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Naomi's Choice 小柳有美の歌った歌
by Eiji-Yokota
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ソンドハイム祭り pt1 「太平洋序曲」

ソンドハイム祭り pt1 「太平洋序曲」_c0163399_2125811.jpg

見てきました"Pacific Overtures"「太平洋序曲」
6月18日(土) 、公演2日目のマチネ
劇場は神奈川芸術劇場
ペリー来航で右往左往する当時の日本を描いた作品を上演するには格好の場所ではあります。まさに、"Welcome to Kanagawa"
同劇場は略称KAAT、 横浜市中区山下町に今年1月オープン。芸術監督は宮本亜門。
(以下、敬称略で記述。関係者の皆さん、ごめんなさい)
冒頭画像はそのポスターから。

スティーヴン・ソンドハイム Steven Sondheim (ファースト・ネームは「ステファン」、ファミリー・ネームは「ソンダイム」と表記されることもあります) (1930 - )は、私が最も気になっているミュージカル作者の一人です。
折りしも、東京では彼の代表作である"Sweeney Todd"「スウィーニー・トッド」が始まりました。
まるで、ちょっとした「ソンドハイム祭り」状態です。両作とも演出は宮本亜門。
氏はソンドハイムの全作上演を目指しているそうです…
実は「スウィーニー・トッド」も、同劇場で見る予定(7月9日)ですので、この機会をとらまえて、本ブログで今月と来月の2回に分けて、ソンドハイムのミュージカルについて書いてみたいと思います。




【 極私的ソンドハイム体験と評価 】
ソンドハイムの名を最初に意識したのは、"Send in the Clown"を聞いた時でした。
1975年、邦題は「悲しみのクラウン」。
ジュディ・コリンズ Judy Collins の歌唱盤が日本でもリリースされました。
大ヒットと言う程ではありませんでしたが、妙に心に残る曲でした。
よく伸びる彼女の声、そして、もの悲し気なメロディ。
その歌詞は簡単な単語ばかりで構成されているにも拘わらず、当時の私の英語力と知識では、タイトルを含め、全く何を歌っているのか理解することが出来ませんでした。
それだけに、より興味を惹かれたことを覚えています。
この曲を作詞作曲したのがソンドハイムでした。
やがて、多くのアーティストがこの曲をカヴァーしていること、ミュージカル"A Little Night Music"の挿入歌であることを知りました。
と、同時にソンドハイムがあの"West Side Story"の作詞者と同一人物であることに、遅まきながら気付いたのです。
この曲については書きたいことが沢山あります。幸い、有美さんのレパートリーでもありますので、彼女がライヴで採り上げた際、改めて記述したいと思います。

ところで、日本におけるソンドハイムの評価はどうでしょうか?

興行成績、数々のトニー賞受賞歴…今や欧米では「ミュージカル界の巨匠」の名を欲しいままにしているソンドハイムですが、日本での人気は必ずしも高くありません。
おそらく、アンドリュー・ロイド=ウェバー、ロジャース+ハマースタイン2世、あるいはガーシュウィン兄弟等と比べて、その知名度において、かなり劣っているのではないでしょうか。
その理由の一つとして、よく指摘される点は、彼の作品は難解で複雑、とっつきにくく、歌いにくいと言うことです。
この指摘は、なにも日本に限ったことではありません。
ヒット曲も、先の"Send in the Clown"1曲のみと言っても過言ではありません。
("West Side Story"の諸作は作詞のみですので一応別扱い…)
彼は、もともとキャッチーなメロディを作ることなど眼中にはないようです。
ミュージカルにしばしばみられる、会話の途中から突然今までの雰囲気とガラリ違うような歌を歌い出す不自然さ、違和感、彼はこう言う事態を極力避けようとしている様に私には思えます。
まるで話しかけるような、単に歌うのではなく、科白の延長としての歌。
科白の語感、リズムを大切にして、場の雰囲気に合わせてメロディやコードをつけていくスタイルの作家だと私は思っています。
敢えて言えば、玄人好み、通好みの作品とでも言いましょうか。
日本と米国におけるミュージカル人口の絶対的な差、層の厚さの差が、ソンドハイム人気の彼我における差の一因かも知れません。

