残りました)
こうして出来た3分弱のシングル・ヴァージョンはクリードの狙いどおり全米5位(64年7月18日)、96週チャート・インの大ヒット。英国始め各国でもヒット。
シングルの成功によりアルバムもヒットし、世界中がボサノヴァの魅力を知ったのです。
かくて65年のグラミー賞はこのアルバムの一人勝ちとなりました。
この曲はBest Record of the Yearに輝き、アルバムはBest Album of the Yearの他、Best Jazz Instrumental Album(Individual/Group)、Best Engineered Album(Non Classical)を受賞したのです。
なお、現在、販売されている"Getz/Gilberto"には上記2曲のシングルヴァージョンも追加収録されています。

この曲の英語歌詞全文はこちら

さて、ボサ・ブームも一段落した66年、ブラジルに帰国し、いつもの通り「ヴェローゾ」で仲間達とショッピのグラスを傾けていたジョビンの元に1本の電話が架かります。
「フランク・シナトラだ。君とアルバムを作りたいのだが、どうだろう」
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ジョビンはどれだけ感激したでしょう。
でも、この話どこかで聞いたような気がしませんか?そうです。このブログでの"Fly Me To The Moon"の記事(「注5」に詳しい)でクインシーがアレンジを引受ける経緯とそっくり。どうも、シナトラはこのパターンが好きなようですね。
67年1月からハリウッドで録音が行われました。シナトラは編曲者としてクラウス・オガーマンを指名。クラウスがジョビンのアルバムで起用されていたことは申し上げるまでもないでしょう。
この事実一つをとっても、シナトラが十分にボサとジョビンを研究していたことが頷けます。
レコーディング中、ジョビンは大胆にもザ・ヴォイス(シナトラの数多いニックネームの一つ)に向かって、小声で歌うように指示しました。
「最後にこんな小さな声で歌ったのは、扁桃腺が腫れた時だったな」と1曲歌い終わってザ・ヴォイスは笑ったそうです。
"Francis Albert Sinatra & Antonio Carlos Jobim" (Reprise 67年)
この曲では、シナトラが自分のパートを歌い終わった瞬間、ジョビンが堰を切ったかのように歌い出します。その勢いはシナトラをも圧倒するかのようです。
シナトラに憧れてキャリアをスタートさせ、自分の作った歌を歌ってもらいたいと永年願っていた彼とボサノヴァの夢がここに実現したのです。
彼等は確かに世界を征服したのです。

この続きは → The Girl From Ipanema Part 2


注1) Marcus Vinicius da Cruz de Melo Moraes
(WHO'S WHO 参照 )

注2) Antonio Carlos Brasilero de Almeida Jobim
(WHO'S WHO 参照)

注3) エロイーザ
Heloisa Eneida Menezes Paes Pinto エロイーザ・エネイダ・メネーゼス・パエズ・ピント。現在はHelo Pinheiro エロイーザ・ピニエィロ。
1945年生まれと言われていますが、そうすると本文のジョビン、モライスとの出会いの歳=15歳説とは勘定が合わなくなります。(因みに19歳説もあります)
65年、この曲のモデルが彼女だと知ったマスコミが殺到しましたが、厳格な軍人だった父親と当時の婚約者は一切取材に応じませんでした。
しかし、87年5月号のブラジル版"Playboy"に彼女はプレイメイトとして「全て」を晒したのです!
それだけに終わらず、なんと更に2003年には娘と一緒に登場!!

彼女の公式HP(Garota de Ipanema)をどうぞ。
勿論、表示の大半はポルトガル語ですが、現在及び当時の彼女の写真(ヴィキニ姿を含め)が見れます。また、この曲の各アーティストのヴァージョンを無料で聴けるサイトともリンクしています。

注4) Joao Gilberto Prado Pereira de Oliveira
1931年6月10日ー ブラジル、バイーア州ジュアゼイロ出生  歌手、ギタリスト
(WHO'S WHO 参照)

注5) ボサノヴァ米国上陸  
エルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーの影響を受けた英国の若者達、つまりビートルズやストーンズによるロックの本場への逆襲とも言うべき所謂"British Invasion"に先駆け、ボサノヴァが米国を侵攻します。
つまり、この時の米国は音楽的にはティーンを中心に英国に、そして、それより少し上の世代はブラジルに膝まづいたのでした。