【 「太平洋序曲」(オリジナル版)あらすじ 】
ソンドハイム祭り pt1 「太平洋序曲」_c0163399_2341870.jpg

(上記画像はペリーの横浜上陸の絵。劇では浦賀に上陸しますが、実際には親書渡しは久里浜、そして翌年の和親条約締結時は横浜に上陸。中央でこちら側を向いているのがペリー一行。右の木が本文にある「玉楠(たまくす)の木」の原木と見られています。横浜開港資料館所収)
ここでは神奈川に因んだ部分と楽曲に焦点を中てて、粗筋を紹介します。
(これから本作を初めて観劇予定の方は、この部分はスキップすることをお勧めします)

冒頭
「"Nippon"浮島の王国-平和な島だった。1853年までは」と「語り手」が口火を切ります。
当時の日本は農作を中心とした素朴な経済活動を行なっていました。
"The Advantages of Floating in the Middle of the Sea" (太平洋の浮島)
この年、死罪覚悟で国禁を犯して米国から帰国したジョン万次郎の報告に阿部正弘他の老中達は狼狽します。「米国の艦隊が開国を求めて日本に迫っている」
幕府は浦賀奉行所の与力、香山弥左衛門を目付に昇格させ、交渉を押付けます。
絶望的且つ困難な使命を受け、香山は死に地へ向かう覚悟で服を着替え、妻の「たまて」がそれを手伝います。たまても懐剣を忍ばせ覚悟を決めます。
二人のバックで歌われる男声二部合唱"There Is No Other Way"(帰りを待つ鳥)
香山は万次郎の協力を得て、米国と交渉を続けます。
"Four Black Dragons"(黒い竜が四匹)-大慌ててで逃げ惑う庶民達
米国側は、大砲で威嚇し、大統領の親書を受取るセレモニーを1週間以内に開催するよう要求。
幕府では将軍の取り巻きが刻々迫る期日を前にあれこれ状況を分析し対策を練りますが、これと言ったものは出てきません。将軍の母は将軍に「菊の花茶」を勧めます。
"Chrysanthemum Tea"(菊の花茶)-飲んだ将軍は絶命。
その頃、香山と万次郎は二人で連歌をしながら香山の家へと向かいます。
二人が掛け合う"Poem"(俳句)
しかし、そこで待っていたのは絶命したたまての亡骸でした。
一方で地元の女郎達はたくましく商機を逃すまいと張り切ります。
彼女達が歌う"Welcome to Kanagawa"(ウェルカム・トゥ 神奈川)
香山は浦賀に仮の施設を作り、形だけの儀式を行い、事後施設を焼却してしまえば、外国人は来なかったことになると奇策を提案。老中阿部はその案に飛びつきます。
「この会見の記録は残念がら残っておらず、お話しできない」と言う「語り」を制して、「自分は木の上から会見を見ていた」と証人が現れます。
ソンドハイム祭り pt1 「太平洋序曲」_c0163399_23262972.jpg
右画像は、和親条約締結場所跡に建設された横浜開港資料館中庭にある「たまくすの木」。
この木は、ペリー来航時代から横浜にあり、横浜の街と歴史を見つめて来ました。
ソンドハイムは、この芝居の制作準備の為に2週間日本に滞在したそうです。その時に知った、この木のエピソードから彼は"Someone in a Tree"(木の上に誰か)を作ったのです。
こうして、ペリー一行は浦賀を後にし、第1幕が終わります。

第2部、ペリーは再び来航し、列強各国も"Please Hello"(プリーズ・ハロー)と来航して幕府に不平等条約締結を迫ります。
浦賀奉行に昇格した香山は欧米との交渉を通じ、次第に洋化していきます。
一方、武士の身分を得た万次郎は剣の腕を磨き、日本的なものに傾倒していきます。
変わりゆく二人の様子が描かれる中、香山が歌う"A Bowler Hat"。(ボーラ・ハット 山高帽)
米水兵3人が日本人の娘に歌いかける"Pretty Lady"(プリティ・レディ)
困惑する娘、その父親が水兵を切り捨てる事件が起こり、幕府は窮地に追い込まれます。善後策を話し合う香山と今は将軍になった阿部。
その二人に刺客が迫ります。その中には万次郎の姿も…

ラストシーン。
公家、神官達の操り人形だったミカドが、ここに来て、自身の意思と言葉で、開国後の日本をリードすると宣言。彼は明治天皇となり、矢継ぎ早に新しい施策を打ち出し、また、アジア諸国にかつてのペリーと同様の手法で開国・条約締結を迫り(だから、Overtures と複数形なのでしょうか?)、工業化を推進し、日本は発展を遂げます。
全員が"Next"(ネクスト)と発展を歌う中、(オリジナルの歌詞の中では「大砲で脅して近代国家の仲間入りをさせなかったならば、いまだに太平洋の真珠やカニ達と仲良く幸せに泳いでいられただろうに」とあります)
天皇(この作品は、出演者全員が複数の役を演じますが、オリジナルでも亜門版でも「語り手」は、天皇役を兼ねています)は、「我が国は最早かつての鎖国政策をとっていた国ではない」と述べ、"Welcome to Japan"と宣言し、幕。


【 「太平洋序曲」オリジナルについて 】
ソンドハイム祭り pt1 「太平洋序曲」_c0163399_16435829.jpg
実は、ミュージカルの本場、米国でも、この作品は、ソンドハイムの作品としては必ずしも人気のある作品ではありません。
1976年のウィンター・ガーデンでの初演の公演回数193回は失敗とは言えないまでも、彼の他の作品と比べれば見劣りする成果と言わざるを得ません。
初演時のデータ → IBDB
それでも、ソンドハイムの作品ですからね。トニー賞にも殆どの部門でノミネートされましたが、結局、受賞したのは衣装と美術関係だけでした。
実は、この作品は先の"A Little Night Music"(1973)と"Sweeney Todd"(1979)の間の作品にあたり、ソンドハイムとしても時期的にも充実していた時代の作品です。
因みに両作品の初演時の公演回数は、前者が601回、後者が557回。
上画像はOBCアルバムPacific Overtures (1976 Original Broadway Cast) (RCA)

この作品は日本で最初にTV放映されたブロウドウェイ・ミュージカルでもあります。
初演版は76年8月にNET(現テレビ朝日)系列で放映されています。
おそらく、その時のものと思われる映像がYou Tube で公開されています。
権利関係はよく分からないのですが、歴史的なものですし、はっきり言って不鮮明な画像なので、権利関係を阻害する懸念は低いと判断し、以下にリンクを貼っておきます。

さて、本作不評の要因の一つとしては、まずは、米国の一般大衆にとっては、舞台が戦国時代ならともかく、日本の開国を巡るドラマなど特段関心を惹くテーマでもなかったことが挙げられるでしょう。
また、過剰なオリエンタル路線とでも言いましょうか、衣装からメイク、所作、更に女性役を含め出演者が全員男性と言うのもそうでしょうが、歌舞伎の要素を採り入れた舞台を米国がどう受け留めたのかも、気になるところです。
演出は、ソンドハイムとコンビを組んで多くの傑作をものにした Harold Prince ハロルド・プリンス (1928 - )
オリエンタリズムの典型が、初演時における提督ペリーです。
堂々たる体躯を振るわせ、象の嘶きと共に舞台に登場します。
おそらく日本人が見た彼の巨大で異形な印象を、そのまま表現しようとしたのでしょうが…
セレモニーの成功に獅子舞の獅子を思わせる髪を振り回して踊るところ(上記画像参照)は、まさに歌舞伎風。
果たして米国人の目にはどう映ったでしょうか?
日本の権力者の描写ならともかく、米国人の前で米国人を描くのに、このやり方は違和感を覚えたのではないでしょうか?
逆に日本人にとっては、所謂「外国人が描いた日本」に有り勝ちな、誤解と偏見、中国との混同、欧米流の一方的な日本文化解釈への抵抗感等を感じたのではないか、と思われます。
「喋々夫人(Madama Butterfly)など、もう沢山だ」と。
ソンドハイム祭り pt1 「太平洋序曲」_c0163399_19143566.jpg
(右画像は脚本"Pacific Overtures"のパーパーバック、Theatre Communications Group 91年)

ソンドハイムと脚本のJohn Wiedman ジョン・ワイドマン (1946 - )の関心がどこにあったのか、何故、この題材を採り上げたのか、残念ながら、私は勉強不足で確たる情報を有していません。

一つ指摘出来ることは、どうも、欧米では一部の好事家の間で、Japonisme ジャポニスム、Japanesque ジャパネスクと言うか、日本趣味、異国情緒のブームが時折訪れること。
開国以後、海外に流出した夥しい浮世絵がゴッホや印象派そしてアール・ヌーヴォーの作家達に強い影響を与えたことはよく知られています。
これらを嚆矢として、Puccini プッチーニに影響を与えた米国人弁護士 John Luther Long ジョン・ルーサ・ロング (1861 - 1927) の"Madama Butterfly"(1898)等が続きます。