その要因は大きく二つだと私は理解しています。
一つは、59年のフランス・ブラジル・イタリア合作映画「黒いオルフェ」のヒットです。
そして、この映画の原作こそがヴィニシウス・ヂ・モライスの「オルフェウ・ダ・コンせイサォン」でした。
もう一つはこの時期、多くの米国人アーティストが行ったブラジル訪問(公演)です。
彼等はブラジルにジャズを布教に行った筈なのですが、逆にボサノヴァの洗礼を受け、帰国後はちゃっかり、レパートリーにし、逆にボサの伝導師になるものまで出てきました。

注6) Astrud Gilberto 本名:Astrud Weinert(アストルーヂ・ワイネルト)
1940年3月29日- ブラジル、バイーア州出身 
父はドイツ人、母はブラジル人
ナラ・レオンの友人であり、ボサノヴァ史上有名な彼女のアパートでジョアン・ジルベルトと出会う。
アスラッドに夢中になったジョアンが求婚。
1960年 ジョアン・ジルベルトと結婚(64年頃離婚)。
63年からジョアンに従い米国移住。
本文にある"Getz/Gilberto"で歌手デビュー。
ゲイリー・バートンを含むゲッツの新しいグループのゲスト・アーティストとしてツアーに同行、ライヴ・アルバム"Getz Au Go Go"(Verve 64年)でもフィーチャーされた。
既にジョアンとの結婚生活は破綻していました。
(63年8月 パリでジョアンはミウシャと出会っていた)
彼女はクリード・テイラーの後押しもあり、独立を決意。ソロ・アルバムも順調に売れ、ボサからスタンダード、バカラックまで彼女流に歌い、成功を収めます。
決してうまい歌手ではありませんが、逆に素人さと殆どビブラートを利かさない唱法がクールな印象を与え、ボサの持つテイストとよくマッチし、母国では殆ど無名のまま乍ら、日欧米では『ボサノヴァの女王』と呼ばれる程の人気を博しました。結果として、ブラジルのボサノヴァと米国のジャズ/ポピュラーの懸け橋的役割を果たしました。

注7) GETZ/GILBERTO Session
このアルバムのレコーディング、リハーサル、リリースを通して、色々なエピソードが囁かれています。

ボサノヴァの持つ繊細さを理解出来ないゲッツにジョアンは腹を立て、凡そ、こんな会話があったと言われています。
ジョアン:おい、トム。このグリンゴ(南米人による北米人に対する蔑称)に
      お前は馬鹿だと言ってくれ。
ジョビン:(困って)スタン、彼は貴方とレコーディングするのが夢だったと言っています。
ゲッツ:面白いね。声の調子じゃ、どうも彼はそうは言ってないみたいだが…

また、ジョアン・ジルベルトは故意にレコーディングに遅れてきたと言う話もあります。

アストラッドの参加についても、かつてはアストラッドの歌をたまたま耳にしたクリードによる提案説が唱えられていました。この他トム推薦説も。いずれにしても、ジョアンは我関せずだったと言われていました。そして現在はルイ・カストロの労作「ボサノヴァの歴史」の記述により、アストラッドが自分からクリードに売り込んだと言う説が有力になっています。
また、ゲッツが「アストラッドには印税を払うな」とクリードに電話を架けてきたと言う噂も広く流布されており、これなど彼の一連の行状・性格を知るジャズ・ファンが「いかにもありそうだな」と思い込みがちな話です。

しかし、当のアストラッド自身は公式サイトで、これらについて否定し、次の様に説明しています。
###
その日、「サプライズがあるよ」と言って、アストラッドをリハーサルに連れて行ったジョアンは、その場で彼女にこの曲の英語歌詞を歌うよう求めました。
セッションが終わった後、ジョアンはスタンに告げます。
「明日(本番)も彼女に歌わせる。君はどう思う?」
スタンは賛成し、プレイバックを聴きながら、アストラッドにこう言ったそうです。
「この曲は君を有名にするよ」
###

それにしても、アストラッドを起用して、彼女があたかも『イパネマの娘』のモデルであるかのように連想させることを含め、これらの各種の「伝説」にはレコード会社の「やらせ」「仕掛け」を感じさせるものもないではありません。

このセッションのベーシストはアルバムではTommy Williamsとクレジットされていますが、ルイ・カストロ「ボサノヴァの歴史」ではレコーディング時の写真を掲載し、Sebastio Neto チアォン・ネットと注記しています。(たしかに髭面のチアォンが他の4人と写っています。因みに、トミーの顔を私は知りません。そもそも実在の人物か否かも…)


Part 2


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by Eiji-Yokota | 2008-06-17 20:01 | SONG | Comments(0)
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