そして、このミュージカルの上演の1年前の1975年にはJames Clavell ジェイムズ・クラヴェルの小説"Shogun"(Delacorte Press )が出版されています。
これは、三浦按針(William Adams)をモデルに、英国人である彼が、戦国時代の日本で生き抜いていく姿を描いたもので、将軍、吉井虎長(徳川家康がモデル)を演じた三船敏郎や島田陽子が出演した米NBCのTVドラマ(1980)の原作として有名です。

ひょっとすると、こうした流れの中で、この作品も生まれたのかも知れません。
当時の日本は戦後長く続いた高度成長時代(68年にはGNP世界2位へ)が第4次中東戦争(73年)の影響によるオイル・ショックにより終焉し、安定成長へのシフトを模索していた時代でした。

この劇を見て感心する点は、時代考証、歴史的事実をかなり入念に調査・研究していることです。それらはそのストーリー、登場人物からも容易に推察されます。
やや偏った日本趣味の演出とは異なり、脚本自体は「フジヤマ、チョンマゲ、ゲイシャガール」等のステレオタイプな日本理解とが明らかに一線を画しています。
流石に、朝廷によって、老中の阿部が、母親によって毒殺された将軍に代わり、13代将軍に任じられる辺りは日本人としては違和感を禁じ得ませんが、あくまでフィクションであり、大きな視点で見れば、大勢に影響はない部分ではあります。
西南戦争に材を求めた"The Last Samurai"(2003)に見られる架空の人物・戦争よりは違和感は少ないものでした。
むしろ、かつて「友」と呼び合い、共に難局に立ち向かった万次郎と香山が、開国後の日本の行き方を、それぞれ代表する形で再会し、切り合いを演じる点は、史実にこそありませんが、本作のまさに問題提起部分として我々に鋭い刃を突き付けます。

この作品が書かれた時には、発展の影の部分と言えば、せいぜい公害問題位でした。
しかし、その後、様々な事象を我々は体験します。
所謂バブル景気、その象徴とも言うべき、89年の三菱地所によるロックフェラー・センター(NY五番街中心部にある19のビル群)買収と売却(地価下落により破綻した三菱の米国子会社は1995年に2棟を残し売却)、冷戦に代表される東西対決が一応の終結を見ても、新たな対立やテロが顕在化。そして、本劇制作直前に起こった3.11震災。

これらを踏まえた上で、今回の宮本亜門版は作られたと考えられます。

【 宮本亜門版「太平洋序曲」について 】
宮本亜門にとって、この作品はブロウドウェイ進出作品でもありました。
2000年10月 ソンドハイムは高松宮殿下記念世界文化賞受賞の為、来日。
この時、宮本亜門は最初の「太平洋序曲」を制作・上演(新国立劇場)していました。
偶然、新国立劇場で同作を観劇したソンドハイムは、これを絶賛。
これが、2002年のNYリンカーンセンター・フェスティヴァル、ワシントン(ケネディ・センター)で行われたソンドハイム・セレブレーションへの日本人キャストでの宮本の参加に繋がることとなります。
ソンドハイム祭り pt1 「太平洋序曲」_c0163399_2124835.jpg
そして、アジア系アメリカ人キャストを主体とする本作のブロウドウェイ公演が実現。
2004年12月にStudio54で上演された作品は必ずしも賞賛一方でもありませんでした。
トニー賞にも4部門でノミネートされましたが、受賞には至らず。
公演記録は69。(他、プレビュー24)
右はそのBC盤"Pacific Overtures" (P.S. Classics 2005)


さて、今回のKAAT版です。
結論から言えば、非常に充実した素晴らしい舞台でした。
2000年の日本初演を私は見ていませんので比較は出来ませんが、世界初演と比較しながら、今回の公演の位置づけを探ってみましょう。
個人的には懸念していた言葉の壁は、橋本邦彦の絶妙の翻訳によりクリヤーされていました。
韻を踏んだ原語の歌詞や科白を巧みに日本語に置き換えられていました。
主要な役者に、敢えてミュージカル経験がないか少ない人材を配置した演出家の意図も成功しています。
今回の八嶋智人(香山他)、山本太郎(万次郎他)、田山涼成(阿部他)等がそうです。
(あれ?! 演出家を含め、皆、SISカンパニーの所属…偶然?
なお、山本は例の原発問題で5月27日にSISを離れています)
軽妙な八嶋の演技は新しい香山像を作り上げたと言えるでしょう。
技巧的なソンドハイムの作品が、実は必ずしもプロの訓練を受けた歌い手だけを必要とするものではないことを今回立証したのかも知れません。
所属を離れざるを得なかった山本はおそらく背水の陣でこの作品に臨んだことでしょう。力が入っていました。
田山は初のミュージカルで、お歳(失礼!)の割には身体もよく動き、流石でした。
他の主としてミュージカル畑の役者さん達も「四人娘」達も素敵で頑張っていました。
しかし、意外と言うか、やはりと言うか、その才能を見せつけたのは、語り手、将軍、天皇をこなした桂米團治でした。「蛙の子は蛙」上方落語の重鎮である、お父上、米朝の血でしょうか。落語家、役者、そしてオペラと落語を合体させた「おぺらくご」の創始者の面目躍如たるものがありました。
落語家さんなだけに、てっきり初演のマコ岩松のように、高座スタイルで語るのかと思いきや(勿論、マコも歌い、且つ将軍、天皇役を演じますが)、歌い、踊り、更に俳句まで詠むと言う八面六臂の活躍でした。それが様になっている。脱帽。

舞台は社の中のような、いくつかの柱や梁を組み合わせた、すっきりとしたプレーンな構成。
オーケストラ・ピットはなんと櫓(?)の上。
何枚かの板で、時に屏風、時に壁、時に遠景を表現し、舞台に変化をつけ、最低限の道具で奥行きのある舞台を作り上げていました。
開幕を告げる1ベルも2ベルもなく、客電も落ちないまま、定刻通り、役者達が舞台に上がり、突然始まった舞台…

それは、過剰なオリエンタリズムや大袈裟な舞台装置を捨てて、出来るだけ自然な形で、等身大の人間や生活を描き出そうとしたのではないかと私は受け留めました。
初演以来続いた「違和感」は、そこには殆ど感じられませんでした。

結局、今回の舞台は、外国人によって作られたこの作品を、日本人が自らのアイデンティティ確立の為に「手繰り寄せたもの」である、と私は感じています。
謂わば「日本人による日本人の為の日本人の演劇」に作り変えたものである、と。
それが、3.11以降、これまでの生活、文化、生き方と言うものを、もう一度見つめ直そうとしている多くの日本人の前に宮本が突き付けた"Next"だったのでしょう。
30余年の時を経て、"Next"もラストシーンの意味も変わらざるを得なかったのです。
(KAAT版では、"Welcome to Japan"の発声はありませんでした)
それらは当初、ソンドハイムやワイドマンが意図していたものを遥かに凌駕したに違いありません。
成程、"Next"と言う曲は、時代に合わせ、柔軟に対応しやすい曲ではあります。
そこまでソンドハイムが意図的に仕掛けたかどうかは分かりませんが。

まだ、公演やってます。
(7月3日まで)
当日券も若干残っているようですので、関心ある方は是非。
この機会に"Welcome to Kanagawa"。

【 関係サイト 】
リンクが貼ってありますので、適宜、クリックください。
「太平洋序曲」(KAAT版) 公式サイト
・神奈川芸術劇場 KAAT
横浜開港資料館  7月24日まで「たまくすの木が見た横浜の157年」開催中

ソンドハイム祭り pt1 「太平洋序曲」_c0163399_2339224.jpg
PS
この記事を書き終えた後、偶然、手にした本に、ソンドハイムとこの劇のことが論評されていました。
日米演劇の出合い」(新読書社 04年 原書は1998年刊)
著者のサン・キョン・リー教授は韓国出身で主としてオーストリアで活動し、母国と同国から勲章も授与されているようですが、専攻は何故か米国演劇とアジア演劇、特に日本演劇との比較論の様です。
(確かに、その知識は広範囲で驚くばかりです。実際に、これだけの作品を海外にいながら、どうやってチェックしたのか不思議です)
教授はこの中で日本演劇が米国演劇に受容された例示として、この作品を採り上げています。
過剰なオリエンタル色を排した宮本版「太平洋序曲」が、謂わば、外国人(ソンドハイム等)から突き付けられた問題提起について、日本人の視点からの再構築に成功したものとして評価する私とはスタンスや関心は正反対ですが(当然、執筆時点では宮本版は存在していない)、背景や様々な事例紹介、ジャポニスム論考等は参考になると思われます。
興味のある方はどうぞ。


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by Eiji-yokota | 2011-06-21 01:10 | 口上
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